追い詰められて奇跡を起こす
返済不要の全額奨学金をを受けて博士号を取得した彼は、今では70件余りの特許を取得し、医療機器分野で指導的立場にあるが、当初はジョンズ‧ホプキンス大学(JHU)に進学できるなどとは思ってもいなかった。
強い思いから「試すだけ試してみよう」という思いで入学を申請したところ、JHUから最初の関門である電話でのインタビューが受けられた時はうれしくてたまらなかったと言う。英語が得意ではなかったので、メモを見ながら答えた。「思いつく限りの質問を想定してメモに書き出し、それを小さな部屋の壁いっぱいに貼っていました」
この最初の関門にパスすると、JHUが飛行機代などを全額負担して大学での面接を受けることになった。そして3日にわたる面接が行なわれた。事前にレポートを準備し、各学科の教授から現場で質問が出され、学識の幅と深さが試された。
そして1ヶ月の後、全額奨学金での入学という通知があり、王奕嵐は大喜びしたが、本当の試練は入学してから始まった。「博士課程の入学手続の時、秘書からドアを閉めるよう言われ、『あなたは学校設立以来、最も成績の低い学生ですが、潜在能力を重視して破格の合格となりました。どうか先生方の期待を裏切らないでください』と言われました」と言う。大学からは、すべての課程を受けるよう求められ、ゼロから始めなければならず、彼は寝食を忘れて必死で勉強した。疲れ果てて本を抱いたまま眠る日々だった。
「私の弱点は数学と物理で、材料物理性質という科目ではC+しか取れませんでした」これでは博士課程が求める最低Bという成績に満たない。「指導教授のDr. Michael S. Yuに感謝しています。先生は私を信頼して保証してくれ、追試の機会をくださったのです」彼は、自分を助けてくれた多くの人の期待に応えなければと決意する。そして今「過去の痛みが今日の夢をかなえる」という思いを後輩たちに伝えている。
化学を専攻していた王奕嵐は、恩師に啓発され、世の人々を救うためにバイオメディカルの大学院に進んだ。(王奕嵐提供)