お金を借りて運を変える
南投県の紫南宮は、信者に貸し付ける金額が台湾最大規模で、祝祭日には貸出金額が3000万元を超える。旧正月などには、お金を借りる人の行列が6~7日も途絶えない。
紫南宮で借りる「発財金」の額は、擲筊という方法で神様にお伺いを立てて決める。三日月形の木片2枚を床に落として、最初に「聖筊」(1枚が表、1枚が裏)が出たら600元を借りられる。2回目に聖筊が出たら500元という具合に100元ずつ減っていき、6回とも聖筊が出なかったら、また日を改めてお伺いを立てることになる。
廟から借りたお金は一年以内に返済することとなっており、大部分の信者がこれを順守する。神様のご加護があったと感じたら利息や利益を加え、多くの人が「倍返し」する。ある建設業経営者は、600元借りて66万元返済したと言い、紫南宮のホームページでも紹介されている。
「発財金」を借りればお金が儲かるというのは単なる「神話」とは言えないようだ。自ら発財金を借りたことがあるという鍾文栄によると、これは廟側にとっては、まったくリスクのないビジネスであり、信者の側も借りた600元をご利益のある「銭母」と感じるので、普段より積極的に商売や投資に資金を注ぐようになるので、リターンも得られやすいのだという。
日月潭にある文武廟も信者に「転運金」を出している。信者は100元のお賽銭を出せば、「天禄神鈔」と名付けられた転運金をもらえる。
「天禄神鈔」は本物のお札とそっくりで、表には平安を象徴する関公、裏面には天禄(想像上の霊獣)が描かれており、これを財布に入れておくとお金が入ってくるとされる。文武廟企画組長の童万益によると、神鈔は非常に人気があり、毎年約2万枚が配られる。「天禄神鈔」のご利益があったとして、海外から祈願成就のお礼が振り込まれることもあり、特に東南アジアの華僑からのものが多いと言う。
文武廟は風光明媚な観光地、日月潭の湖畔にあり、多くの観光客が参拝に訪れる。童万益によると、数年前から賽銭箱にはシンガポールやマレーシアのお金が見られるようになり、この2年は中国大陸や韓国のお金が増えたそうだ。
誠意があれば通じる
民間信仰は社会の変化につれて変わっていくが、過度に迷信化してはならない。
「科学の時代にも宗教は必要ですが、文明社会において迷信はいけません」長年宗教を研究している林金郎は、信仰と迷信は全く異なるものだと言う。過度の崇拝、儀式重視、繁雑な規則、供物や取引の要求などが強調される場合、迷信行為に陥る可能性がある。
林金郎によると、昔は食糧が乏しかったため、神を祭る際に家畜を締めてお供えし、祭祀の後は皆でそれを食べるのが習わしだった。しかし現在は食糧事情も異なり、環境問題もある。大量の線香を焚いて金紙を燃やせば大気汚染の原因にもなるというので、多くの廟では線香や金紙を廃止して花や果物のお供えに変え始めた。正統の仏教では、もともと線香は焚かず、供物も求めないが、台湾では仏教と道教が混在しているためこうした風習が普及してきた。だが今はシンプルな参拝が趨勢となっている。
2014年8月26日、台湾北部の信仰の中心、年に600万人が参拝する行天宮では、神仏にお伺いを立てて香炉と供物台を撤去することを決め、信者は誠意をもって合掌するだけで良いこととした。
当初は「線香を持たずにどうやって拝むのか」と戸惑う信者も少なくなかった。
鍾文栄によると、仏教では焼香は必要ないのだが、台湾の民間信仰では仏教と道教と儒教が混在しており、天に願いを届けるためにアンテナの役割をする線香は欠かせないとされてきた。
だが、林金郎は行天宮の改革を高く評価している。「信仰とは、自らを改めようという敬虔な心であって、繁雑な儀式を通して神に問題を解決してもらうことではありません」と言う。
神明も進化する
線香の煙がなくなった行天宮だが、参拝客が減ることはなかった。
台北市民権東路の行天宮本宮では、歳末に祭解儀式が行われた。昨年までは供物が山と積まれ、線香を手にした信者でごった返していたが、今年は人々が合掌して整然と儀式が行われた。
万華の龍山寺は二級古跡に指定されており、近くに剥皮寮などの観光地もあるため、日本や中国大陸からの観光客が多い。龍山寺では香炉は廃止していないが、以前から金紙は燃やさないようにしている。これも儀式の簡素化と市場のニーズに合わせるためである。
一方、結婚が難しい時代、月下老人の信仰市場は拡大し、七夕やバレンタインデーは書き入れ時である。多くの廟がさまざまなイベントを行なって「消費」を刺激する。
廟によるネット利用も盛んだ。サイトやフェイスブックは廟の間でもすでに普及し、文武廟ではフェイスブックのファンページ登録者が3万人を超えている。厄除けや祈願の灯明なども、海外からパソコンでできるようになった。「厄除けは保険のようなものです」と鍾文栄は言う。
さらに神仏の可愛らしいマスコットが売り出され、電音三太子など新しい形の神楽も増え、神明も親しみやすくなった。電音三太子は、奉納の歌舞とストリートダンスを融合させたもので、「神明も進化しています」と林文郎は言う。
神は心の鏡
台湾大学社会学研究所の研究生・劉怡寧と瞿海源による「台湾社会における宗教寄進現象」によると、台湾人の寄付の半数は宗教団体に贈られている。その原因は、やはり将来の不透明感や生活の空虚さ、疎遠な人間関係などにある。
「神仏は人の心の投影です。一般の人々は自分の心を透視することができないので、信仰という形から着手するのです」と話す林金郎は、参拝は健全な精神活動だと考える。『関聖帝君覚世眞経』に「凡人心即神、神即心」とある通り、正統の宗教は迷信ではなく、己の心を見つめさせる良薬なのである。
「拝めば果報が得られる」と言われる通り、過度の迷信でなければ、信仰は確かに生きる力を高めてくれる。
新しい年、誰もが財神爺(お金の神様)のご加護を受けたいと思うものだ。
「御縁のある神様」で言うと、武市(商人)は武財神である関聖帝君を拝み、文市(勤め人)は文財神の比干を拝むべきとされる。だが比干を祀る廟は少なく、林金郎も高雄燕巣の天官財神廟でしか見たことがないという。だが、わざわざ遠くの廟へ拝みに行く必要はなく、家の近くの土地公や土地財神を拝めばよい。また大きな廟に祀られた弥楽仏も財神である。
財神である玄壇元帥を祀る草屯敦和宮には「道徳平安、道徳吉祥、道徳生財」と書かれている。これこそ信仰の最良の解釈であろう。
敬虔に「心の中の線香を捧げ」、未年の平安と発展を祈ろうではないか。