転機:自己責任で独立経営
長栄の経営層は、問題は台湾市場が小さすぎることにあるとし、陳興時に「どうする?まだ可能性はあるのか?」と問いただした。これに対し、特殊鋼領域の可能性を確信していた陳興時は「可能性はあります」と答え、責任を自ら負うことにした。彼は社員とパートナーとなって経営権と20数億の負債を引き継ぎ、社名を栄剛に変更した。
話し合いの結果、長栄が8億元を出資し、栄剛は工場設備を長栄重工から借りることとなった。陳興時は出資者に再建への決意を示すため、不動産と株をすべて抵当に入れて融資を受けた。子供たちに、事業に失敗したら家は無一文になると話した。
覚悟はできていたものの、台南の工場に到着すると、状況は想像していたより悪いことに気付いた。まるでゴーストタウンのようだったという。受注がないため、従業員の士気は下がり、設備も稼働していなかったのである。
当面の急務は全社の士気を高めることだった。幸い鉄筋需要があったため、以前の工場で不合格になった鋼材で鉄筋を生産することにした。彼は生産工程を変えさせ、2週間で工場を動かした。
当面の目途がつくと、陳興時は大胆にステンレスを購入して鍛造加工メーカーに転売した。2ヶ月あまりの間に、栄剛は700トン余りのステンレスを購入して転売し終えると、さらに5000トンを購入して大きな利益を上げ、会社を覆っていた暗い影は一気に払拭された。
1997年、栄剛の経営は軌道に乗ったが、陳興時は特殊鋼開発の目標を忘れていなかった。だが、当時台湾の特殊鋼市場は日本製品の天下で、そこへどう切り込んでいくかが大きな課題となった。
前回の失敗の経験から、先に海外市場を開拓し、それから国内に参入する戦略を採ることにした。欧州市場に進出するには、まずドイツの認証機関DQSのISO9002と英国BSIのISO9002などの認証を取得しなければならない。
効率を上げるために、陳興時は産業界の認証取得を指導する金属工業研究発展センターに、3ヶ月以内に国際認証を取得したいと求めた。当時の金属工業研究発展センター処長で、現在は高雄第一科技大学機械学科教授の傅兆章は、この要求を聞いて、不可能なことだと思ったという。
しかし実際に工場を見ると、栄剛の工場設備や生産工程はすでに認証取得標準に合致しており、足りないのは文書だけだった。最終的には予定より早く認証を取得することができた。
2000年にシックス・シグマを導入したことで、経営・品質管理の思考と効率が大幅に向上した。