共食、シェア、持続可能性
方荷生の食事提供サービスは、最初は弁当を購入していたが、後に病院の厨房と協力するようになった。2011年には地域にあった国防部所属の空き家を「南機場楽活動センター」に建てかえて拠点とし、2012年には厨房も作って地域での調理を開始した。大勢の食事を用意するために、方荷生は食材集めに奔走しなければならず、そこから「五餅二魚」の奇跡を生み出した。
彼はまず、スーパーなどで規格外や売れ残りの野菜を仕入れようと考え、カルフールと協力して、売れ残った食材の処理を請け負うことにした。「企業側は、こうした食材がきちんと処理されないことを心配するので、2~3ヶ月、私が食材やパンをどう処理するか見てもらいました」
方荷生はユーモラスに「メニューのない食堂」と言う。どんな食材が手に入るか、その日にならないと分からないからだ。需要が多いため、受け取った食材はその日のうちに食卓に上るので、期限切れという問題は起きないのである。
「こうして企業の信頼を得ることができ、2016年に私が始めてから、今では100軒を超えるスーパーが、この方法で地域の小規模な福祉団体と協力するようになりました。全国のスーパーで行われているのは素晴らしいことです」と言う。
年の瀬などに、企業は高齢者に配布してもらおうと、廟に米を寄贈するが、そのまま腐らせてしまうこともあり、方荷生はもったいないと感じていた。そこで彼はフードバンク(安全に食べられるが流通に出せない食品や賞味期限の近い食品を集め、必要な人に提供する場)を設けることにした。ここへ来れば必要なものを選ぶことができる。フードバンクの取り扱い品目を増やすために再びスーパーと協力し、スーパーの外に「フード募集」のカートを置いてもらった。消費者は自分に不要な品物を寄贈することができ、これによりフードバンクの品数も増える。
彼はさらに地域の店舗を借りてカフェ「書屋花甲」も開いた。本来なら廃棄されていたであろう食材を用いて提供し、また「飛行少年」が働いて収入を得られるようにしている。
みんなでやるから楽しい
方荷生の経験に学ぼうと多くの地域の人が視察に訪れる。ドイツやシンガポール、マレーシア、日本、韓国、上海など、海外とも長期的な交流をしている。彼が20年をかけて構築したシステムのうち、必要な項目を選んで実践し、そこから少しずつ広げていくことができる。
こうした活動の資金源を問うと「私が10元使えば、政府は3元ほど補助してくれます。残りの7元は自分で処理するしかありません」と言う。彼が日々考えているのは「募金」のことだ。「私のやっていることに特許はありません。やる人は誰でも苦労するでしょう」と言う。
「やめれば楽になることは分かっているが、やめてしまったら、ここの子供たちやお年寄りはどうなるのか」と思うからこそ、新型コロナウイルスが流行していても、忠勤里のサービスが途絶えることはない。「地域のお年寄りの旅行歴も接触歴も、私はすべて知っています。お年寄りは、家にこもってテレビの報道ばかり見ていると不安になってしまうので、ここへ来て一緒に食事をしておしゃべりした方がいいのです」
最近は、この南機場団地の再開発が大きな話題になっているが、方荷生には明確なビジョンがある。近くの忠義小学校にはMRT万大線のLG03駅ができることになっており、方荷生は柯文哲・台北市長とすでに話し合い、MRT駅と一体化した「忠義教育社会福祉センター」を建てることが決まっている。その各フロアには託児所や老人ホーム、デイケアセンター、図書館、地域厨房などが入る。祖父母と孫たちが一緒に食事をし、学ぶことができるようになり、2~3年のうちに現実のものとなる。これは方荷生一人の力ではなく、地域全体の力によるものだ。
「書屋花甲」を訪れると、看板猫の「花甲」がいた。下半身が動かず、捨てられていたのを、方荷生が引き取ったのである。弱者の多い南機場地域では、身体に傷を負った動物も誰かが世話をする。ここでは「老をして終わる所有り、壮をして用うる所有り、幼をして長ずる所有り、矜寡、孤独、廃疾の者をして皆養う所有らしむ」という大同の世界が、方荷生の行動によって少しずつ形を成しているのだった。

方荷生は食の「送、供、共」から始め、高齢者の日常生活を支えている。

専門の先生が地域の高齢者に体操を指導する。身体の健康も住民サポートの一環だ。

方荷生は大型スーパーと提携して物資を集め「フードバンク」を設立した。これによって弱者に日用品や食料を提供できるだけでなく、食品ロスを減らすこともできる。

台北市内でも弱者世帯が多いエリアで、方荷生は「大同」世界の構築に向けて一歩ずつ歩んでいる。