世界貿易機関(WTO)への加入は、台湾の農業にこれまでにない衝撃を与えた。この2年、農産物の輸入量が大幅に増加したのに対し、輸出は激減している。その原因を探ると、台湾の農業が長年閉鎖された市場にあって、世界に誇れる農業技術があるにもかかわらず、農業を推進する組織やマーケティング能力を欠いていた点があげられる。
WTO加入で、資金と技術力を誇る農業大国に直面し、小規模農家を主とする台湾の農産物が内外の市場で敗退するのも、予想されたことだと言える。
統計の数字は悲観的だが、幸いなことに「果物王国」台湾の農家はまだあきらめたわけではない。世界からの挑戦に向けて、台湾の果物農家は士気を高めて研究開発、生産、販売と新技術導入などに力を尽くし、今では技術だけでなくマーケティングまで学ぶようになってきた。
昔の農家はお天道様次第、あるいは政府の指導で栽培してきたが、今ではマスメディアの情報に注意し、消費者のニーズを研究する。キロいくらの果物ばかりではなく、値段のつけられない農村の経験も売り出すようになり、技術とマーケティングにおける戦略的提携を積極的に模索し、小規模農家の枠を超えようとしている。
競争は冷酷だが、必然的なものでもある。WTOに加入して2年、ささやかれていた衝撃が現実となり、台湾の果物農家も準備を整えて正面対決に向かおうとしている。競争力の向上は一朝一夕にできるものではないが、農業の存続に光がさしてきたのは事実である。
台中県東勢鎮明正里の道端で、張建烘さんの一家がブドウを選別しながら楽しげにおしゃべりしている。きつい客家語なまりに笑い声が混じるが、人々の手は止まることはなく、さらに酒やタバコが順に回されていく。
張さんの家は二階建て、二階が住宅、一階はほとんどが倉庫である。ブドウを包装したり、ミカンを選別する機械を動かすこともある。収穫を終えたばかりのミカンは、黄色く薄い皮が輝いている。果物ナイフを手にした張建烘さんがミカンを一つ切って見せ「皮が薄くて、手で剥くと果肉に傷がつきます」と言う。
張建烘さんは東勢鎮のミカン生産第16班の班長である。家の3ヘクタールの畑には茂谷種とアポロ種のミカン、それにブドウを植えている。この日は手伝いに来てくれた親戚や奥さんと家族とがミカン畑で収穫し、張建烘さんは車で倉庫と畑を往復していた。
収穫したブドウは、整理と選別に人手がかかるが、ミカンは機械と人一人で十分である。ベルトで運ばれてくる茂谷ミカンは6つの等級に分類される。肩幅が広く手足が太い張建烘さんは、ビンロウを噛みながらミカンを買いに来たお客と挨拶を交わす。お客がお子さんはと聞くと、笑いながら3人と答える。
「農家は楽しみも余りないし、夜はすぐ寝てしまうので、子供が多いのですよ」と、傍らに恥ずかしそうにしている長男を指して、将来は弟と一緒にミカン畑を継いでもらうと言葉を続けた。
農作業が大変なのは昔から変わらない。今では子供が農業を継ぎたがらないのが普通であるが、張建烘さんの後継ぎは口だけのことではない。三代続いた農家の彼が楽観的なのには、理由がある。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。
人口が流出してしまう前の昔の台湾の農村にあって、客家の村では相互扶助が発達し、農作業を相互に助け合うのが伝統で、客家人口が大多数を占める東勢鎮も例外ではなかった。しかし農業の発展とともに、以前は親戚や一族が主体であった相互扶助も、地域を単位としたものに変わっていった。
張班長はミカンを明正里と印刷された箱に詰め、次の副班長呉宝来さんの家にやってきた。1965年生まれの呉さんが栽培しているのはブドウで、生産販売班の中で品質管理を担当している。宅急便が作物を詰めたダンボールを取りに来る前に、班員が持ちこんだミカンを検査するのである。
「私どもは明正里ブランドで茂谷ミカンを直販しています。納品するミカンはすべて斑点のないAクラス合格品です」と話す呉さん自身は茂谷ミカンを栽培していない。その彼が品質管理をするので、手作業に頼る管理が公正に行われる。
これまでは明正里でも台湾の多くの果物産地と同じく、生産販売班と言っても生産に重点を置いていた。それが今では販売の役割を担うようになり、品質管理を強化するとともに、宅配便会社と協力して自分たちのブランドを打ち立てるという大胆な挑戦を行い始めた。
この冬、明正里の茂谷ミカンの生産量は多くはなかったが品質がよく、糖度は13度と高い。これに宅配便会社が無料で提供してくれたマスメディア向けの宣伝が加わり、新聞報道があった翌日、電話で注文を受ける係の張鋭瑞さんは一日中忙しかった。
茂谷ミカンは現在台湾で一番値段のよいミカンの品種だ。30年前に台湾大学園芸学科の林樸教授がアメリカから導入したもので、生産地は台湾中南部に広がっている。張鋭瑞さんによると、大安渓と大甲渓の二つの川に挟まれた明正里は、土壌や地形、天候に恵まれており、また20年を越える栽培経験もあって、ここの茂谷ミカンは大きさ、甘さ、色艶とすべて優良品だという。
今回のマーケティングについて、張鋭瑞さんは期待しながらも不安を隠せない。「新聞報道の効果は3日です。旧正月前に売上を伸ばせるかどうかは、これにかかっています」と話す。

高雄県の美濃では高齢の農家の人と消費者が値段の駆け引きをしている。農家の利潤は極めて薄いのである。
地域からマスメディアや消費者まで、施肥、収穫から選別までと、収穫期の明正里は活気に溢れている。これまで農家の人々の話題は栽培に限られていたのだが、今ではマスコミに関心を持ち始め「消費者」という言葉が口をついて出てくる。「果物は品質ばかりではなくブランドが必要です。これまで質はよかったのにブランドがなく、普段でも利潤は低いのに、豊作になると値段が下がって利益が出なくなりました」と張鋭瑞さんは言う。
副班長の家に品物を持ち込んだ後、張班長の家にはまた顧客が来ていた。ミカンは収穫後3週間で糖度がさらに1%程度上がるので、少し置いてから食べたほうがいいと、張班長はお客に勧めた。
消費者にも教育が必要で、これが台湾の果物マーケティングの重要な一項目である。美食家で知られる謝忠道氏はかつてその一文に、小さい頃から食べ慣れているといっても、一般の消費者は色艶や大小、甘さに多くの誤解を懐いていると書いたことがある。例えば黒真珠と呼ばれる人気果物のレンブは、大きくて色が濃い方がよいと思われている。しかし、果物は日照が十分でなければ甘くならないが、十分な日照がレンブの色素を失わせてしまうことを知らないのである。
同じことで、消費者は色が濃い方が甘いと考えているため、世界で一番美味しいのだが、色が金色の彰化県二林産のスターフルーツは人気がなく、マレーシア産の赤みの強い品種に負けてしまう。消費者に品質の見分け方を知ってもらい、農家の努力が無駄にならないようにすること、これが果物ブランド販売の任務なのである。
台湾大学農業推進学科を定年退職したばかりの蔡宏進教授はさらに一歩進めて、台湾の農産物は利潤の低い状態が長期的に続いており、農家の収益には保障がないという。たとえ高品質の農産物を生み出しても、流通経路で利益を吸い上げられ、低価格で売りさばかなければならないので収益が上がらない。農家にとっては、販売が生産よりも大きな課題なのである。

石岡郷の梨農家では横山種の梨の枝に日本の品種を接ぎ木している。
近隣の東勢鎮石岡郷梅子村の主要作物は、新梢の切り接ぎのナシである。収穫が終わったばかりというのに、枝には再び白とピンクのナシの花が開きかけている。ナシ栽培農家の鍾鳳姫さんは蝋漬けのフィルムを破って、日本から来た穂木を枝に接ぎ木していく。
10数年前に植え付けしていた横山種のナシは肉質が粗く好まれなかったため、ナシ農家は横山ナシを台木にして日本の品種を接ぎ木し、新世紀、幸水、豊水などの高級品種を作ってきた。この栽培には資本や技術が要求され、人手もかかるために、切り継ぎナシは単価の高い果物となり、農業組合が販売を担当していたものの、大部分は大手の卸業者が頼りであった。
鍾鳳姫さんの話によると、切り継ぎのナシの単価は高いものの、卸業者は発注に市場価格しか考えず、品質を見なかったため、低コストの二級品が高級品より売れるという結果を招いた。「それに卸業者は右から左に回すだけで安定した利潤が上がるのに、果物農家は僅かな利益しかないのです。大手の卸業者はトラックで運んでいって、売れてから値段をつけるということもあります。農家には値段が決められないのです」と鍾さんは不満げに言う。
収益を改善しようと、梅子村の19の農家は自分たちの合作社を結成し、自力のマーケティングを始めた。電子商取引のホームページを開設し、消費者から直接注文を受けて月姫梨ブランドのナシの直販を始めたのである。宅急便を使えば、消費者は1日から3日以内に果物を受け取ることができる。
ブランド果物が特に甘いとは限らないが、自分の作った農産物に自信のある果物農家は協力し、ブランドを育てる方法で活路を見出そうとしている。台湾を見渡すと、明正里の茂谷ミカン、梅子村の月姫梨などのやり方があちこちで見られる。早くからマーケティングを重視してきた大湖のイチゴや屏東の黒真珠レンブが作り出してきた経済効果は、その他の果物を遥かに上回っている。しかし、黒真珠レンブを取り上げても数十のブランドが乱立し、ブランドのコンセプトは明確とは言えないのである。

皮が薄く、甘くてジューシーなミカンは市場でも人気がある。
それに、わが国の果物農家は同じ品種に走る傾向がある、と果物の生産販売を研究している中興大学マーケティング学科の呉明敏教授は指摘する。「果物の品質と産地の自然環境は密接に関わっていますが、これまでは適地に植えられたのではない果物が良貨を駆逐し、利益が上がると見ると競って栽培するために品質が伴わず、価格が暴落してきたのです」と呉教授は続ける。
例えば2001年のこと、山芋が天然のバイアグラと言われ、相場が一斤(600g)100台湾ドルにまで高騰した。多くの農家が競って栽培を始め、翌年には価格が10台湾ドル以下に下がり、南投県の産地ではキロ2台湾ドルの赤字価格で投げ売りするところまで表れた。
同じように、単価が高かった甘柿も2002年に最高値をつけた後、新竹県から屏東県まで農家が植えつけたために、翌年には暴落して今年に至るまで価格は回復していない。そのために他の品種の柿まで影響を受けている。山芋や柿にとどまらず、一気に増産に走る悪習のためにオレンジ農家も打撃を受け、価格は低迷したままである。
「農家はブランド力をつければ、収益を改善できますが、また品種志向の強い市場の中でブランドが消費者に認められれば、ご指名で買い上げてもらえます。競争相手の安値競争に巻き込まれずに済み、果物の品質も向上するでしょう」と呉教授は結論付ける。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。
台湾の果物農家の苦境と言うと、WTO加入がまず上げられる。WTO加入の年(2002年)に豊作となった農産物では、輸入品が加わって供給過剰となり、価格が下落した。年間の農業生産高は前年比22億台湾ドルの減少となり、第一次産業でマイナス0.63%を記録した。さらに農林漁業と畜産業の一次産業四大部門で見ると、農業が唯一マイナス成長となり、生産高はマイナス5%以上となる。
生産高が全体の35%を占める果物は代替が利く産業である。2002年を例に取ると、輸入果物との競争があって国内のメロン、オレンジ、ブンタン、パパイヤ、ミカンなどの果物の産地価格は2割から5割も下がった。
市場開放の後、国内と国外市場が密接に連結するようになった。台北市北投の裕民市場で長年果物を売ってきた李さんは、バナナを例に挙げて説明する。バナナはかつて台湾では輸出トップの高級経済作物で、主要な輸出先は日本だった。ところが東南アジアのバナナの安値輸出の影響を受け、日本への輸出量は大幅に下がってしまった。バナナ農家はこれに対応して適時に生産調整を行わなかったので、輸出用バナナが国内に向けられ、市場で1斤20台湾ドル余りでも、産地価格はキロ3台湾ドル余りなのである。これでは誰もバナナを植えなくなると、李さんは言う。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。
統計数字だけ見ても、2001年には台湾の果物およびその関連品の輸入量は43万4000トン余りで、翌年の元日にWTOに加入してから45万5000トンと2万トンも増加した。これに反して輸出量は8万9000トンから8万5000トンへと減少している。
「WTO加入は重要な要素ですが、角度を変えて見ると、WTO加入は台湾農業の問題点を浮き彫りにしたともいえます。農家の規模が小さく、政策が不明瞭、それに生産販売構造と技術が時代に合わず、台湾の農業は問題だらけでした」と、蔡宏進教授は言う。
台湾農業の推進というならば、農協の役割を見直す必要があると、蔡教授は続ける。わが国の農家は一般的に高い教育を受けておらず、新しい知識の吸収に遅れがちである。そのために技術の導入や販売の指導、さらに政府の政策の広報活動など、農協は重要な役割を果さなければならないはずである。ところが、最近では農協自身の位置づけに問題が出てきて、農協の中には自身の存続問題が優先してしまい、大敵を迎え撃つ農家に協力などする余力がないところが多いのである。
特に町や村の農協の信用部では不良債権問題が深刻となっており、それが本来の農業推進部門の業務に影響し、農業推進の業務は停滞したままである。大切な時に協力を得られない農家は、ただ焦るばかりだと蔡教授は言う。
「外患にはまず内憂を解決しなければなりません。農業を救うには国内問題の解決が先決です」と呉明敏教授は話す。現在の状況から見ると、コスト割れの小規模農家の問題、それに農業関係者の高齢化という大きな難問はすぐには解決できないであろうが、生産・販売ルートの強化なら政府が力を発揮できるのではないだろうか。
生産・販売ルートの不均衡は、農家にとってこれまでずっと悩みの種であった。台湾では各農家の耕地面積が狭い上に、農業を推進する協力機関が分散し、資金、設備と技術などの投下に限界がある。特に今日のような競争の激化した時代にあって、生産販売部門の遅れが特に目立つのである。
呉教授はニュージーランドのキウイのブランド「ZESPRI」を例に挙げて説明する。この単一ブランドで世界にキウイをマーケティングしているが、そのチームは果物農家自身から構成されている。この生産から流通過程まで全体は、商品の研究開発から始まっており、品種の選択、生産からマーケティングまで農家が全部参与している。また収穫、輸送に至るまで厳格な規定が設けられているために、ブランド力を維持できている。台湾の果物農家も、将来はこの方向を目指していかなければならないだろう。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。
台湾省道三号線に沿って車を北に走らせていくと、そこには苗栗県の卓蘭、大湖、公館などの果物の大産地が並んでいる。
大湖では1979年生まれの謝文智さんが新しいシルバーグレーの車を運転し、イチゴを積んだトラックと共に三号線を走っていく。大湖のイチゴは台湾では有名で、大湖郷農協の試算によると、その生産高は毎年6〜7億台湾ドルに上る。今年の初め、イチゴの生産量が減少し農協でも積極的にブランドによる直販を推進したため、大湖のイチゴは高騰を続けて、一箱12個詰めのトップクラスのイチゴの卸売価格は、キロ当り200台湾ドルに達していた。
1960年代生まれが主力のイチゴ農家の中で、謝文智さんはまだまだ子ども扱いだが、それでも両親のイチゴ栽培を手伝いながら、自分で計画を練っている。まずホームページの作り方を勉強し、自前の電子商取引のページを開設して、消費者に直販しようというのである。また、自分の家のイチゴ畑を改造して、農家の建物を民宿にし、さらに大湖近辺の馬那邦山の原住民集落や泰安温泉などの観光スポットと結びつけて、観光用の体験農業を発展させていきたいと考えている。
「理論的には、グローバル化の進む時代には地域の特色を生かすことが生き残り戦略となります」と、長栄大学ソーシャルワーク学科の黄肇新教授は話す。5年前の台湾大地震の後、地域の再建に参加してきた黄教授は、被災地において農産物や地域の手工芸品の販売促進に協力してきた。
「適した土地に適した品種を植えて、品質向上に努力し、ブランドと流通経路を確保した経営が加われば、台湾の果物農家も国際的な農業グループと直接対抗できないまでも、自分の場所を確保できるのではないでしょうか」と黄教授は語る。こういったビジョンが、台湾のそれぞれの片隅で今まさに根を下ろそうとしている。

市場にあふれる山芋の価格は一時は600グラム100元まで上ったが、栽培者が急増したために価格は暴落した。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。

生産から販売まで手がける果物農家の張建
さんは、自宅前で機械を使ってミカンを洗浄・選別している。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。

果物もブランドとして認知されれば高く売れる。これによって適した場所に適した品種が植えられるようになる。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。

北回帰線が通る台湾は地形も気候も多様で、さまざまな種類の果物が採れるため「果物天国」とも呼ばれている。

販売ルートや価格が卸業者に左右されるため、果物農家の多くは遠くても自分で町まで売りに行き、少しでも利益を上げようとする。写真は農家の人が車に果物を載せて路傍で売る様子だ。