古い市場に再び庶民の風景を
30年余り前、まだ市場が盛況だったころ、製氷店の一日の売上は3000元に上り、複数の小学校へ氷を届けるだけで手いっぱいだったという。しかし、新富市場がしだいに衰退すると商売も下り坂になり、若い世代は辛い仕事をしなくなった。「今は運動のつもりでやっていますよ。お金より健康!」と話す愛嬌おばさんは、巨大なモーター音が響く中で今も毎日氷を作り、切って配達する。新富市場の美しい光景である。
台北市万華区の新富市場の本来の名称は「新富町食料品小売市場」と言い、日本時代の1935年に台北市が建てた屋内市場である。戦後は大勢の軍民が国民政府とともに台湾へ移ってきたため、周辺には人口が増え、多くの人が屋台を出した。新富市場はますます活況を呈すようになり、周辺には平屋や台湾式建築の「半楼仔」などが軒を連ね、新富市場の店舗数は従来の計画の35店舗の上限を超えて周辺の空地にも広がっていった。
1950年代には市場は常に人であふれ、万華住民の生活の中心だったが。しかし、1970年代末には環南市場がオープンし、新富市場周辺の屋台が合法化されたことも衝撃となり、顧客が流出していった。1990年代に入ると伝統的な市場は本格的に衰退し始める。
新富市場にほど近い三水街は人出でにぎわっているのに、新富市場は廃れ、日本時代に建てられたこの建築物は露天商の物置き場となってしまった。そうした中の2006年、この建物の文化遺産としての価値が認められ、台北市によって「市定古跡」に定められたのである。
台北市の市場処が空間を修復した後、2013年に「忠泰建築文化芸術基金会」が新富市場の9年にわたる経営権を取得し、再利用に動き出した。だが当初、この市場に関する資料が極めて少なく、再利用チームは周辺の住民や商店の話を聞いて回り、少しずつかつての市場の様子を理解していったのである。
基金会が進出すると、現地の商店の興味を引き、将来の新富市場ではどんなものを売るのか、出店できるか、などの問い合わせがあった。チームのメンバーは、ここは「売り場」ではなく、伝統的市場の特色をイベントに取り入れて新しい方法で地域とのつながりを持つ、古い市場を感じる空間になると説明した。
そうして2017年3月、「新富町文化市場」へと生まれ変わった。従来の市場の機能はなくなって複合型のクリエイティブ基地となり、飲食、教育、町づくり、市場生活観察といったテーマで一連の展覧会や講座、ワークショップなどの活動を行なう場である。これによって古い市街地に若い世代のデザインと活力をもたらしている。
新富町文化市場の改造を担当した建築士の林友寒は、吹き抜けの巨大な空間を、パイン材や透光素材やガラスを用いて区切り、視覚的に軽快な空間を生み出した。