これが自分たちの選択
いずれにせよ、離婚の責任は双方にある。人に告げる理由は、都合の良い方便に過ぎない。
結婚生活で生じた感情のもつれを一気に解消するのは難しく、時にはカウンセラーの手を借りて徐々に関係の修復を図る必要がある。努力すべきは、関係の更なる悪化を避けることで、別れるにしても良い別れ方にすることだ。
荘喬汝さんによれば、女性団体の訴えで台湾の離婚制度は改正が進められてきた。かつては協議離婚と裁判離婚の二つの道しかなかった。だが協議離婚は規制が緩過ぎ、弱者への保障に欠けていた。また裁判離婚は厳し過ぎ、過失のない側からしか訴えを起こすことができず、しかも判決後、双方そろって役所で離婚手続きをしなければならなかった。深刻なのは「相手の過失を証明しようと法廷で双方を罵り合い、関係はますます悪化、子供にも悪影響を及ぼす」ことだった。
だが2009年には台湾の裁判離婚にも調停制度が導入され、財産や子供といった問題を一つ一つ調停にかけるようになり、時間も短縮された。
では、アメリカのような無過失主義を取り入れるべきだろうか。反対者は、弱者である女性への保障がなくなるという。荘さんも、欧米とは事情が異なるので安易に導入すべきでないと考える。
「離婚は多くの女性にとって財産の問題というより感情の問題なのです。夫を愛していなくても心にはこだわりがあります」荘さんは、ある中年夫婦のケースを挙げる。夫の方が離婚を訴えたが妻は頑として同意せず、訴訟は2年続いて双方ともに巨額の弁護士費用を費やした。ところが夫の負けと判決が出た途端、妻は離婚に同意した。「こうしたことを経てやっと癒される人もいます。感情的に納得する必要があるのでしょう」
愛の代償
晩晴婦女協会のベテラン指導員である葉陶静さんはこう指摘する。離婚後は双方とも大きな心理的調整が迫られる。新たな関係への恐れや自信、過去の婚姻がうまくいかなかったことへの考察や理解、新生活への具体的な希望、親子関係の修復、双方の家族との新たな関係作りなどを処理していかなければならない。
「離婚教主」と呼ばれる作家の施寄青さんは、まだ保守的だった1990年代初めに自分の離婚経験を本にし、晩晴協会を設立した。20年を経た今、二人の息子と共著で『僕の母さんはブランド』を出版、それぞれのエッセイとしているが、家族が傷を癒す生々しい過程が綴られている。
次男の段奕倫さんは「最初は、母がいかに口うるさく、平凡な母親に過ぎないかを書こうと思っていたが、母の若い頃の経験を思うと、本当に勇気があり強い女性だからこそ一人で切り抜けられたのだと思う」と書く。書きながらよく泣いたと言う施さんは「自分は怒りによって心の奥の悲しみを隠してきたのだと気づいた。この悲哀は、父を失い、母とのふれあいが少なかった生い立ちによる。それがその後、息子たちの成長にも深く関われなかった悲しみへとつながった。今ついにそれを吐き出したことで、自分の怒りは言葉にし難い悲しみによるものだと気づいたのだ」と綴る。
20年を経て、子供はたくましく成長し、離婚経験者は暗い過去から歩み出て、家族も傷口を癒す新たなエネルギーを見出した。
熟年離婚は個人や家庭、社会にとってプラス面もある。既婚、独身、離婚経験、シングルペアレントに関わらず、人との関係を見つめなおすことになるからだ。男女平等、多元的な社会は皆の望むものである。