国慶節の花火に始まる駁二の転身
三十年前「駁二芸術特区」を知る者はなかった。高雄港第3船渠第2接続埠頭の港湾倉庫は、閉鎖して荒れるままになっていた。それが2000年の国慶節の花火を上げるに当たって、駁二特有のロケーションが注目されたのである。少々遠いが、広い敷地は爆発力を秘めていた。
とはいえ「駁二」の発展は順調ではなく、鳴かず飛ばずの低調期があった。文化局はP2、C5倉庫の2棟を補修すると、地元の人文歴史団体と大学に、南部実験芸術フィールドの試験的な経営を委託したが、当時は注目を浴びなかった。
そのころ台湾全土で文化クリエイティブパークの構想が盛んになってきていた。高雄市は時が来たと見て「駁二」の委託を止め、文化局の企画でオープンスペースの活用を計画し「歩行者天国」と西臨港線のサイクリングロードとで、人々が自由に探訪できるようにした。また、夜間照明を強化して安全性を高めつつ、旧倉庫街に灯が点るアーティスティックなイメージを作り出した。
陳市長は「駁二」でアートイベントを開催する。「高雄青春デザインフェス」「好漢玩字」「スチール・スカルプチャー・フェス」「コンテナアート・フェス」「高雄人が来たビッグフィギュア」といったイベントで、高雄の人々に多彩なアートの洗礼を授けた。
メタルスカルプチャーアーティストの梁任宏は「駁二」はアーティストが存分に才能を発揮できる場だという。広さも実験的な性質もある。自身の作品もその微風と景色の中、多様な媒材を用いて、動きと光と音の複合的な効果を表現した。
「駁二」の展示と公園化は広く市民に愛され、年々成長するイベントと来場者に応えるべく、最初の大勇倉庫区から外へと開発を進めていった。2012年、文化局は更に台糖の蓬莱倉庫を借り受け、翌年、大義倉庫群の使用を開始した。文化クリエイティブ産業と飲食店が続々進出した。
特区の土地には高雄市の既存財産はなく、全て関係機関から借り受けている。各界が行政に信頼を寄せているからに他ならない。それが「駁二」を忘れ去られた片隅から、高雄文化都市の鮮やかなランドマークに生まれ変わらせたのである。
伝統芸術を奨励する高雄市の陳菊市長(後列右から6人目)と史哲文化局長(後列右から5人目)。高雄庄頭芸術フェスティバルで公演した歌仔戯団とともに。 (高雄市文化局提供)