ゲームで起業を学ぶ
One-Fortyの最初の移住労働者起業講座は、堅苦しく難解なマネジメント知識にいきなり入らず、女性向けウェブサイト「女人迷(Womany)」での勤務経験があり、イベント企画を得意とする呉致寧が授業デザインした「ライフマップ」講座で、イラスト遊びをしながら生徒が人生の様々な重要な段階を描き出すよう後押しした。
移住労働者ビジネススクールの山場は経営マネジメント講座である。陳凱翔、呉致寧、金融業界のボランティアが自ら教え、友人や後輩も二人に引っ張りこまれてレクチャーを行った。
開店に必要なコスト管理、財務の概念を身につけさせるために、移住労働者ビジネススクールの講座のひとつでは「5つの封筒メソッド」ゲームを始めた。毎月の賃金を目的別に5つの封筒に分けて入れ、資産配分の練習をする。中国語の語彙に限りがある生徒に合わせ、陳凱翔と呉致寧は基隆まで行き、社会に強い関心をもってテーブルゲーム学習推進に取り組む「阿普蛙工作室(Wa's UP)」に指導を請い、販促・開店立地など複雑な概念を「モノポリー」ゲームにして、各種状況設定を通じて生徒の理解を助けることにした。
ビジネススクール第一期は昨年9月に終了したが、目標の一部は達成できなかった。計画では陳凱翔が台湾の小規模店舗のオーナーに開店の秘訣を紹介してもらったり、移住労働者とともに実地調査に行くはずだった。だが人と時間が足りず実現しなかった。また、ビジネスマネジメントの知識形成を助けたくても、移住労働者の中国語レベルが不十分なうえ、実際に帰国して起業していないから、臨場感に欠けた。
困難は現地への知識不足も原因である。インドネシア出身のViViは起業経験のある数少ない生徒で、ウェブショップを経営していたが、子供の教育費のために再び台湾に来た。ViViの話で、陳凱翔は初めて奇奇怪怪な状況を聞き知った。
多くの移住労働者は田舎出身で、付け払いの客にどうすることもできない。互いに顔見知りで、人間関係も密だから、繁盛しすぎれば余計なうわさも立つ。現地のさまざまな現象は、陳凱翔にとってすぐには解決できない難題である。
実務的なビジネス講座は、時間の試練を経てはいないが、啓蒙的なレクチャーが生徒に心境の変化をもたらしている。呉致寧によると、移住労働者の生活には娯楽がほとんどなく、休日は同郷の友人と過ごす。友達が少ない移住労働者に共通の特徴は、内気で自信がないことだという。
修了後の成果発表会では、生徒が日頃にない快活な様子を見せた。生徒の間で聡明で機転が利くと言われ、賢い目をしたYuunyは、授業中は静かに聴いていて、自分の話はあまりしない。イベント当日、代表としてステージに上がると、心の壁を取り払い、十代で故郷を離れ、台湾へ働きに来た経験を話した。他人の目を気にして、働き口を4~5箇所換わったことを滅多に話さなかったYunnyが、発表会で語ったのだった。
教師と生徒の関係ではあるけれど、インドネシア、ベトナム、タイからきた生徒15人は、呉致寧にとって先生のようだという。ビジネススクールを始めた時、呉致寧は仕事を辞めたばかりで将来に不安を感じていた。弱気になっていた時に生徒の人生の物語を聞いて救われたのである。
小さいころから不運続きの人、多感な年頃に家庭が大きな変化に見舞われた人、長年一緒に暮らした父が実父でないことを成人してから知った人……しかし、連続ドラマのような人生の波乱も彼らを打ちのめすことはなかった。
語られる物語は命の厚みをもって、呉致寧を深く深く勇気づけ、学生時代に将来を語ろうと呼びかけた記憶を呼び覚ました。今しているのも同じことである。相手が移住労働者に換わっただけである。「夢は人の区別なく、誰にも幸せを追い求める権利がある」若い彼女は固く信じて言う。
移住労働者ビジネススクールの位置づけは明確である。二人が負うプレッシャーは大きい。生徒の帰郷後の人生に関わるのだから、軽々しく無責任な提案をすれば、彼らの長年の努力を無駄にしてしまうかもしれない。
そこで、ビジネススクールは海外の移住労働者起業支援の事例を数多く参考にしている。経験豊富な国際労働機関や、社会的課題への取組みに創意を取り入れたDesign for Challengeもモデルにした。だが陳凱翔は、所要経費はすべて二人が自腹で負担しており、人材も物資も限りある中、カリキュラム内容と方向はまだ模索中だという。
ビジネススクールで学んだ生徒たちが台北駅で成果発表会を行なった。普段はシャイなMaslinahさん(左)とSupiantoさん(右)が、この日ばかりは自分の物語を語り、インドネシア民謡を披露した。