かつて目にした風景が日常のものに
物故した著名作家・葉石濤が「人が夢を見、働き、恋をし、結婚し、ゆったりと過ごす」のにふさわしいと称えた台南には、長い歴史を背景にした文化と、落ち着いた暮らしがある。
創業百年を超える老舗が多い台南だが、観光がブームとなってからは、若者や余所からの移住者も次々と店を開くようになった。こうした新しい店を見ると、ごく狭い空間で経営者の個性と生活態度を強調するものが多く、この町に新たな活力をもたらしている。
台南では老舗にも新たな商店にも、それぞれに独特の「態度」が感じられる。早朝だけしか営業しない牛肉スープの店や、朝の8~9時に開店して午後6時には閉店するカフェもある。もっと長く営業すれば売上も増えるだろうが、足るを知る彼らは生活の質を重視しているのである。他では珍しい経営モデルだが、台南ではこれが主流で、台南らしさが際立つ。
「台南人が教えてくれたのは、あくせく働くのではなく『足りればよい』という態度です」と話すのは「十平」を経営する簡盟殷だ。
長髪で腕にタトゥーを入れた彼は、台北で生まれ育ち、十数年にわたって不動産の営業マンをしていた。38歳の時に初めて台南を訪れたが、縁があって年に20回以上訪れることとなった。
ネオンの冷たい光に満ちた台北の夜と違い、台南の夜はオレンジ色のライトに包まれている。その文化的な雰囲気に惹かれたのだという。
彼は、宿泊した民宿の向かいにある古い家屋を借りて移住計画を立てた。そして2年後、忠義路二段158巷に日本風の丼の店「十平」を開いた。
「十平」と名付けたのは、この古い家屋の面積がちょうど十坪だったからだ。40年にわたって放置されていた吹き抜けのある古い家屋を修繕し、生まれ変わらせたのである。
薄緑色の斑の壁に、斜めの瓦屋根が建物の歴史を物語っている。夫婦で日本から買ってきたグラスや食器、それに台湾の「製陶方式」に注文した丼などがレトロな台湾らしさを醸し出し、また日本の大正ロマンをも感じさせる。
空間は小さいが、必要な物はすべてそろっている。吹き抜けに2階を作り、そこにシンクと炊飯設備、冷凍庫を置き、1階に板場と客席を設けた。客席は10しかないが、身体をひねるだけで必要なものに手が届く空間だ。かつて応募してきた調理師は「こんな小さな空間できちんとした料理が出せるなんて」と驚いたという。
独特の雰囲気があり、手の込んだ海鮮丼を出す十平は、開業から4年で観光客の間で評判が広がった。しかし、簡盟殷は一度きりのお客だけでなく地元の客も大切にしている。近所のお年寄りから子供まで、また南部サイエンスパークの従業員や、地元の老舗である連得堂煎餅や合成帆布行の経営者も彼の店の常連客だ。
お客との交流が好きな彼は、これら老舗の経営者から台南人の気質を学んできた。原則を固く守り、大らかにシェアする態度だ。利益にばかり目を向けて汲々と暮らすのではなく、他者との分かち合いを楽しむということだ。また商売をやりながらも家族との日常生活も大切にする。
「特にうれしいのは、かつて目にした風景が自分にとっての日常になったことです」と簡盟殷は店の前に立って満足そうに語る。