新しい演劇に向けて
曹復永によると、この厳しい試練を通り抜けて誰もが見違えるように変り、生気溢れる変化を見せるようになったと言う。もう迷わず、演出家を信頼するようになり「今度の公演を見た観客は驚くでしょう。京劇役者がここまでできるなんて、と」と曹復永は自信に満ちている。
稽古続きで声がつぶれてしまった舞踏家の林秀偉は、振付をやって20年になるが初めて「八月の雪」で駄目を出されたという。しかもそれが数回に渡っており、これからまだ10回くらいは出されるだろうとも言う。京劇役者との共演経験が豊富な林秀偉は、彼らにダンスを振付けることはできるが、「八月の雪」ではダンスではないダンスが求められるのである。これにはさすがの彼女も困ってしまった。一時は、高行健の要求には応えられないのではと迷ったそうである。迷いながらも、それでも役者の身体的動きの指導を続けることにした。「誰もが演出家を信じたのは、彼には方向性があったからです。ついていけば間違いないと思いました」と彼女はここだと言いつつ、頭を指差した。
演出家の要求に応えるため、林秀偉は自分をゼロにし新米の学生に戻って新たに研究を重ねた。辛いことがたくさんあってもそれを心に留めることはなく、むしろ台湾の芸術家がこうして一堂に会して学ぶ機会を持てたことにただ感謝するばかりだという。今回の学習の機会に、これまでの既存の型を崩し、改めて自分を見直すことができた。高行健はダンスの形式や定式化した身体言語を拒絶したので、林秀偉はイメージによる身体言語の表現法を編み出していった。たとえば霧のように漂うとか、夜店の人ごみを走るように動く、体にまとわりつく毒蛇を払いのけるように表現すると、説明することで、役者の身体的エネルギーを引き出し、稽古になると望んだ動きが出てくるようになった。
舞台設計を担当した聶光炎の事情も林秀偉と大して変わるものではない。「八月の雪」はこれまでで最大のチャレンジとなったと語る彼は、自分のデザインというより演出家の意志が彼を通して劇場言語に結晶していったのだと説明する。聶光炎はこれまで京劇、歌仔戯、現代劇、バレエ、オペラなど、150以上の舞台をデザインしてきたが、これほど多くの経験があっても高行健の要求はこれをはるかに超えていたのである。
「これまでになかった演劇、何でもない何か、今までになかった何か」を求められ、聶光炎は確かに難しかったと認める。迷い、途方にくれて、何から手をつけていいか分らなかったが、演出家の意志を探ろうとその作品『霊山』を読み、その絵画作品を研究し、絵画の中から演出家の言う、あるかなきかに見えながら厳然と目の前に存在する意志を探り出した。
1000万台湾ドル以上をかけた舞台「八月の雪」は、演出の高行健氏とスーパー・プロデューサーである陳郁秀氏の協力によって、ようやく姿を見せ始めた。「八月の雪」はすでに世界中から注目されており、その成功が予測されている。