木炭の家
茅葺屋根で、なんとなく愛らしい造りの峰城炭窯は、古くから伝わる方法で建てられた。
この窯は標高200メートル余りの小高い山の上にある。李永興は窯を作った時の様子をこう語った。水牛を借りてきて、山頂でぐるぐると円を描くように回らせて地を踏み固める。そうやって徐々に内側の土地を円筒形に浮き上がらせた。後は人の手で形を整え、中の土を掘り出して窯の内部と窯口を作り上げた。壁は下側が厚く約50センチ、上側は15センチほどある。
「家と同じで、窯も使いながらの維持が必要です」峰城炭窯が12年たった今でもびくともしないのは、手入れを怠らないからだ。「少しでも穴が見つかればすぐに埋めます」と李永興は言う。
炭は材料や焼き方によって主に備長炭、黒炭、竹炭に分けられる。バーベキューなどに使われるのは黒炭だ。
台湾の木炭は、ソウシジュやリュウガン、雑木などが使われるが、地元の木を使うのが昔からの原則だ。峰城炭窯の場合、宝山郷付近はほとんどソウシジュ林なので、用いるのはもっぱらソウシジュである。「ソウシジュの炭は煙が少なく、破裂もしないし、火もよく持ちます」と、李永興はその良さを挙げる。
80歳を超える李盛華は、今でも炭窯を取り仕切り、窯詰めから火入れ、窯出しと、重要な工程はすべて、熟練した彼が行う。
李盛華は、この仕事の盛衰を目の当たりにしてきた。彼自身の若い頃は、水田や茶畑の農閑期に炭焼き場に行って手伝うぐらいで、炭焼きはいわば副業だった。後に家業をミカン栽培に変えた際に炭焼きも始めたという。
これまで炭焼きを止めようとしたことはない。最盛期には5窯あったが、炭焼きをしないと窯は崩れてしまうので、新たに造り直すしかない。
李盛華の記憶によれば、1980年に作った窯は現在の窯の2.5倍あり、1回で9トンの炭を作れた。木材が集まればその度に炭を焼き、収入の足しにしていたが、1999年に窯が崩れた後は何年間も炭焼きをしなかった。
「郷長が『伝統産業の炭焼きがなくなるのは惜しい』と、2004年に補助金を出してくれ、新しい窯を作りました。しかも、付近には整った窯がないので『人に見せられるようなものを』ということでした」と李盛華は誇らしげに語る。
「木炭の家」では平均2ヶ月に1回、炭を焼いており、1回で3.5トン余りの木炭ができる。
李盛華によれば、木炭がよく売れるのは冬で、中秋節から春節前後までの需要が高い。今年3月に焼いた炭は1日で売り切れたと言う。
よく売れるのは、台湾の木炭生産量が減少しているからだ。李永興によれば、ガスの普及だけでなく、輸入木炭の関税撤廃でインドネシア、ベトナム、マレーシア産の木炭がちまたにあふれ、台湾の炭焼き業者が減少、今やわずか数軒が、なんとか続けているといった状態だ。
木を伐採する時、李永興さんは必ず合掌して木に頭を下げる。