大陸からの観光客
60余年前に樹木を伐採した日本人は去り、それを林管処が接収してから20数年の間、阿里山には多くの人が訪れ、ここを新婚旅行の目的地に選んだ人も少なくなかった。
しかし1979年に国民の海外旅行が自由化されると、飛行機で日本へ行く方が列車で阿里山に登るより近くなった。さらに1987年に戒厳令が解除され、それまで一般市民の立ち入りが禁止されていた海岸や山地が次々と開放され、各地の自治体が町づくりや文化遺産などを中心に新たな観光スポットを次々と開発するようになった。こうして阿里山を訪れる人は次第に減り、中年の人々の記憶の中の存在と化してしまった。それが昨年7月に中国からの観光客が訪れるようになり、にぎわいを取り戻したのである。
大陸からの観光客のおかげで、今年阿里山の行楽客数は60数年来の記録を更新した。桜の季節の日曜(3月22日)には2万7000人余りが森林遊楽区を訪れたのである。
阿里山国立風景区の面積は台北市の1.5倍に相当する4万ヘクタール余り、梅山、竹崎、番路、阿里山郷にわたる。だが一般に「阿里山」と呼ばれるのは阿里山森林鉄道の終点、標高2200〜2450メートル、面積1400ヘクタールの「阿里山森林遊楽区」だ。
「森林遊楽区の適切な収容人数は1日4000人です」と嘉義林管処長の楊宏志は言う。林管処の統計によると、3月の桜の季節から現在まで、平日は毎日3000人余りの大陸の観光客と900人の台湾人観光客が森林遊楽区を訪れているが、休日になると6000人を超える。
行楽客の多くは朝の9時半に到着して午後2時過ぎに出発する。そのため、その時間帯には交通、駐車場、観光ガイド、食事、宿泊、トイレまでさまざまな問題が生じる。
食事を例にとると、遊楽区内は長年にわたって新たな建設が禁止されてきたため、レストランや食堂をすべて合わせても160卓ほどしかなく、1食で3回転しても3000人しか食事ができないのである。
観光客増加によるビジネスチャンスは観光の質の低下という危機ももたらした。
台湾鉄道観光連盟の事務局長でベテランガイドの陳栄進は月平均2回、大陸からのツアー客を率いて阿里山に登っている。大陸からの観光客にとって、阿里山は故宮博物院に次ぐ人気なのだが、現在、阿里山遊楽区ではまったく人数制限をしておらず、休日には肩が触れあうほど人でごった返し、がやがやとうるさく、旅の質どころではないと言う。
人が多すぎて宿が取れないという問題もある。陳栄進によると、阿里山にはホテルは3軒しかなく、その他の民宿を加えても800室しかない。常に満室で予約が取れないため、山を下りて嘉義市内に宿泊するしかないのである。
阿里山の美しさを「高山青」を通して聞いている大陸の観光客にとっては、あわただしく一回りするだけでは物足りない。
時間(鉄道は4時間、道路なら2時間)と費用(鉄道は片道399元)の考慮から大陸の観光客が森林鉄道を利用することは少ない。冷房の効いた二階建て遊覧バスであわただしく来て帰るだけなので、多くの人は、阿里山と安徽省の黄山を比べても「阿里山は別にどうということもない」と言う。そこで「阿里山へ行かなければ一生悔いが残るが、阿里山へ行けば一生後悔する」と揶揄されるようになってしまった。
大陸の観光客が大勢訪れるようになっても森林鉄道の知名度は高まっていない。
昨年6月からBOT方式で森林鉄道の経営を引き受けた宏都阿里山公司の滕新富副総経理によると、今年3〜4月に上海の旅行フェアに出展したところ、大陸の多くの人は阿里山を知っていても、森林鉄道があることは知らなかったという。
そこで知名度を高めるために、宏都では日本の大井川鉄道とスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道と「森林鉄道3姉妹」として提携する計画を立てている。2011年、阿里山森林鉄道が百周年を迎える時、宏都は文化建設委員会に働きかけ、森林鉄道を世界文化遺産に申請したいと考えている。
風が起き、雲が湧く。波打つ海のような一面の雲海は秋の阿里山の絶景だ。