IT革命が世界を席捲する中で、平均して50日で世界中のホームページ数が倍増する。インターネットの普及につれて、人々の世界に対する見方が変わると共に、世界の至る所でネットの新興貴族が出現している。
ネット時代がやってきた。旧世界では資本も経験もなかった若い世代が、一夜にして巨万の富を築く。2000年9月、アメリカのフォーチュン誌は「アメリカの40歳以下の富豪トップ40」を発表したが、その第40位にランクされたNBAプロバスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンを除くと、残りの39人全員がハイテク産業出身の富豪である。その中には華人社会の偶像、ヤフーの創設者であるジェリー・ヤン氏も、総資産額58億5000万米ドルで第4位にランクされているのである。
ネット天国では若さが共通語となる。ヤフー、韓国のHELLOASIA、大陸の捜狐など、人気あるポータルサイトは、すべて20歳前後の若者の天下である。このネットの波の中で、台湾ではどれほどの若者が成功をつかんでいるのだろうか。その成功は何を意味し、またこれから警戒すべき点は何なのだろうか。
灼熱の太陽が照りつける夏休み、人気の無くなったはずのキャンパスに、急ぎ足で歩く学生の姿を時折見かける。中原大学情報学科のネット・サイト運営研究センターには、数十人の学生が集まっている。研究室の一区画毎に、モニターを真剣に見つめる学生の姿が印象的である。センターの責任者である呉肇銘教授の指導の下、一区画数十平方メートルのエリアは、それぞれ一つの会社なのである。
中原大学情報学科のネット・サイト運営研究センターでは、このネット時代の技術を学ぶ機会を失いたくないと、今年卒業すべき学生数人がわざわざ留年している。情報学科の詹智仁さんも、センターに残ってプログラム作成の研究を続けることを決心した一人である。これまで3回の夏休みを振り返り、詹さんはセンターに残る決意をこう語る。「正直言って、夏休みを通じて家に帰った日数は三日くらいなのです。それも家に帰るとまた学校に戻りたくなりました。一日ネットにアクセスしないと、むずむずしてくるからです」と言うのである。学校の高速専用線に慣れてしまった学生には、ネットが生活必需品になった。
呉教授から見ると、若い学生にはベンチャー企業を起す素質がある。真面目で全力を尽くせるというのが有利な点と教授は話しながら、ネット・サイト運営研究センター最初のネット会社を例に挙げる。「手機王」(携帯電話王)というホームページで成功した首機ネット社の陳慶鴻社長は、その熱心な仕事振りで強い印象を残した。「こういった学生は何か新しいアイディアを思いつくと、その日は徹夜してでも何とか実行に移そうとするのです。その実行力と効率は素晴らしいものがありました」と呉教授は話すが、陳社長自身は一日10数時間仕事をしたこともあるが、同業の中では格別珍しいことでもなかったと言うのである。
設立から現在までわずか1年ほどの間に、中原大学ネット・サイト運営研究センターにはすでにネット会社の社長が4人育ち、実験用のホームページを17も運営している。学生たちが情熱と独創性を武器に一歩一歩アイディアを実現させ、事業を立ち上げていく様を見ながら、責任者の呉教授は自分が早く生まれすぎたと嘆く。「彼らの世代は幸運にも、まさに新しい産業が生まれていく時代に出くわしました」と教授は言う。
呉教授の説明によると、蒸気機関車が発明された時代のように、人と人との距離と生活に大きな変化が起こっているという。しかもインターネットがもたらした変化は、人間の生活様式をさらに別の世界に広げていくものである。若い世代のネット貴族は、その波の先端に乗っている。
PC Home オンライン社の李宏麟社長は、低コストがネット事業の利点だと話す。それが起業には低い敷居の環境を生み出した。15歳から30歳といった年齢層の起業家たちは、経営者であると共にユーザーでもある。顧客と本質的に同じ層であるために、より容易に生活経験を共有できる。
李社長はさらにタイミングが、若い世代とネットとの間の繋がりを深めていくと話す。学生時代からネットの世界に遊んでいた若い世代は、社会人よりも容易にこの新しい産業革命の処女地を把握できた。
大学の情報学科が開設するホームページ運営などの課程で、学生たちは実験的なホームページを次々に開設し、そこからネット会社設立までは一息なのである。例えば、台湾大学のマルチメディア・ネット産業研究センター、中原大学ネット・サイト運営研究センターなどの機関はこういった発想から設立され、大学は若いネット起業家を育成するゆりかごになっていった。
新興のインターネットが学生の起業ブームを呼び起こしたが、単に情熱があり努力したからと言って、誰もがこの波に乗って成功を手にできるわけではない。
1974年生れの楊立偉さんは、意藍テクノロジー社の社長兼技術部長である。彼は1999年2月に親友の曾柏偉さんと共に意藍テクノロジー社を設立したが、資本金7000万台湾ドルのこの会社を楊社長はホームページの兵器供給業者と自称する。というのも、意藍テクノロジー社はホームページ開設ソフト供給業者と位置づけられ、ホームページ開設のために兵器全般を提供しているようなものだからである。
2年足らずの間に意藍テクノロジー社はネットのアプリケーション・ソフトをシリーズとして開発している。これにはサーチエンジン、ネットの会員システム、電子商取引の問題解決策などが含まれ、ネット・マニアが会社を設立するための必要ソフトがすべて揃っているという。
中華大学の育成センターに設立されたネット・タイム社は資本金わずか750万台湾ドルだが、新竹地域のポータル・サイトと明確に位置付けられている。会社はホームページ作成やメディア・マーケティングから堅実に立ち上げ、現在は月会費1000台湾ドルで、新竹地域の特色ある商店のホームページを開設している。半年後には損益が均衡する見込みという。
ネット・タイム社の崔長風社長は、以前にも起業経験がある。中華大学情報工学科1年生のときに、コンピュータ組立会社経営のために休学したことがある。ところが組立専門の会社が2年の間に急増し、当初30パーセントあったコンピュータ組立の利潤率は10パーセントにまで下がり、とうとう会社をたたんで大学に戻り、情報工学科から情報管理学科に移った。
失敗はしたものの、この起業経験の中で崔社長は市場の動きを理解し、アプリケーション・ソフト開発を専門としようと決めた。そこで学校の計算機センターで4年間ホームページ管理を行い、マルチメディアとネットの応用に関する実戦的能力を培っていった。
二度目の起業では、崔社長はネット・タイムをホームページ市場に絞込み、まずホームページ作成代行を主要な業務とし、次いで新竹の電子商取引のポータルサイトに育て上げていった。長期的な目標は、これらホームページを開設する会社を対象に、財務管理プログラム、物流管理プログラムおよびネット広告を結び付けていこうというものである。前回の経験があるために、崔社長は着実な経営戦略を取り段階的に進めている。
今年3月に設立されたばかりの首機ネット社は資本金600万台湾ドルで、経営陣の平均年齢は20歳に過ぎない。1978年生れの陳慶鴻社長は、ネットにおける情報の流れに目をつけ、まずホームページ「手機王」を開設し、各社の携帯電話のモデル別資料や評価情報を掲載することにした。
今年9月、陳社長はネット族の特性に合わせて、携帯族動員令をかけた。これにより手機王に蓄積してきたバーチャル・コミュニティのアクセス情報を、実体のあるユーザー群に転化しようとしたのである。首機ネット社が期待しているのは、通信産業との実体的な結合を通じての電子商取引の市場開拓である。その発想が投資家に認められ、来年初めには2000万台湾ドルに増資する予定で、会社の将来性が見込まれている。
若きネット貴族たちは、最初はテレビゲームからネットの世界に入った。彼らにとってコンピュータは、小さいころから慣れ親しんだ遊び友達なのである。10数歳ともなると、彼らは起業を志すようになる。
意藍テクノロジー社の楊立偉社長は、中学生のときにビジネスを始めたという。最初は会計システムや日計表などのプログラムを設計して、10数万台湾ドルを稼いだ。大学3年生のときには、中国語の意味から検索できるサーチエンジンの開発を進め、また会計、仕入売上に在庫管理、学習塾、コンピュータによる答案採点などの応用ソフト開発を行ってきた。
1995年になって、楊社長は大学統一入試の合格点予測システムをネット上に構築した。その時は3台の486パソコンを使っただけだったが、3日間の間に103人からアクセスがあったという。こういった成果を目の当たりにして、楊社長はネットによる情報伝達の速さを見せつけられた。この経験から大学の統一入試センターに協力して、合格点予測システムを構築することになり、このホームページには試験後3日以内に10万を超える受験生からのアクセスがあったという。ここから多くの資金や設備がなくとも、技術とアイディアだけで起業できるという自信がついた。
多くの新興ネット会社のオフィスは若い人の発想に満ちていて、自由な創造性や個人責任体制、タイムカードがないなどの特色がある。熱くなりがちな頭を冷やして、発想を転換させるために設置された休憩室には、漫画やスナック菓子、テレビゲームに大きなソファがおかれていて、色鮮やかなインテリアとともに人目を引く。
ネット会社の人材募集の原則はネット・マニアだと、意藍テクノロジー社の楊社長は社員の必須条件を説明する。しかし、開発や生産部門は若い人が主力でも、総務や財務部門は中年の専門家が必要である。楊社長もこういった面は、若い起業家には無理という。
若いネット会社で働く中年の社会人には、これらのネット貴族との付き合いは大変なチャレンジとなる。「資迅人」の広報室長王君苑さんは、若い人たちの直接的な表現方法に慣れるのに時間がかかり、時には余りにはっきりしすぎてやり切れなくなると話す。
大成報新聞社の情報部門の潘俊琳さんによると、ネット貴族とそれまでの企業家との相違は、彼らがイメージや宣伝手法、そしてマスメディアとの関係を重視することだという。大金を費やして一連の記者会見を開いてみたりして、派手ではあるが資金はあっという間に消えてしまう。
投資家にとっても若いネット貴族はリスクであり、お荷物である。経験不足は、投資家が危ぶむ点であろう。
現実に、ネットでの収益獲得モデルは確立されておらず、多くのネット会社はICQやGICQ、eBayなどのオークションサイト、電子商取引などの成功者の後を追って大金を掴もうとしているだけである。その一方で彼らは、多くのネット上の行為がショッピングや消費ではなく、MP3やチャット、時にポルノ・サイトなど、個人対個人で自由な出会いを求めているだけに過ぎないということを忘れている。
銀河ネット市場の李国傑社長は10年前を振り返り、かつてのネットはアマチュアで多様な相互の交流空間だったのに、今では規制とビジネスとショッピングばかりになってしまったと嘆く。人間味も薄れ、金を使って知名度を高めているに過ぎないように見える。
ジャーナリストとして潘俊琳さんは、今年の初めのネットブームはすでに下火になりかけ、ネットに大騒ぎしすぎたようだと言いつつ、「台湾の生命力豊かな中小企業と同じことで、ネット会社の興隆もかつての新興産業と同じ経過をたどり、成功者は永遠に少数でしょう」と付け加えた。
李国傑さんにとっては、華人ネットの起業家であるヤフーのジェリー・ヤン氏こそ成功例である。
ヤフーが設立されたのは、まさにインターネットの萌芽期だった。1993年から96年にかけて、世界の情報網が基礎を築き急速に成長し、著名なホームページはほとんどこの時期に開設されている。ホームページ検索のために開発されたサーチエンジンのヤフーは、判断の正確さでトップを取った。
ジェリー・ヤン氏は独創性あるサーチエンジンをメディアとして使い、交流のプラットホームに育て、多くのメディアや通信と協力してあらゆる情報の入り口、ポータルサイトに仕立て上げた。これがヤフーに更なる成功を約束したが、後発のサーチエンジンは、検索機能以外の新しい機能を加えなければならなくなった。
ネットの将来を考え、李国傑さんは起業を志す若者に向けて「ネットの世界は9割が未開発、起業を焦ることはありません。技術実務、財務管理、パートナーなど慎重に検討し、ネットの世界に入ってください」と呼びかける。
ネットの世界の虚と実、そこにあふれる自由で開放的な精神が独創性に満ちた様式を生み出し、人を引き付ける。ネットで重要なのは自主的なメディア運営であり、独占による富を目的とするのはネットの精神を裏切り、結局ネット会社の生命を縮めてしまう。想像と創造の間は、ほんの僅かの差に過ぎないのである。