人口1800人余り、面積は台湾の6分の1の上海は、世界でも最も密集した道路網を持つ。3000以上の道路が交錯し、毎日200万輌以上の車が行き交う。
歴史的に各国の租界が集中していた上海では、道路も租界ごとに管轄し整備していたが、改革開放後は経済成長が著しく、既存の道路網では経済的需要に追いつかなくなった。その膨大な交通量に対応するために、1990年から上海市内には「口」の字の環状快速道路が建設され、さらに南北と東西に伸びる「十字」型の高速道路が建設されて、併せて「申」の字の交通網が形成された。空から見下ろすと、これらの道路網は大きく開いた花のように見える。黄浦江を渡ってその両岸を結び、さらに先へ伸びて、繁栄する金融街と住宅地を血管のように結んでいる。
初めてこの街を訪れた人は、タクシーが時速70キロ以上の高速に制限された市内高速道路に入ると東西南北の感覚を失ってしまう。運転が早すぎるため、目的の出口を見逃したら思いがけないところまで連れて行かれ、大変な思いをしなければ目的地にたどりつけなくなるのである。
上海に暮らす60万人の台湾人ビジネスマンとその家族にとって、子供の学校を選ぶ際、台湾人学校とインターナショナルスクール、そして現地の学校の間で迷うことになる。それは高速道路で出口を探すのと同様、リスクに満ちていて、その選択によって異なる人生が待っている。それはビルの立ち並ぶ外灘かも知れないし、住居が密集する路地かも知れない。
台湾海峡両岸の交流が始まって20年、駐在員家庭の多くは「単身赴任」から「一家団欒」そして「現地に根を下ろす」という段階を歩んできた。それにしたがって、子供の教育が大きな課題となっている。
2000年に広東省東莞;に台湾人学校が設立され、台湾人ビジネスマンが最も多い珠江デルタと長江デルタには現在、台湾人学校が3校ある。これで駐在員の悩みの一部は解決されたが、転校を繰り返す子女が跡を絶たないのはなぜだろう。台湾の教育システムに属さない学校を選んだ子供は、どのような将来を求めるのだろうか。
2009年1月下旬に台湾で行なわれる大学入学学力テストまで100日を残すのみとなった。方冠皓;はベッドから降りると、胸にたまっていたプレッシャーを吐き出すかのように、大声で3回叫んだ。学校が始まって以来、毎日放課後の補習と自習があり、宿舎に戻ってからは「夜間学習室」へ行ってまた勉強する。すべては第一志望、新竹の清華大学生命科学科に入るためである。
昆山の華東台湾人学校に通う彼は、両親とともに江蘇省に移住して6年になるが「絶対に大陸の大学には行きたくありません。必ず台湾の大学に合格します」と言う。3年前の高校受験の時、台湾の中学基礎学力試験の成績が良かったら台湾に戻ってもいいと親が約束してくれ、台中二中に合格したのだが、親はやはり家族は一緒に暮らすべきだと考え、台湾の学校に行かせてもらえなかった。

人それぞれ
大陸の学校にどうしても馴染めない方冠皓;さんによると、昆山の示範中学に入ったばかりの時、大陸の先生に非常に厳しくされたが、彼は簡体字は「文化がなくて醜い」と感じ、どうしても教科書を開く気にもなれなかったという。それに、生徒は全員赤いネッカチーフを巻くことになっていたが、それも嫌でたまらなかった。
毎週1時間の政治の授業も聴く気になれない。自分とは何の関係もない毛沢東の思想や鄧;小平の小康社会建設などには帰属意識が持てない。
中2になって、政治の授業のない国際部に移った。しかし国際部の授業はすべて英語で行なわれ、物理や化学はなくて科学という授業があるだけだ。大学進学を考えて、結局は台湾人学校に転校した。
方冠皓;さんの事例は、広大な中国大陸で生活する台湾人生徒の一ケースに過ぎない。大陸にはどれだけの台湾人生徒がいて、どの地域に分布し、どのような学校に通っているのか。両岸の政府ともに精確な数字は把握していない。しかし台湾企業が投資している地域から見ると、台湾人が最も多く住んでいるのは発展著しい長江デルタと珠江デルタであろう。
中国商務部の統計によると、現在大陸には7万6000社の台湾企業があり、大部分は沿海都市に集中している。中華民国経済部の統計を見ると、2000年以降、台湾企業の投資地域は「珠江を捨てて長江へ」という傾向が見られる。2008年の1-10月、上海と江蘇省への投資額は対中投資の58%を占め、二位 の広東省(12.8%)の4.6倍に達する。
台湾企業1社当り10人の台湾人幹部を駐在させているとして、さらに第三国経由の投資や外資系の台湾人幹部なども加え、また個人で商売をしている人も加えると、大陸の台湾人ビジネスマンの数は80〜100万人に達する。その各家庭に平均1.2人の子供がいるとすれば、少なくとも100万人以上の子供の親が大陸で生活していることになる。もちろん学齢前の子供もいれば、台湾に残って学校に通う子供もいるが、少なく見積もっても10万人の台湾人の子供が大陸の学校に通っていると考えられる。
しかし、上海と昆山の2ヶ所の台湾人学校の生徒数は1220人、最も早く設立された広東省東莞;の台湾人学校の生徒は1436人で、3校を合わせても2700人に過ぎない。
言い換えれば、大陸にいる台湾人生徒の大多数が、居住地域や進学などの考慮から台湾人学校ではない、別の教育体系の学校に通っていることになる。このように台湾の教育体系に属さない学校に通う子供たちは、どのような人生を歩むのだろう。

東西の教育を融合させた私立中芯(SMIC)学校には、現地の教員が教える中文部と、外国人教員を中心とする国際部がある。国際部の生徒の多くは、SMICの外国人社員の子供や帰国子女で、誰もが明るく自信に満ちた笑顔を見せる。台湾人駐在員の憧れの学校である。
増える選択肢
台湾海峡両岸の交流が始まって20年、初めの頃、大陸の制度や市場を模索していた台湾人ビジネスマンには多くの選択肢はなく、多くの人は子供をインターナショナルスクールに通わせていた。
12年前に、夫の仕事のために小学1年と2年生の息子を連れて上海に移り住んだ葉素珠さんは、子供のために後戻りのできない道を選んだ。
当時は台湾人学校もなく、大陸の教育制度も良くなかったので、上海浦西にあるアメリカンスクールに入学させた。台湾のアメリカンスクールは、親の1人または子供自身がアメリカ国籍でなければ入れないが、大陸では域外人に位置づけられる台湾人の子供は、各国が設けたインターナショナルスクールに入ることができる。
入学は難しくないが「最初の年、息子はほとんど英語を話せず、聞き取ることもできず、家に戻ると、台湾のおばあちゃんのところへ帰ると言って泣いていました」と葉さんは言う。そこで葉さんは1時間45米ドルという費用を払って外国人の家庭教師を雇い、少しずつ適応させた。
こうして2人の息子は小学校から中学までアメリカンスクールに通ったが、高校に入る頃、「中国の急成長」を見て取った夫は、子供の中国語能力が劣っていることを不安に感じ、今度は現地の学校に通わせることにした。宿題や試験が多く、古文を暗誦しなければならないことも分かっていた。中国語の読み書きの基礎が不十分な息子たちは、試験でしばしば40点しか取れなかった。「もう英語で勉強する基礎ができていたのを、無理やり中国語に戻したのですから、また適応不良になりました」と葉さんは言う。
葉さんによると、当時転校を決めたのは、アメリカンスクールの学費が高すぎ、大学の学費まで使い切ってしまうのが心配だったからでもあるという。アメリカンスクールの1年の学費は4.5万米ドルで、当時のレート1米ドル8.5人民元(35台湾元)で計算すると10年で3000万台湾元以上にもなり、上海で高級マンションが買える金額になる。
日本文化が好きな長男は、今は東京にあるアメリカのテンプル大学日本校に通っており、次男はシアトルのワシントン大学にいる。2人の学費と生活費を合わせると年間250万台湾元だ。葉さんと夫は子供たちに、大学卒業までは面倒を見るが、それ以降は自分の力でやってくれと話してある。

どこの学校に通おうと、親にとっては子供たちの明るい笑顔こそ最大の喜びである。
インターナショナルスクール
中国大陸に外資系企業が増えるにしたがって、中国から海外留学していた人々も帰国して就職するようになり、インターナショナルスクールも増えてきた。中国にはアメリカンスクールだけで7〜8校ある。
1997年、上海のインターナショナルスクールは7校だったが、今は23校(うち5校は上海教育局に属する示範学校国際部)あり、幼稚園から高校まで12年の中国語と英語のバイリンガル教育を提供している。
上海市の西南の閔;行区には、アメリカ、イギリス、日本、韓国、シンガポールの学校があり、カナダの学校も設立される予定で、すでにインターナショナルビレッジとなっている。2010年に上海万博が開催される前に、上海市はここに極東最大の駅を建設して北京までわずか4.5時間のリニアモーターカーを走らせる予定だ。
これだけインターナショナルスクールがあるので、経済的に余裕があり、教育を重視する台湾人は、さまざまな学校を見学し、子供のために少しでも良い教育環境を選ぼうとする。しかし、選択肢やルートが多すぎるのも困ったものである。どの学校を選ぶか、どんな入試があるのか、筆記試験と面接では何が問われるのか、英語のレベルはどの程度必要なのか。さらには上海示範学校国際部に入るにはコネが必要なのか、学校から求められる8万人民元の寄付金はどうするべきかなど、悩みは尽きない。

東西の教育を融合させた私立中芯(SMIC)学校には、現地の教員が教える中文部と、外国人教員を中心とする国際部がある。国際部の生徒の多くは、SMICの外国人社員の子供や帰国子女で、誰もが明るく自信に満ちた笑顔を見せる。台湾人駐在員の憧れの学校である。
正統な選択――台湾人学校
上海には台湾人学校が2校あるので、大部分の台湾人家庭の第一の選択はここだろうと思われるかも知れないが、実はそうではない。学費の高いインターナショナルスクールではなく、台湾人学校を選ぶのは、主に収入が中位の一般駐在員である。彼らは駐在期間が限られているため、台湾人学校の生徒は短期間で転校することが多く、教員も安定しない。
設備面を見ても、建設費2億台湾元、生徒数わずか433人の上海台湾人学校は、閔;行区のインターナショナルスクールビレッジの中では、やや見劣りがする。
5年前、教育関係出身の理事長がいないと学校を開けないというので、台湾人学校は天津在住で台湾の秀朗小学校の元校長である張培方氏を招いた。台湾人の教育のためにと、80歳の高齢の張氏はこの重責を担い、学校設立に奔走した。
「新しいレストランと同じで、料理がおいしいかどうか分かりませんし、新しい店ができたことを知らない人もいるのが現状ですから、生徒はもっと集められるはずです」と張培方理事長は言う。台湾政府は、台湾人学校に子供を通わせる親に1学期1.5万元を補助しているが、学校の設備は同じ地域のアメリカンスクールやシンガポール人学校と比較するとまだまだで、政府や企業や親のサポートが必要だ。
「新学期が来るたびに、多くの生徒の生活環境が変わるので胸が痛みます」と話すのは、昆山にある華東台湾人学校の曾雪娥校長だ。この9月にも、ある上場企業の駐在員4人が台湾に帰国することになって転校手続をしたばかりだ。2008年、同校には102人の生徒が転入し、そのうち現地の学校から来た生徒が38人いた。
曾校長によると、ここ数年、台湾人学校に入学する小学生が減少し、中高生がやや増加する傾向にある。多くの親が、小学校教育は台湾の教育体制にしばられる必要はないと考えて他の学校を選ぶからだが、子供の適応不良や現地の学校の試験重視に問題を感じて、結局台湾人学校に転校させる人が多い。
小中学校時代の模索は、時間や金銭の浪費にはなるが、通う学校がないという事態には至らない。しかし、義務教育ではない高校となると慎重に選択しなければならない。台湾人学校高等部の歴史は短く、その教育が親の期待に沿うものであるかどうかはまだ分からない。
すでに3回、112人の卒業生を送り出している華東台湾人学校高等部の場合、卒業生の7割は台湾の大学、2割は現地の大学の香港・マカオ・台湾人学生向けの入試を受け、1割は海外留学している。生徒の成績にはばらつきがあり、教員の出入りも多いため、安定した教育は難しい。2006年には台湾の成功大学に1人合格し、北京交通大学に1人合格(受験生13人のうち5人合格)したが、その他は両岸の中位の成績の大学に進学している。

赤いネッカチーフは現地の学校の象徴。型にはまった学校の雰囲気に、台湾人生徒はなかなか馴染めない。
中芯SMIC学校
インターナショナルスクールと台湾人学校の他、もう一つの選択肢に東西の教育思想を融合させた私立学校がある。上海浦東の張江サイエンスパークにある中芯(SMIC)学校はその典型的な例だ。
2001年、半導体ファウンドリー中芯国際(SMIC)の董事長でアメリカ国籍の張汝京氏は、上海に勤務する社員のために1億2400万人民元を投じて浦東に12年制の学校を設立した。現在の生徒数は1700人、香港・マカオ・台湾の生徒が65%(台湾人は約700人)、外国人生徒は25%、大陸の帰国子女が10%を占める。
位置付けの明確な同校の国際部では、外国人教師100人(43%)が、テキサス州のカリキュラムにしたがって英語で授業を行なっている。国際部の目標は生徒をアメリカの一流大学に入学させることだ。同校中文部は台湾人学校とは異なり、台湾人の教師もいなければ、台湾の教科書も使わない。中国の教育法に従って現地の教員と現地の教科書を採用している。しかし、生徒は台湾人であるため、そこに矛盾が生じる。
「台湾の親は勉強が大変過ぎないこと、楽しく学ぶことを要求しますが、大陸の先生は、そんなやり方では入試に受からないと言います。親の要求も一致していませんし、学校側は大変です」とある親は言う。
大陸で特優教員に選ばれたこともある鄭延定校長は、同校の創設理念は東西融合、知識と全人的発展を並立させることだと説明し「勉強の負担はありますが重すぎず、先生は生徒に要求はしますが、生徒は楽しく学べるというものです」と語る。
このために中文部は4年前にカリキュラムを大幅に修正し、香港・マカオ・台湾の学生のニーズに合うものに変えた。学校は台湾の龍騰社の教科書と、中国人民出版社と上海華東師範大学版の3種類の教科書を研究した。全てに共通する内容は採用(65%)し、その他は大陸の大学共通入試綱領で補充し、独自のカリキュラムを組んだ。
2007年、SMICの高校3年生は大陸の香港・マカオ・台湾人学生対象の大学入試を受け、7人が全員合格、うち2人は難関の上海復旦大学に合格した。
中国大陸の学校教育の厳しさをよく知る鄭延定校長は、台湾の生徒が現地の学校に入ったら、どんなに優秀でも耐えられないだろうと話す。大陸の高校・大学入試は「千万の軍馬が1本の丸木橋を越える」ような狭き門なので、1点のミスでも命取りになるからだ。
同校中文部中学から2007年には2人、2008年には3人が大陸の名門、建平高校に合格した。親は喜び、生徒も意欲に満ちていたが、1週間もたたないうちにSMICに戻ってきた。勉強の要求も価値観も、まったく違うからである。

幼年時代が終わると、前途に関わる進路を選択しなければならない。すでに3回卒業生を出している昆山華東台湾人学校では、7割が台湾への進学を希望し、2割が大陸に残る可能性があるため、台湾と大陸の両方の教科書を使っており、勉強は大変だ。
現地に根を下ろす必要はない
一般に大陸の学校教育は台湾のそれより「早く、深い」。算数の場合、小4で一元一次方程式、小5で不等式、中1で三角関数を学ぶという具合で、台湾より1年半早い。国語でも文語が3割を占め、現代文学でも梁実秋、魯迅、銭鍾など1930年代の作品が多い。
台湾人の親の多くが子供を現地の学校に通わせたがらないのは、競争が激しすぎること以外に、両岸の政治思想と体制の違いが子供のアイデンティティを混乱させるのではないかと不安に感じるからだ。
台湾師範大学出身で、東莞;台湾人学校で教えた経験のある陳鏗;任さんと呉建華さんは、2005年に小学5年生17人にじっくりインタビューをしたことがある。17人のうち3人は現地の学校に4年半以上通った経験があり、説教に近い「政治」の授業について「退屈」「教科書に出てくる中国の英雄は崇拝したくない」などと話した。また17人の台湾の記憶という部分では、休暇には帰省しており、故郷のイメージは親しみやすく魅力的なものだった。
エスニック・アイデンティティを研究する中央研究院歴史研究所の王明珂;研究員は次のように指摘している。移民グループは「構造的記憶喪失の温床」だが、故郷の記憶は数世代を経てしだいに消えていくものである。また、家族や集団のルーツと関わる活動を通して新たなアイデンティティを生むこともできる。こうした新たな記憶の創出の背後には、感情と理性を併せた選択がある。
現在の状況を見ると、大陸に暮らす台湾人の親は故郷への想いを抱いており、子供たちも台湾の生活を理性的に評価しており(台湾の方が安全で清潔、人々は礼儀正しいなど)、台湾人駐在員の子供にアイデンティティの問題はないようだ。
子供たちの心が台湾とつながっているのは良いことだが、それは現地社会に入る障害にもなる。中国がすでに新興の強権となり、教育制度や観念も進歩しつつある中、現地の学校を選択する台湾人が増えていくのは抑えられない趨勢だ。大陸の一般の学校にどう適応していくかは、次の大きな課題である。
2004年、夫が上海のPC小売ルート百脳匯;商場に赴任した時、周素燕さんは小1と小4の娘を連れて夫と共に上海に移住した。2人の娘はSMIC学校中文部で楽しく2年を過ごした。宿題も多くなく、あまり勉強しなくてもクラスで1位の成績が取れた。しかし、長女の怡静さんが小学校を卒業する時になって、そのままSMIC中等部へ進学する生徒がクラス30人のうち3人しかいないことを知った。他の親たちは中文部で楽をしていたら後で困ることになると、子供を転校させることにしたのである。
そこで周さんは、勉強の要求が厳しい同校の国際部に転入させようと思ったが、英語の筆記試験で90点以上要求されるところを66点しか取れず、他の学校を探すほかなかった。現地の学校でもいいと思った周さんは、長寧区に新設された天山中学の設備が良いのを見て問い合わせたが、すでに定員は埋まっていた。上海の台湾事務弁公室から、定員に余裕のある仙霞中学を勧められ、筆記試験を受けて入学が決まった。
「入学したばかりの頃、娘は口を聞かず、一日中しかめっ面をしていて、いつSMICに戻れるのか、とばかり聞いていました」と言う。周さんは心を鬼にして「もう、ここに家を買ったんだから、SMICまで毎日往復に3時間もかけられない」と言い聞かせた。
幸い、若くて熱心な担任の先生が怡静さんを励ましてくれた。彼女がSMIC時代のクリスマスパーティを懐かしんでいるのを知ると、この先生は学校の規則に反し、教室を閉め切ってパーティを開き、歌を歌ったりプレゼントを交換したりして楽しい一時を過ごさせてくれた。こうして、負けん気の強い怡静さんの成績は上位まで伸び、学校で賞を取るまでになった。担任の先生は「共産主義青年団」に彼女を推薦しようとしたが、周さんが「私たちは台湾人なので」と言うと、先生も理解してくれた。
周素燕さんは、夫の仕事に大きな変動がない限り、娘たちは大陸の大学に入学することになるだろうと言う。

幼年時代が終わると、前途に関わる進路を選択しなければならない。すでに3回卒業生を出している昆山華東台湾人学校では、7割が台湾への進学を希望し、2割が大陸に残る可能性があるため、台湾と大陸の両方の教科書を使っており、勉強は大変だ。
新「孟母三遷」
子供たちがぶつかる問題は似通っているかも知れないが、子供は一人ひとり違い、全員にあてはまる答えはない。幼い子供は自分では決められないため、親と共に引っ越すことになるが、反抗期になると、それも順調にはいかない。
「どこの大学に進むか。この前提を考えておかないと、今後の道を決められません」と上海駐在の親の多くは言う。
だが、ものごとは計画通りにいくとは限らないため、子供にはどんな学校でも適応できるよう、心の準備をさせておかなければならない。しかし多くの親は、慣れ親しんだ良い教育環境を子供から奪ったと負い目を感じており、何事も子供の要求に従ってしまい、かえって方向を見失うことも少なくない。
張さんの下の娘は中1の時にはSMIC中文部に通っていたが、子供は国際部からアメリカの大学に進めるのに憧れて転入試験を受けたが合格しなかった。そこで中3になってから、上海中学国際部に入った。だが現地の学校に馴染めなかったのか、卒業時にはまた考えが変わり、どうしても台湾に戻って高校に入ると言い出し、親を困らせた。母親は、あちこちで台北の私立高校の情報を集め、ついに父親一人を大陸に残して下の娘と一緒に台湾へ戻ることにした。その前年から長女は台南の成功大学に通っており、一家は3ヶ所に分かれて暮らすことになった。
2008年11月初旬、海峡交流基金会と海峡両岸関係協会が4項目に合意し、直行便については、就航地が現在の5ヶ所から21ヶ所に増加、便数も週108便へと増えることが決まった。航路が直線化されれば桃園から上海まではわずか80分になる。両岸が「日帰り圏」になることで、大陸に駐在する父親が週末には台湾に戻って家族と一緒に食事ができるようになれば、駐在員の家族も安心して台湾に暮らせるようになるのだろうか。それによって、大陸の学校に通う台湾人生徒が減るかどうかは、今後の観察が必要だ。
親の仕事の後を追って台湾の多くの子供たちが郷里を離れ、曲がりくねった道を歩みつつ広い世界に触れている。彼らの将来は、台湾で育った子供たちと大きな違いはないかも知れないが、この異郷での歳月は人生において忘れられない記憶となることだろう。

目がくらみそうな上海の夜景の陰に台湾人家庭の悲喜こもごもがある。

上海市閔行区のインターナショナルスクール・ビレッジにある台湾人学校。創立3年で生徒は小学生を中心に400余人、規模は今後も拡大する可能性がある。