田園の化学変化
だが、長年の考え方はすぐに変えられるものではない。息子が突然農耕方法を変えると言い出し、近所の農家からの理解も得られず、50年も農業をやってきた父親と息子の意見は対立した。
そこで江申豊は、無農薬の農業が環境に良いだけでなく、市場でも受け入れられることを証明しようと考えた。「台梗9号」と「益全香米」を栽培し、従来の流通ではなく、ネットと人脈で販売した。
だが3000坪ほどの水田で一期の収穫は4万元ほどにしかならず、撮影の仕事で生活を維持しなければならなかた。『セデック・バレ』の撮影中、中国大陸から来ていたスタッフが宿舎で自炊していたので、江申豊が「台梗9号米」を食べてもらったところ、彼らは帰国時に台湾米を30キロずつ持ち帰ったという。
農家の人々にとっては、その作物をおいしいと言ってもらうことが何より嬉しいという。
人口流出で高齢化が進む雲林県にもUターンの物語がある。雲林県元長郷五塊村の地域発展協会で理事長を務める呉永修は、「読冊館」を開いて村の高齢者や子供、女性たちの力を結集させている。
呉永修はかつて台北の士林電機に勤務し、後に新竹に会社を開いてケーブル敷設の仕事を受けていたが、母親が高齢になり、2002年に帰郷した。
帰郷後もケーブルの仕事を続けていたが、2009年に政府が農村再生計画を開始した時、素人ながら町づくりに取り組み始めた。五塊村地域発展協会の理事長に選ばれて、図書館を作ろうと考えた。
呉永修は、以前から郷里に教育資源が乏しいことを何とかしたいと考えていたのだ。母校である信義小学校を訪ねた時、二階の空き教室が物置と化しているのを見て、ここを本でいっぱいにして子供たちに広い世界に触れさせたいと考えた。
そこで妻と一緒に地域のために働くことにした。地域の高齢者をダンスに連れ出し、さまざまなコンクールを開いたりする彼を見て、呉永修を知らなかった農家の蔡振明は感動し、読冊館の書架や床材のために稲の収入の12万元を提供してくれた。
その後、呉永修は1000坪の温室でトマト栽培を始めたが、高齢農家の考え方や技術が遅れていることを痛感した。そこで農業委員会の農民大学で安全な農業を学んで推進し、仲卸や市場価格に左右される状況を改善したいと考えている。
梁郁倫・鍾順龍夫妻は花蓮に帰郷して母親の炒り落花生の技術を引き継ぐことにした。地域の高齢者や農家と協力し、花蓮の農作物の芸術品を生み出している。