ドラマ主導権の明け渡し
しかし台湾がブームを作る情勢は、2000年から変化し始めた。
不景気のため、台湾の各テレビ局は赤字続きになり、海賊版がレコード会社に打撃を与えた。中国大陸のマスコミは政府の厳しい制限を受けていたため、エンターテイメント情報、バラエティ番組は台湾を中心としており、タレント、レコード会社、ドラマのプロデューサー、マネージャーなども見入りのある方へ行かざるを得なくなり、中国が主要な市場として考えられるようになった。ほとんど台湾市場を棄てるタレントも現れ、黄安、張信哲などは全力で大陸市場を開拓している。
中共当局による、香港や台湾のタレントの大陸投資制限もここから始まった。
「1980年代、大陸は外資を非常に渇望していました。特に瓊瑤のような制作者を手厚く歓迎しました」瓊瑤の嫁でドラマの制作者でもある何琇瓊さんによると、2000年以降、大陸政府は地元のエンターテイメント産業の育成と保護の必要性から、スタッフの割合を厳格に規定するなど香港や台湾の製作者を制限し始めたという。
大陸でテレビ・ラジオを司る政府の広電局はテレビドラマを「国産ドラマ」と「合作ドラマ」の2種類に分けた。「国産ドラマ」は名前の通り、大陸のテレビ局が中心となって制作したもので、俳優も香港か台湾出身の俳優は多くて2人まで、制作、脚本、演出の台湾・香港人は名前がテロップに入らない。国産ドラマの毎年の作品数は規制されており、誰もがその権利を得られるわけではない。
「合作ドラマ」は台湾・香港の制作会社と大陸のテレビ局が共同で制作するもので、人数制限はないが、ゴールデンタイムには放映できない。一流のコストで二流の時間帯の作品を作るようなもので割りに合わない。
「渋い女」の脚本、監督、演出などをすべて手がけた伍宗徳さんはこうした規制に大いに不満を持っている。
「撮影所での取材で発言もできないのです。自分のドラマなのにですよ」彼は、好き好んで家を離れてこの地に来たわけではないが、台湾では8時のドラマに50〜60万元しか制作費が出ず、いいドラマが撮れないのだ。
ドラマもビジネスである。同じく大陸で「風雲」制作中のプロデューサー徐進良さんは、皆が不満を持ち、自分のスタッフにも悪いと思っていると言う。だがこうした状況から、やはり「国産ドラマ」の制作チャンスをつかみたいと考えている。
俳優の人数制限はまた、以前は最も輝いていた台湾・香港のタレントにも打撃を与えた。プロデューサーの楊佩佩さんは、現在大陸のトップスターの出演料はとっくに台湾・香港のスターの数倍になっているが「それでも法令があるため、彼らに出てもらわなければならないのです」と言う。
急速な経済改革を進めながら、言論の自由はまだ厳しく制限している中国大陸当局は、マスメディアにおいては政治とは無関係の流行情報を最初に開放した。