講演家としての道
「無懼的力量」はネットで公開されて大きな反響を呼び、わずか1週間で100万回も再生された。多くの人が林欣蓓を知るようになり、華人圏で有名なテレビ番組「我是演説家(私は講演家)」にも出演することとなった。
実は「我是演説家」に出演する前に、林欣蓓は50回以上の講演を行っていた。最初は、基隆市が開催した心身障害者の親のための講座だった。講演の前、障害者の親と言えば30~40代だろうとイメージしていたが、会場に行ってみると70~80代の高齢者が、障害を持つ50~60代の子供を連れて来ていたのである。
その時は講演の経験も少なかったため、自分の経験をどう話せば人を励ますことができるか分からず、客席の人々の目を見ることもできなかったと言う。この講演は失敗だと思っていた時、プロ野球選手の彭政閔と一緒に撮った写真を見せたところ、客席にいた多くの障害者が興味を持ち始め、コミュニケーションが始まった。「その時の衝撃は忘れられません。皆さん、本当に大変なのです。70~80代のご高齢でお子さんに付き添っていて、それは一生やめられないことなのです」ここに来た高齢者は、自治体が主催する講座の機会に一息ついていたのである。
講演が終わると、多くの親たちが駆け寄ってきて林欣蓓に抱き着いた。健常者の講師とは距離を感じるが、車椅子に乗った林欣蓓が自分らしく生きているのに感動したからだ。「私の存在が、一部の人々の希望になることに初めて気づきました」こうして彼女は講演という道を歩むようになり、その結果「我是演説家」の舞台にも上がることになったのである。
テレビ番組「我是演説家」で、彼女は予選から敗者復活戦までチャレンジし、ついに決勝に進出して第2シーズンの優勝者となった。テレビカメラの前で、自分の弱さや劣等感を語らなければならないため、ステージに上がる前から緊張して涙が出ることが幾度もあった。いつも勇気を振り絞って登壇し、自分がどのように障害とともに生きる決意をし、自分を受け入れてきたかを語ったのである。そして、言いたいことを語りつくして心残りはなかった。
広告フィルム「無懼的力量」の中で、林欣蓓は限界を乗り越えてダイビング、パラグライディング、スキーなどに挑戦した。