鶯歌陶磁器産業の盛衰
臺華窯は1983年に設立され、日用品と装飾用陶磁器を生産してきた。轆轤成形のアンティーク風陶器、白磁、単色釉の陶磁器のOEMを主とし、香港やアメリカに輸出していた。鶯歌のOEM工場は、世界の陶磁器サプライチェーンの川下に位置し、研究開発やデザイン、ブランド能力を有していなかった。労働集約型で価格競争のビジネスモデル、大量受注と材料コスト削減で利益を確保していた。川上には欧米市場を理解する海外華僑がいて、彼らが設計し受注してから、台湾の工場に発注生産し、香港やフィリピンを中継して、世界各地に販売していた。
1986年に市場の需要に応えるため、臺華窯では色絵技術の開発を進め、香港の職人を招いて指導を受け、伝統の上絵付技術を開発した。そこで「精彩芸術工作室」を設立し、釉薬を研究して、伝統的な粉彩(ガラス絵具による上絵付)、闘彩(五彩の色絵)の開発に加え、伊万里焼、薩摩焼、九谷焼などのデザインを研究し、日本、イギリス、アメリカ、イタリアなどに輸出した。
それが程なくして、中国大陸や東南アジア諸国が廉価な陶磁器を生産し、市場を奪っていった。「一晩で受注が消え、鶯歌では工場倒産が続きました」と、打撃を受けた鶯歌の陶磁器産業は急速に衰退し、OEMではやっていけないことを痛感したと、臺華窯の呂兆炘董事長は言う。
世界のサプライチェーンの影響を受けやすい台湾のポジションをどう調整するのか。「伝統技術を守るだけではなく、オリジナルを開発しないと陶芸文化を続けていけません」と、呂董事長は改造を決意した。単なる低コストの製造業から高付加価値の生産モデルに転換するには、既存のビジネスモデルを改変し、新しい時代の製品にはオリジナリティが必要と考えた。オリジナリティは、製品設計だけではなく、生産工程全体とビジネスモデルに、技術に裏付けられ、創造性を核心とし、芸術をコンセプトとしたマーケティングやブランド戦略が求められる。

芸術家・鄭善禧の作品「追懐沈耀初」。30余年にわたって色絵磁器を作ってきた鄭は「文人水墨白話化」の代表とされる。