台湾は1960年代より、友好国である新興諸国が必要とし、自身の強みでもある農漁業技術による援助を開始し、友好関係を強化するとともに、友好国の食糧自給に寄与することとした。
1961年にまず最初の農業援助チームをリベリアに派遣し、その後の20年余りの間にアフリカから中東、アジア太平洋地域、中南米へと拡大していった。援助分野は、農業、漁業、養殖、畜産、手工業、搾油、製糖、酒造から水利工事まで広がっていった。当初は半信半疑だった現地の対応も、次第に協力から支持、そして尊重から敬意へと変わっていった。
農業援助、地方取材
1963年からドミニカに駐在した農業技術団は、稲作を主要な協力項目とする実験的手法を採り、専門家の努力により現地で生産する適合品種を見つけ出し、その普及に努めた。
マラウイでは水利設備の整備を行い、荒れ地を灌漑して水田に変えた。1965年より農業耕作チームが5方面に展開し、12ヶ所を開墾して新しい居住地域を広げていった。
1969年にはアフリカ南部のスワジランドに進出し、稲作と牛革、陶器、木彫などの手工芸品の技術を教えて歓迎された。
1970年のパナマでは果物栽培から始め、養豚、エビの養殖、アヒル飼育などで成果を上げ、さらに漁業技術チームも参入して、現地で漁労技術を教えることとなった。
1970年には、麻薬の原料となるケシの栽培で知られるタイ北部の「タイ山岳地帯農業開発計画」に参加し、世界の麻薬供給を減少させ、タイ北部山岳地帯の安定と繁栄に貢献した。これが高く評価され、1988年にはアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞した。
1972年に台湾の農業技術団はボリビアに進出し、お茶、大豆、落花生、養豚の技術を伝えた。翌年には、台湾から開英品種のパイナップルの苗を500株空輸し、パイナップル栽培と稲作計画を開始した。
同じく1972年、中南米のコスタリカでは模範農場の運営を開始し、野菜栽培、養豚、漁労技術を伝え、また現地に産する竹を使った竹工芸技術も伝えた。
台湾とは深い友好関係にあるサウジアラビアでは、1972年に正式に農業耕作チームを派遣し、大根、キャベツ、カリフラワー、ナス、スイカなどの技術を導入して歓迎された。
サウジアラビアとの協力関係は農業に止まらず漁業、科学技術、エンジニアリング、医療などに広がり、最盛期には台湾の専門技術者1万人がサウジアラビアに駐在していた。
土地の肥沃なインドネシアは農業天国と言われていたが、技術を重んじない粗放的農業であった。そこで台湾の技術チームがつきっきりで協力して、農家の機械化を指導し、生産量の増大につながったのである。
南太平洋のソロモンでは灼熱の太陽の下、強酸性の赤い火山岩土壌に対し、農業チームの隊員がトマト、スイカ、ナスの収穫に成功した。
アフリカの心臓部にある友好国ブルキナファソでは、1969年から稲の品種「姑河」の栽培プロジェクトに協力した。20年後には隊員が荒涼としたバグレ開墾区に派遣され、米どころに作り替えるという台湾の奇跡を再び起こしたのである。
農業技術団の先遣隊は、各国で田畑を切り開き成果を上げ続けたが、故郷や家族を遠く離れ、物資が不足し、医療施設も不十分な環境で、苦労を重ねていた。その苦労の一端を「光華」は写真と共に紹介したのである。
愛に国境なし
近年になり、台湾のNGOも国際的な救援、災害救助業務を開始し、2008年には「光華」の海外取材の足跡も、インド洋大津波で被災したインドネシアのアチェとスリランカに及んだ。台湾のNGOである慈済会は被災地で診療を行い、中華民国赤十字会は水の提供と衛生管理を進め、法鼓山は孤児のケア、ワールド・ビジョン・タイワンは住宅再建を行った。津波の被災地に「台湾村」「慈済大愛村」などが相次いで建設され、台湾からの国境を越えた大きな愛が、南アジアの土地に根を下ろしたのである。
環境の変化と温暖化の影響を受け、太平洋の島国は生存の危機に直面している。2010年に「光華」は太平洋の友好国であるキリバスとツバルを取材し、温暖化の最前線にある問題と対策を紹介した。
ツバルは世界でも第4位の小国で、9つの環礁からなり、面積は合わせてわずか26平方キロ、1月から3月の大潮になると、海水が人家に入ってくる。海水面の上昇は、ツバルにとって国家国民の存亡にかかわる。
台湾の国際合作発展基金会の技術チームはこの南の島に駐在し、野菜栽培や魚の養殖を進めて、食糧輸入に代替している。領土が赤道と日付変更線に跨るために世界の起点と言われるキリバスでは、「光華」の記者は地球でも最初の日の出を見つめながら、台湾の対外援助がもたらす希望の光を目にしたのである。
農業技術団はブルキナファソのバグレ開墾エリア(左ページ)とスワジランド(左)で奇跡を起こしてきた。
太平洋に浮かぶツバルでは生存環境が激変しつつある。
太平洋に浮かぶツバルでは生存環境が激変しつつある。
台湾のNGOはインド洋大津波の被災地再建に取り組んだ。写真はスリランカの慈済学校。