
「夫婦老いて伴となる」という言葉があるが、今や熟年離婚が増えている。熟年離婚とは、結婚生活20年以上、50歳を過ぎて分かれるケースを指す。近年急速に増加傾向にあり、「ともに白髪の生えるまで」とはいかなくなっている。
定年退職したばかりの夫とよくケンカになる玉英さんは、亡くなった姑の起こした「革命」をよく思い出す。常に控え目だった姑は60歳を過ぎ、孫もできてから急に離婚を宣言、「一日も我慢できない」と言い出した。浮気ばかりしていた舅との仲は早くから冷え切っており、子供が成人するまでと我慢してきたのだった。
離婚後、姑は一人暮らしを始めたため、子供たちは正月には舅と姑の両方の家を訪れた。「面倒でしたが、徐々にわかってきました。あれは姑にとって最も幸せで尊厳に満ちた日々だったと」

心理学者は「老後の伴」は配偶者に限らないと言う。老いてからも付き合える友人や家族が大勢いれば生活はより楽しくなる。
台湾では2011年に5万7000組が離婚し、男性の年齢層で最多は35~49歳だが、50~64歳は10年前の3.11倍になり、成長が最も著しい。
政府による2009年の老人生活調査でも、55~64歳では離婚或いは別居の率が2005年の5.65%から2009年には5.82%と増え、約14万人に達している。65歳以上では2005年の2.48%から2009年には3.53%に増えて約8万6000人に上り、独身に戻るシルバー世代が増加している。
これは世界的な傾向だ。ボーリング・グリーン州立大学のスーザン・ブラウン教授と台湾の輔仁大学出身の学者である林一芬さんが共同発表した論文「The Gray Divorce Revolution(熟年離婚革命)」によれば、2009年にアメリカで離婚した夫婦のうち4組に1組が50歳以上で、同年齢層は20年前の2.5倍になっている。注目すべきは、離婚を言い出すのは主に女性である点だ。戦後の団塊世代の女性は自己実現への欲求が高く、経済的に自立しているためだとされている。
日本も早くから同じ傾向にあった。1985年と2005年を比べると、結婚20年以上の夫婦で離婚件数は2倍に、30年以上は4倍に増えている。
日本での評論家はその原因として、「男は外で女は内」、「亭主関白」などの伝統的観念を挙げる。終身雇用制の下、妻の家事労働の報酬は夫の給料に含まれ、仕事に奮闘する夫は家族と過ごす時間が少ない。定年退職で一日中家にいるようになっても亭主関白で何もしないので、妻の方が「主婦の役割からリタイアしたい」となるわけだ。また2007年から年金の分割制度が実施され、離婚の際に夫の年金の最大半分をもらえるとあって、これも熟年離婚に拍車をかけたと言われる。

離婚して長年連絡もしていなかった元夫婦が、娘の結婚をきっかけに再びいがみ合うこととなる。――2008年の公共テレビのドラマ『誰来坐大位』は、離婚後に起こるさまざまな問題を描いた。
台湾の離婚率はアメリカほど高くなく、日本ほど劇的に増えたわけでもない。が、やはり女性の自主性や自意識の高まりと関係がある。
「年齢層によって離婚のコストとリスクは異なります」婦女新知基金会常務理事で、弁護士の荘喬汝さんによれば、30~40歳の女性は離婚を思いとどまる傾向がある。仕事や生活に追われる毎日で、離婚に至る長い過程に時間や労力を費やす余裕がないからだ。またバツイチやシングルといったレッテルは就職にも不利になるし、親権を得られなければ子供に会えないと二の足を踏む。
心理学で修士号を取得した婉婷さんは若い頃女性運動に熱心に参加、自由恋愛を信奉してきた。独身に終止符を打って子供が欲しいと37歳で裕福な男友達と結婚した。が、5年で自分が「縛られている」と気づく。息子と娘ができ、優雅に主婦をしていればよかった。だが夫は彼女の生活を監視し、気に入らないことがあれば子供に怒りをぶつける。彼女は緊張し、孤独な毎日を送った。
離婚も考えたが、カウンセラーをしても収入は低く、シングルマザーのレッテルは仕事に影響する恐れもある。実家は婚家から経済的援助を受けており、「自分が我慢すれば親孝行になり、子供も安定した生活ができる」と考えた。彼女の苦しみは多くの中年女性の思いと重なるだろう。

愛と寛容は一生をかけて学ばなければならない。
熟年になると事情は異なり、働いて経済的に自立していれば離婚もしやすそうだ。が、実際には様々な足かせがある。
3人の子供がいる57歳の呉淑姿さんは大学図書館の仕事を早期退職し、安定した年金を得て、夫と幸せな老後を迎えるように見えた。
「実は退職前から離婚へのタイムテーブルを作っていました。会話のない冷えた夫婦生活を終らせるためです。末の息子の大学卒業を期限と定め、感情的な整理をつけ、計画的に貯金しました」だが3年前の夫との大きな諍いで予定が早まった。別居後の呉さんはワンルームを借りて倹約した生活を送る。ジェンダーを扱った小説を2冊出版してからは、小説創作クラスなどで教えるため各地を行き来し、自己啓発プログラムにも参加するなど、癒しと模索の毎日だ。最近は夫と協議の末、不動産も取得し、そこを新たな仕事場にした。刺激的な毎日で新たな構想も次々と生まれ、「熟女の潜在能力は無限です」と言う。
婚姻問題や法律相談を行う台北市晩晴婦女協会の沈淑娟・総主事によれば、同協会を訪れる人は51歳以上が2割を占めるようになった。「増えたのは、成人した子が母親に代わって電話をかけてきたり、母親に相談を勧めたりする例です」
67歳の蔡美芳さんは30年前に夫の浮気が原因で別居、夫からの経済的支援も途絶え、家政婦をしながら苦労して二人の息子を育て上げた。暮らし向きは良くなっても夫からの離婚の申し出は断り続けた。「再婚は考えないので離婚しても同じです。自分でやっていければそれでいいのです」
が、成人した息子たちは、離婚して家の所有権を取り戻すよう彼女を説得した(ローンはすべて美芳さんが払ったが名義は夫)。昨年末、弟と友人の代書人による立会いで協議離婚が成立した。
「役所に届けた日、夫に『ハグさせてくれる?大切な息子たちを私に託してくれてありがとう』と言うと、夫は『離婚を受け入れてくれてありがとう。今後、親族の集まりには来てくれよな』と言いました」最後の言葉に夫の詫びが感じられ、美芳さんの長年のわだかまりも消えた。

20年以上ともに暮らしてきた熟年夫婦が、なぜ離婚の道を選ぶのか。その本当の理由は誰にも分からない。
中央研究院欧米研究所の李瑞中さんによれば、アメリカ人は再婚してすぐ離婚することが多いが、浮気を理由に離婚を申し立てる人は少ない。過失がなくても離婚できる無過失主義を採用しているためと、夫婦それぞれが新たなパートナーを持つことを別居制度が保障しているためである。「次の結婚相手が見つかってから離婚となるので離婚後すぐに再婚するのです」それに対し台湾では、別居や冷えた関係のまま夫婦を続ける場合が多い。「台湾の離婚統計は別居者を取り上げず、答える側も実情を明かさないので、統計上の婚姻破綻数は実情より低く、離婚に対する偏見がまだ大きいことがわかります」という。
荘喬汝さんは、女性が浮気すると社会からより非難を受けやすいと考える。歌手の高凌風の妻だった金友荘が離婚する前、マスコミに叩かれ続けたのが典型的な例だ。
荘さんはこうも観察する。多くの女性は夫婦生活が破綻するとセックスのない生活を送る。必要がないわけではないので熟年になってやっとそれを正視し、浮気に走る。「事の始末をつける自信もできて、母として妻としてやるべきことはやったと思えるのかもしれません。或いは、もう何も失うものはないと思うのでしょうか」

中年になると時間のありがたさに気付き、心をより豊かにする経験をしたいと思うものだ。
男性も傷つく側であり得るが、彼らも伝統的道徳観に縛られ、ただ耐え忍ぶことになる。
離婚10年後の陳さんは、17年間の行き詰った結婚生活と1年半にわたる離婚協議を思い出し、「結婚制度とは恐ろしいものです。ばたばたと結婚し、別れるのは難しく、同居が義務なのですから」と嘆く。離婚後、独身貴族だと周囲にうらやまれるが、見合いなどは一切断っている。「恋愛は縁だと思うし、結婚は謹んでお断りです」
陳さん(男性)は29歳で結婚、事業も順調で子供も二人できた。「結婚して数年で性格が合わないと気づきました。彼女は人に指図するタイプ。しょっちゅう切れるのが精神的虐待でした。つねられたり叩かれたり、花瓶を投げることもありました」悩みを人に打ち明けないタイプの陳さんは、悩み相談に電話したこともあったが「3度かけていずれも通じず、あきらめました」という。自分を変えてみたり、海外旅行や短期別居も試みたが、妻からはますます冷たく、きつい仕打ちを受けた。
「結婚は神聖なものと思い、続けることにこだわり過ぎていました。今思うと早く離婚すべきでした。子供たちにはいつか、結婚が絶対維持すべきものではないこと、そして離婚しても彼らへの愛情は変わらないことを理解してほしいです」
著名な精神科医の王浩威氏はインタビューでこう語っている。台湾では夫婦間に多くの「恨みつらみ」が存在し、この「恨み」は「恩」と表裏一体になっている。アメリカの心理学者ジョン・ゴットマンは、夫婦が3年内に離婚するかどうかを見極める指標をいくつか挙げているが、そのうちの一つが「互いに知らずに相手を低く評価している」というものだ。しかし、これは台湾では通用しない。「台湾では非常に日常的なことです。我々の結婚は愛とはやや距離があり、むしろ社会や家族に関わることなのかもしれません」

「私たちはみな経験者」――婚姻問題の相談に乗る晩晴協会は、女性同士が支え合う温かい雰囲気に溢れ、離婚した女性を支えてくれる。
いずれにせよ、離婚の責任は双方にある。人に告げる理由は、都合の良い方便に過ぎない。
結婚生活で生じた感情のもつれを一気に解消するのは難しく、時にはカウンセラーの手を借りて徐々に関係の修復を図る必要がある。努力すべきは、関係の更なる悪化を避けることで、別れるにしても良い別れ方にすることだ。
荘喬汝さんによれば、女性団体の訴えで台湾の離婚制度は改正が進められてきた。かつては協議離婚と裁判離婚の二つの道しかなかった。だが協議離婚は規制が緩過ぎ、弱者への保障に欠けていた。また裁判離婚は厳し過ぎ、過失のない側からしか訴えを起こすことができず、しかも判決後、双方そろって役所で離婚手続きをしなければならなかった。深刻なのは「相手の過失を証明しようと法廷で双方を罵り合い、関係はますます悪化、子供にも悪影響を及ぼす」ことだった。
だが2009年には台湾の裁判離婚にも調停制度が導入され、財産や子供といった問題を一つ一つ調停にかけるようになり、時間も短縮された。
では、アメリカのような無過失主義を取り入れるべきだろうか。反対者は、弱者である女性への保障がなくなるという。荘さんも、欧米とは事情が異なるので安易に導入すべきでないと考える。
「離婚は多くの女性にとって財産の問題というより感情の問題なのです。夫を愛していなくても心にはこだわりがあります」荘さんは、ある中年夫婦のケースを挙げる。夫の方が離婚を訴えたが妻は頑として同意せず、訴訟は2年続いて双方ともに巨額の弁護士費用を費やした。ところが夫の負けと判決が出た途端、妻は離婚に同意した。「こうしたことを経てやっと癒される人もいます。感情的に納得する必要があるのでしょう」
愛の代償晩晴婦女協会のベテラン指導員である葉陶静さんはこう指摘する。離婚後は双方とも大きな心理的調整が迫られる。新たな関係への恐れや自信、過去の婚姻がうまくいかなかったことへの考察や理解、新生活への具体的な希望、親子関係の修復、双方の家族との新たな関係作りなどを処理していかなければならない。
「離婚教主」と呼ばれる作家の施寄青さんは、まだ保守的だった1990年代初めに自分の離婚経験を本にし、晩晴協会を設立した。20年を経た今、二人の息子と共著で『僕の母さんはブランド』を出版、それぞれのエッセイとしているが、家族が傷を癒す生々しい過程が綴られている。
次男の段奕倫さんは「最初は、母がいかに口うるさく、平凡な母親に過ぎないかを書こうと思っていたが、母の若い頃の経験を思うと、本当に勇気があり強い女性だからこそ一人で切り抜けられたのだと思う」と書く。書きながらよく泣いたと言う施さんは「自分は怒りによって心の奥の悲しみを隠してきたのだと気づいた。この悲哀は、父を失い、母とのふれあいが少なかった生い立ちによる。それがその後、息子たちの成長にも深く関われなかった悲しみへとつながった。今ついにそれを吐き出したことで、自分の怒りは言葉にし難い悲しみによるものだと気づいたのだ」と綴る。
20年を経て、子供はたくましく成長し、離婚経験者は暗い過去から歩み出て、家族も傷口を癒す新たなエネルギーを見出した。
熟年離婚は個人や家庭、社会にとってプラス面もある。既婚、独身、離婚経験、シングルペアレントに関わらず、人との関係を見つめなおすことになるからだ。男女平等、多元的な社会は皆の望むものである。