
中国人として初めてノーベル文学賞を授賞した高行健の脚本演出により、台湾で制作が進められている舞台「八月の雪」は、2002年4月に公演が決定してから、国際的な舞台関係者の間で注目を集めてきた。無から有を生む制作の作業は、3ヶ月の訓練期間を通じて公演参加者全員に大変なプレッシャーをかけてきた。受け入れがたい要求、模索、苦悩、打ち続く悪夢の中から、それまでの地位やプライドを捨てて自分を変え、内省を学び、発声や演技の訓練を続けたのである。そして座禅や瞑想、肉体訓練などの過程を経て、潜在意識のレベルから習慣を追い払うことになった。
宗教、自然、ヒーリング音楽に囲まれる中で、メンバーはようやく雲間から漏れる月明りの真の意味を理解していった。「八月の雪」ほど、出演する京劇役者に衝撃を与え、自己革命を迫るものはなかったと言えよう。役者ばかりでなく、ダンス、舞台装置、衣装などの担当者にとってもそれぞれにチャレンジの連続で、しかも初演の日が刻々と迫ってくる中で、これまでになかった新しい演劇の様式が少しずつ輪郭を明確にし、肉がついてきたのである。その結果として、12月19日に台湾で初演されるこの代表作は、高行健と出演者、それに舞台芸術家たちの解釈を通してどのような姿を見せ、観客にどのような新しい感覚をもたらすのだろうか。千年余りに渡って中国人の哲学に溶け込んできた禅の境地が現代の、そして西洋の観客に受け入れられるものかどうか。台湾と世界の舞台関係者や演劇ファンたちが幕の上がる一瞬を待っている。
2002年11月末、ノーベル文学賞受賞者の高行健は「八月の雪」世界初演記者会見において感慨を込めてこう述べた。フランスでは一流のモダンダンサーや俳優を見つけ出せるものの、台湾のように万能の役者、歌えて演技でき、しかもしっかりしたカンフーの動きができる役者はいないというのである。目を世界に向けて探しても、「八月の雪」は台湾でなければできなかった。そして、一番困難な時期はすでに過ぎたので、これまでに例のない新しい演劇を世界の舞台に載せるだけの自信があると自信たっぷりに言葉を続けた。高行健の意気揚々とした態度は、わずか3ヶ月前の稽古開始のときに見せた不安げな表情とは別人のようで、居合わせたジャーナリストに強い印象を残した。
芸術家の雰囲気を常に漂わせ、すでに16本あまりの舞台演出をこなし、中国でもフランスでも劇壇に常に議論を巻き起こす高行健は、長年東西の演劇をその舞台で試行錯誤してきたのだが、そのどれでもない新しい演劇の制作を夢見てきた。それはまったく新しい創作で、演劇ジャンルとしての名称を定めがたく、とりあえず万能の演劇としておくと高行健は説明する。出演する俳優は歌えて踊れて、演技もできなければならず、何でもできる万能役者であることが求められる。この極めて難しい作業を、高行健は自分への挑戦に選択した。

150以上の舞台をデザインしてきた聶光炎氏は、「八月の雪」のステージは一見シンプルだが実は非常に複雑で、今までで最も挑戦に富んだものだと言う。
同じ路は二度行かない
高行健に言わせれば、難しくない仕事にはファイトが湧かないということになる。これまで16本の舞台を演出してきたが、一つとして同じものはなかった。これが悪い癖なのだが、好みでもある。不断の創作へのチャレンジは数え切れない困難をもたらすが、それは結局過ぎていく。難しいことばかりだが、難しいと知って挑戦し、最後には克服するというのが、その時の気持ちである。
わが国の著名な京劇二枚目役者曹復永は、「八月の雪」で神秀の役を演じ、また演出補佐も務める。オペラでも、京劇でもなく、ダンスでも、ましてや現代劇でもないというこの演劇様式の基本的方向性が災いして、曹復永にとっては演出も演技も模索の連続だったが、役者としての難度の方がさらに高かった。そこで出演者たちが高行健に不断に疑問を投げかけるたびに、演出助手で役者でもある曹復永がまず矢面に立たされて、演出家の高行健はその演技や歌唱の欠陥を指摘しつづけたのである。
「私の自信も面子も演出家にぼろぼろにされました」と、40年にわたり京劇を演じてきた曹復永は辛い稽古の日を思い起こすと、なお動悸がするようで「演出家は出演者全員の目の前で、わざわざ喉を締めすぎるとか、音程が狂っているとか、裏声を全部なくして地声でやれと言うのです。その時は絶望しました。毎日声が嗄れるまで練習しても駄目を出されます」と話す。
京劇の二枚目役は、裏声が主となっており通常は地声を使って歌うことが少ないのである。そこで1ヶ月余り、毎日声楽の先生と稽古し、喉の音を胸の音に変え、腹に力を入れて頭蓋骨で共鳴させるようにした。次第に大きな声ではなくとも発音がはっきり響くようになり、とうとう演出家の求める声が出るようになった。「こうして一歩一歩やり遂げてきましたが、ほかの人も同じで挫折の繰り返しでした」と曹復永は言うが、高行健も欠点を洗いたてるばかりではなく、時に励まし力づけて、役者に自信を持たせてきたのである。

「八月の雪」のステージのために、六祖慧能を演じる呉興国はすべての仕事をキャンセルし、集中的に稽古に取り組んできた。この舞台は生涯で最大の挑戦だと言う。
新しい演劇に向けて
曹復永によると、この厳しい試練を通り抜けて誰もが見違えるように変り、生気溢れる変化を見せるようになったと言う。もう迷わず、演出家を信頼するようになり「今度の公演を見た観客は驚くでしょう。京劇役者がここまでできるなんて、と」と曹復永は自信に満ちている。
稽古続きで声がつぶれてしまった舞踏家の林秀偉は、振付をやって20年になるが初めて「八月の雪」で駄目を出されたという。しかもそれが数回に渡っており、これからまだ10回くらいは出されるだろうとも言う。京劇役者との共演経験が豊富な林秀偉は、彼らにダンスを振付けることはできるが、「八月の雪」ではダンスではないダンスが求められるのである。これにはさすがの彼女も困ってしまった。一時は、高行健の要求には応えられないのではと迷ったそうである。迷いながらも、それでも役者の身体的動きの指導を続けることにした。「誰もが演出家を信じたのは、彼には方向性があったからです。ついていけば間違いないと思いました」と彼女はここだと言いつつ、頭を指差した。
演出家の要求に応えるため、林秀偉は自分をゼロにし新米の学生に戻って新たに研究を重ねた。辛いことがたくさんあってもそれを心に留めることはなく、むしろ台湾の芸術家がこうして一堂に会して学ぶ機会を持てたことにただ感謝するばかりだという。今回の学習の機会に、これまでの既存の型を崩し、改めて自分を見直すことができた。高行健はダンスの形式や定式化した身体言語を拒絶したので、林秀偉はイメージによる身体言語の表現法を編み出していった。たとえば霧のように漂うとか、夜店の人ごみを走るように動く、体にまとわりつく毒蛇を払いのけるように表現すると、説明することで、役者の身体的エネルギーを引き出し、稽古になると望んだ動きが出てくるようになった。
舞台設計を担当した聶光炎の事情も林秀偉と大して変わるものではない。「八月の雪」はこれまでで最大のチャレンジとなったと語る彼は、自分のデザインというより演出家の意志が彼を通して劇場言語に結晶していったのだと説明する。聶光炎はこれまで京劇、歌仔戯、現代劇、バレエ、オペラなど、150以上の舞台をデザインしてきたが、これほど多くの経験があっても高行健の要求はこれをはるかに超えていたのである。
「これまでになかった演劇、何でもない何か、今までになかった何か」を求められ、聶光炎は確かに難しかったと認める。迷い、途方にくれて、何から手をつけていいか分らなかったが、演出家の意志を探ろうとその作品『霊山』を読み、その絵画作品を研究し、絵画の中から演出家の言う、あるかなきかに見えながら厳然と目の前に存在する意志を探り出した。

1000万台湾ドル以上をかけた舞台「八月の雪」は、演出の高行健氏とスーパー・プロデューサーである陳郁秀氏の協力によって、ようやく姿を見せ始めた。「八月の雪」はすでに世界中から注目されており、その成功が予測されている。
相あるは相にあらず、相なきこそ相
「八月の雪」の舞台設計はごくシンプルだと聶光炎は言う。何も無いように見えながら何でも在るというのが、演出家の課した難題だった。「一番簡単というのが一番難しいもので、演出家は簡素な舞台の中に見えないものが見えてくるようにというのですから。色彩もラインもシンプルですが、出来上がった舞台空間の変化は複雑で、それは視覚に訴える形式ばかりではなく、複雑な内的意義を具えていなければならないということです」と聶光炎は説明する。
高行健は優れた文学者、脚本家というだけではなく、才能あふれる画家でもある。画家のために舞台設計するなんて、根本的に無理難題だったと言う聶光炎は、最初から演出家の絵を大道具に使おうと考えていた。何回かの討論を繰り返して、やっと高行健の同意を得たが、これで演出家の精神を舞台に取り込めると聶光炎を喜ばせた。舞台設計を通じて、観客は「八月の雪」の時間と空間についての演出家の構想を理解できるだろう。
「八月の雪」の衣装は、アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞した葉錦添が担当し、140点のうち30点が新しくデザインしたものである。これらの衣装は灰色を主とし、どれもほぼ同じに見えるが、葉錦添の手にかかるとそれぞれに工夫が凝らされ、一挙手一投足にも表現が凝らされている。
デザインされた衣装はカッティングからして異なっているが、普通の人にはその違いが見分けられないだろうとも言う。一人一人の衣装はたっぷりボリュームをもって作られ、舞台に立っても役者が小さく見えないように工夫されている。主役の六祖慧能の衣装は全部で5点あって、柴刈り、猟師、和尚などすべて慧能の身分によりデザインされているが、しょっちゅう衣装を換えていると観客に思われないために、シンプルで似通ったデザインを採用した。

林秀偉氏が担当した「八月の雪」の振り付けは、高行健氏から何度も駄目を出され、彼女は一度は大きな壁にぶつかったが、すべてを無に帰してゼロから始めることで難関を突破したという。(楊瞶撮影)
幕開けを待ちつつ
「八月の雪」の衣装デザインを引き受けたときに残された時間はすでに少なかったというのに、まったく新しい演劇に模索しながら、構想がなかなか形にならなかった。これ以上時間をかけたらおしまいと思った彼は、演出家に質問をぶつけつづけたところ、演出家は音楽と役者の稽古のビデオを見せてくれた。この資料をもとに、やっと構想が出来上がっていった。作業を終えて100人を超える出演者の衣装を並べてみた時にはその壮観なこと、自分でも思わず笑みがこぼれてくるのを感じたという。
葉錦添はこれらの衣装について、出演者が動かずにじっとしていれば一幅の絵になるが、動き出せば無数の変化が現れると説明し、それも東洋と西洋の素材を組み合わせたために生まれてきた思いがけない効果なのだそうである。基本的にはヒロインの無尽蔵の服装の方がずっと複雑で、1点の衣装で舞台を覆い尽くせるほどである。その耀ける勢いは絶対に観客の目を奪うと言うが、また珍しいことに気難しい高行健でさえこの衣装を一目見て気に入って、これこそ自分の求めていたものと言ったのである。
この点については、葉錦添は満面の笑顔を浮かべながら「私と高行健とは互いに芸術の面で交流していくことができたので、互いに負担なく理解できたということでしょうか」と話し、理念を理解できれば出来上がったものはより繊細に洗練され、しかも互いの痕跡を残すことなく融合するので、向こうからはこちらが見えず、こちらからは向うが見えないという境地に到達できると言うのである。
一言で言えば、「八月の雪」は無から有を生ずる過程であった。今その苦痛の時期は過ぎ去って、ただ美の世界が残され姿を現そうとしている。この舞台の幕が静かに上がり、これまでに前例のない新しい舞台が繰り広げられようとするのを、私たちは息を潜めて待っている。

衣装デザインの葉錦添氏(左)と演出補佐の曹復永氏(右)も「八月の雪」において重要な役割を果たす。二人は舞台を成功させるために、とことん討論してきた。