百年前、香港の人口は7000人に満たず、15の漁村があるだけだった。それが今では世界で最も重要なビジネスセンターとなった。貿易と金融の中枢である香港では、植民地時代との別れ方も商業的だった。女王の肖像の切手や、イギリス式のポスト、それに1997の文字が入ったTシャツなどが良く売れた。一方、ドキュメンタリーフィルム「天安門」が2ヶ月にわたって上映され、政治家たちは、香港は決して変わらないと繰り返した。さまざまな声が上がる中、多くの人は過去を振り返り、香港はいかにして今の香港になったのか、これからの香港はどうなるのかを考えた。
「光華」の記事では、政治、歴史、教育、経済、言語などさまざまな面から返還直前の香港を見つめている。その中で、あるタクシー運転手がうまいことを言った。「香港が変わらなければ、中国は変わる。中国が変わらなければ、香港は面倒なことになる」と。それから18年の今日、この言葉は重く響く。
台湾にとって香港の返還は、また別の意味を持つ。「光華」は当時の章孝厳(今の名は蒋孝厳)・外相にインタビューし、香港における「一国二制度」の実施が、台湾海峡両岸関係と我が国の外交におよぼす影響について分析している。また、別のインタビュー記事で、行政院大陸委員会は「現実に即し、誠意と善意をもって、台湾-香港関係および両岸関係を処理する」と述べている。
植民地時代に別れを告げ、香港は中国の一部へと回帰した。この出来事は、珠江沿岸を騒がせただけでなく、その余韻は今も台湾海峡両岸で続いている。
1997年の返還前夜、世界のビジネスセンターという香港の顔は変わらず、街は返還を記念する「97」商品で溢れかえっていた。
1997年の返還前夜、世界のビジネスセンターという香港の顔は変わらず、街は返還を記念する「97」商品で溢れかえっていた。