グローバルマーケットへ
海洋大学に合格すると、林見松はすぐに、公務員にならない、大学院には進まない、留学しない、と心に決め、海運貨物取扱という専門性の高いサービス業の知識を習得することに集中した。在学中に関連企業での実習経験を積み、ついに生涯の事業の基礎を打ち立てた。
海運貨物取扱業というのは、荷主から委託を受けて海運貨物輸出入の各種手続や通関業務を行ない、また船舶の建造や売買、賃貸などの事務も代行する。この他、林見松は撒積貨物船(ばら積み貨物船)の市場に目をつけ、荷主と海運業者をつなぐフォワーダーの業務も行なっている。
ちょうど経済急成長の時期に当り、台湾では輸出入量が多かったが、台湾企業はシンプルな業務を求めるため、輸出の多くはFOB(Free on Board)を採用した。つまり輸出側は港での本船積み込みまでの責任を負い、それ以降の費用とリスクは買い手が責任を負うというものだ。この場合、船の手配は海外の買い手が行なうこととなり、それに関連する利益も外国に取られてしまう。そこに無限のビジネスチャンスを見た林見松は、台湾企業に船の手配の権利を得るように説得した。台湾の海運貨物取扱業者にも高いサービスを提供する能力があると信じていたからだ。
「台湾は島国ですから、さまざまな方法で世界へ出て行かなければなりません。海運貨物取扱業は国際的な仕事で、世界とつながり、世界の各都市と接触することができます」事業の性質から、林見松は、台湾は世界へ出て行ってこそ将来が開けると信じている。
関連分野で十数年の経験を積んだ後、32歳の時に独立し、海ْ瀧船務代理公司(MIT Chartering &Agency)を創設した。「会社は利益を出さなければなりませんが、利益は唯一の目的ではありません。企業は社会的責任を負っており、雇用機会を提供して多くの人に加わってもらい、この専門性の高いサービス業をより良いものにしなければなりません」と気概を持って語る。
その後、友人の勧めがあって林見松はオーストラリアに進出した。オーストラリアは鉱物や原材料が豊富にあり、メルボルンは世界の海運の一大拠点でもある。子供の教育のことも考え、彼は1996年にオーストラリアに支社を設立し、家族そろって移住した。
林見松は32歳の時に海瀧船務代理公司(MIT Chartering & Agency)を設立した。メルボルンに移住してからは社会活動に積極的に参加し、メルボルン台湾同郷会総幹事から台湾商会聯合総会の総会長まで務めてきた。常に変わらないのは海外の台湾人と台湾企業に奉仕する心である。