失敗が次の大会への原動力
時は一年前に遡る。2015年にシアトルで開催されたWBC予選ラウンドで、人手が足りなかった呉則霖は、やむをえず準備した試合用のミルを大会スタッフに運んでもらった。その移動のせいで事前設定したミルの目盛りが狂ったらしく、ステージの下で見守る奥さんの盧嘉綺はコーヒーが落ちるスピードが異なることに気づいた。ステージ上の呉則霖も当然異変に気付いたが、落ち着いた態度で笑顔をたたえながら、コーヒーを審査員の前に運んで行った。
審査結果を待つ間、彼は不安気な奥さんの元に戻って、しっかりした口調で「来年また大会に参加しよう」と励ました。
審査結果は決勝ラウンドに進めず、盧嘉綺は涙にくれたのだが、呉則霖は自分の採点表を見ながら、成績は悪くない、ミルの調整が不正確だっただけなのだから、来年は結果を出せると慰めた。
しかし、この大会参加のために、呉則霖は8年前から準備を開始していた。
2008年に初めてデンマークでWBCを見学した彼は、各国のバリスタの技術に驚き感動した。ステージに居並ぶ一流のバリスタを見て、自分もここに立ちたいと思ったと語る。
2009年から毎年参加している。最初の2年は負け続けだったが、2013年から台湾で連続3年優勝し、2014年に初めて台湾を代表して参加した世界大会で7位の好成績を収めた。2015年の失敗にもめげず、2016年にはついに「アイスホルダー」と「窒素利用のエッセンスオイル」の独自技術で、審査員より最高点を得て優勝した。
パナマのフィンカ・デボラ農園のゲイシャ豆。呉則霖は大会前に特にこの農園を訪れて豆を選んだ。