文化の推進
農家や農協は手を携えて三星の高付加価値農業や観光農業を推進しているが、もう一つ、文化に関心の高い人々も三星の文化の再生を目指している。
夏休みのある金曜日の夜、誰もがのんびりと週末を過ごしているときに、パリサラン郷土協進会の6人のメンバーが集まった。台七丙号の省道にパリサという道路名の採用を県が推進しており、その決定のために行われる住民投票への対策に、頭を悩ましていたのである。一軒ごとに宣伝のビラを配って、道路名変更にはパリサの県原案支持を訴えるつもりである。
協進会の幹事黄瑞疆さんによると、全長12キロのこの道路はこれまで13段に分割して命名されていたために、外来の客の困惑を招いていた。そこで県政府では今年道路全体をパリサ路に改名する案を提出したのだが、思いがけずも強い反対に遭ってしまった。進退窮まった県は、それなら住民投票を行なって道路の名称を決定しようということにしたのである。
「パリサとはタイヤル語で美しい竹垣という意味、三星の古名の元になっているものでもあります。それが日本時代になって発音しにくいというのでランがついただけなのです。景色のいいこの道の名称の由来がこうでは困ります」と、黄瑞疆さんは地方政治の力関係が複雑にした問題に、諦めるのではなく、実際の行動に出た。
パリサの語源を確かめようと、宜蘭高校で国語を教える黄さんは、多くの資料を調べた。その結果、清朝の劉銘伝の時代から日本時代まで100年余り、支配階級はパリサを行政区画の名称に用いていたことが分かった。これを拠り所に運動を展開したのだが、住民投票の結果は失敗に終わり、道路名はパリサランに決まってしまった。それでも黄さんは敗北を認め、これまでの運動を郷土の文化的教養を育てていくための過程の一つと見ている。
パリサラン郷土協進会のメンバーは教師、医者、牧師、実業家、果物農家などで構成されていて、1998年に設立された。メンバーの共通の関心事には、三星郷の文化、環境保護、町づくりなどのテーマが含まれ、地域の合唱団の設立や、昔ながらの古木の保護から、太平山森林鉄道の復活運動まで、様々な運動を手がけ、地域復興の理想を抱いて活動している。
「私たちは地域意識を結集し、エネルギーを呼び起こすことを目的としています」と、現会長の温淑玲さんは話す。現在のところでは影響力には限りがあるが、それでも地域意識は日々の積み重ねが大事だと、会に参加して4年余り、その活動の一つ一つの過程に収穫があったと考えている。
たとえば、現代の建築に多い冷たいタイルの文化から石の尊厳を取り戻そうと、会では石畳の道を提唱し、町の人が蘭陽渓で豊富にとれる石を生活に取り込むように運動をしている。今では三星では畦を石で作り、街角では花壇や芝生を石で囲ったりと、石の素朴な美が加わってきた。
吉園圃のシールを貼ったおいしそうなネギは三星ネギの質の高さを示しており、今後の高付加価値農業の方向性も示しているようだ。