空港や港から海外や離島に行く際にいつも見かける大型店舗と言えば、年に3500万人が訪れ「免税店の王」と呼ばれる昇恒昌(エバーリッチ)だ。
古くから小売業のトップにいたわけではない。ほんの18年ほどで国の玄関口に座を占め、売上は数百億台湾元に達する。どのようにしてそれを可能にしたのだろう。
午前9時、台北市東区のデパートはまだ開いていないが、郊外の内湖にある大型ショッピングセンターはすでに熱気に満ちていた。
大きなリムジンバスが次々と停車する。バスのドアが開くと、ファッショナブルな装いの中国大陸の観光客がどっと下車し、この豪華なショッピングセンターに吸い寄せられていく。
高級ジュエリー、化粧品、ブランド品をすべて網羅、台湾家電ブランド大同の炊飯器も手に提げ、最後にはパイナップルケーキや茶葉など台湾名産の集まる1階を名残惜しげに歩く。
敷地面積1000坪を超えるこの高級ショッピングセンターは、今年2月にオープンしたばかりだが、すでに観光客の必ず訪れる場となっている。ここは、デューティーフリーニュース・インターナショナル(DFNI)による「単一国家最優秀免税小売業者」を受賞した昇恒昌の最新の力作、アジア最大規模の市街地免税品センターである。

昇恒昌(エバーリッチ)と聞いても馴染みのない人もいるかもしれないが、海外や離島に行く機会のある人は、桃園、松山、台中、小港の空港や基隆港、そして金門や澎湖、緑島などで、同社の豪華な店舗を見かけているはずだ。
営業税、貨物税、関税が免税になるので、昇恒昌で売られるブランド品や酒タバコは一般より1割以上安いうえに、自社だけのセット商品も多い。唯一の制限は、買えるのは外国人、或いは1ヵ月以内に出国する台湾人だけという点で、離島の場合は「離島免税条例」により、観光客と、台湾本島に来る前の離島住民は免税品が買える。
近年は外国人入国数も台湾人出国数も増えており、それにつれて昇恒昌の業績も伸びている。同社の年間売上は数百億元に達すると見られる。
これほどの昇恒昌だが、その経営者についてはあまり知られていない。あまり大げさな宣伝を好まず、地味な経営を重んじる企業文化を持つからだ。

昇恒昌が桃園空港第二ターミナルに設けた高さ12.2メートルの壁面緑化の柱は美しく、空気浄化の機能もあり、好評を博している。
昇恒昌免税王国を作り上げた人物、それは62歳の董事長、江松樺だ。多くの有名企業創設者と同様に裸一貫から始めた彼は、伝奇的なサクセスストーリーを持つ。
江松樺は嘉義県大林の農家に生まれた。子だくさんで家は貧しく、長男だった彼は小学校卒業と同時に北部へ出て、皮革工場で見習いとして働いた。
聡明で手先も器用だった彼は、仕立て技術を習得して4年後には見習いを終え、1人前の職人の給料をもらうようになった。
18歳で独立を考え、借金や頼母子講によって何とか工場開設に必要な3万元をかき集めた。皮革製品がまだ贅沢品だった1970年代、丁寧な仕上がりでリーズナブルな価格の台湾製革製品は、日本人観光客によく売れた。兵役前の江松樺はこれで30万元を稼ぎ、当時の台北近郊に一戸建てを買った。
だが彼は、小さな皮革工場では満足しなかった。兵役をすませた彼が気づいたのは、台湾経済の急速な成長と、日台消費者の変化だった。人々は単に質のいい革製品というだけでは満足せず、ブランド品を身につけることに意義を見出すようになっていた。そこで彼は、さまざまなツテを頼って欧米ブランドと代理販売契約を結び、やがて台湾最大のブランド代理店へと成長していった。
全盛期にはグッチ、セリーヌ、コーチ、アメデオ・テストーニ、シュウウエムラなど堂々たるブランド品の数々を代理販売した。小学校しか出ていない彼はテープを繰り返し聴いて英語を独学、一つ一つの仕事を通してビジネスを学んだ。こうしたブランド代理販売が、後の免税品事業にとって重要な人脈や物流の礎を築くことになった。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。
1990年代になって台湾のブランド品市場が成熟期に入ると、代理店への利益分配を惜しんだ欧米ブランドが次々と代理契約を打ち切り始めた。そこで江松樺は別の道を歩むことを考え、1995年に昇恒昌を設立した。だが免税店業は、競争相手が少ないとはいえ参入の難しい事業だった。
昇恒昌設立以前の台湾の免税品市場は、国際的免税店チェーンDFSの代理店である多礼公司と多友公司が握っていた。この2社は同一クループの傘下にあり、大きなバックを持つことで他社の市場参入を許さない状況にあった。
1997年に高雄小港空港の免税品店入札が新たに行われた。多礼公司がいったん落札したが、手続き上の不備で資格を失い、2位の昇恒昌に権利が回ってきた。そこから新たな歴史が始まる。
江松樺の一人息子である30歳の江建廷は、昇恒昌が育て上げた二代目で現在副社長を務めるが、彼は当時をこう振り返る。会社設立当初は免税品業の初心者だったため、業界の信頼を得るために、免税品業に興味を示したエバーグリーン・グループに出資してもらうことにした。「昇恒昌の英語名エバーリッチは、当初のエバーグリーンの出資と関係しています」と江建廷は説明する。
エバーグリーンの後押しのおかげで次第に取引先との関係も安定し、小港空港以外に桃園空港第一ターミナルにも進出、台北市民権東路にも初の市街地免税品店を開設した。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。
2000年までは台湾を訪れる観光客は年わずか230万人、現在の730万人の3分の1にも満たなかった。そのうえ空港設備も老朽化して買物に快適な環境とは言えず、台湾人でさえ外国のきれいな免税店で買うことを選ぶような状況だった。「空港免税店の店員も愛想がなく、商品について尋ねても答えられない。これでは客は呼べません」と江建廷は言う。
こうした状況で、ついにはエバーグリーンも赤字続きに辟易し、資金を引き揚げてしまう。
だが、台湾の観光業の将来性を見越していた江松樺はあきらめず、ブランドショップの経営方式を導入することにした。巨額を投じ、店舗とスタッフの改造に乗り出したのである。かつて「雑貨店」と呼ばれた空港免税店を明るく豪華な装いに変え、販売員にもキャビンアテンダントのようなおしゃれな制服を着せ、笑顔で親切な接客をさせる。こうして免税店での買物が旅の楽しみの一つとなるよう心をくだいた。
スタッフは必ず一定時間数の販売訓練を受け、厳しい試験を経てやっと販売の第一線に立てる。カナダのブリティッシュコロンビア大学で経済学を学んだ江建廷だが、昇恒昌での最初の仕事は酒タバコの販売員だった。副社長になった今でも、シングルモルトやブレンデッドウィスキー、キューバ産葉巻について、すらすらと説明できるという。
また、販売員は各国空港の規定に通じていなければならない、と江建廷は言う。酒類を持ち込んではいけない国に行く旅客に酒を売ってしまうと、セキュリティチェックで引っかかって没収、或いは入国を拒否されてしまうこともあるからだ。
「昇恒昌で働いた経験を持つと、ほかのサービス業でも歓迎されます。スタッフには一定レベルの訓練をしていますから、さまざまなトラブルにも対処できるのです」と江建廷は胸を張る。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。
免税品販売は利潤が高いと考える人は多いだろう。だが独占販売の免税品は、コスト計算方法も他の小売業と大きく異なる。空港の免税店の場合、100元の商品を売るごとに20元の権利金を国に納めなければならないうえ、店舗賃貸料も高い。市街地免税店の場合、旅行代理店やツアーガイドに一定の割合のコミッションを払う必要もある。
利潤を上げるため、昇恒昌は「買い切り」制をとる。つまり、昇恒昌で売る化粧品やブランド品はすべて昇恒昌が買い切ったもので、売れ残っても返品することはできない。
買い切りの長所は、買値を有利に決められることだ。だが商品が売れなければ返品不能の在庫となる。そこで買付けの正確さが決め手となる。
昇恒昌の最大の資産は、ブランド品を代理販売した長年の経験だ。今や百人を超える買付けチームを抱える。江松樺の娘もその一人で、世界中を回って消費者の気に入りそうな商品を手に入れる。
江建廷はこう指摘する。買付けは高い専門性が必要な仕事で、今後半年間の市場傾向を予測しなければならないうえに、異なる消費者層の好みを把握する必要がある。
例えば、昇恒昌は台北市の内湖区と民権東路に直営店を持つが、両店の客層は大きく異なる。前者は中国大陸からのツアー客に人気が高く、後者は個人旅行で来た日本人が主力なので、陳列や品揃えも変える必要がある。「大陸客が好むのはブランドロゴの大きく入った腕時計やTシャツ、バッグなどですが、日本人はロゴはさりげないほうがよく、上品なデザインを選びます」と江建廷は言う。

昇恒昌は国家公益賞も受賞している。創設者の江松樺は国内のさまざまなチャリティ活動に参加しており、左は桃園の懐徳養護施設の子供たちと餃子を作る様子。右は、2011年にインドネシアのアチェで学校建設に協力した時の江建廷・副社長。
昇恒昌は「共栄」の理念実現にも力を注ぎ、利益の社会還元や、観光産業全体の環境改善に努める。
2006年からは、OT(運営・移転)やROT(改修・運営・移転)方式で、桃園空港と高雄小港空港の設備建設に加わった。桃園空港第一ターミナル改修工事はとりわけ異彩を放つ。緑化された大壁面や、現代詩と書道芸術を合わせた「文学の壁」は、古びていた出発ターミナルを一新した。またそれぞれの出発ロビーも、それまでの個性のないものから、台湾の文化や科学技術をテーマにした装いに変えた。
昇恒昌が第一ターミナル改修で費やしたのは、少なめに見積もっても12億台湾元に達し、それに運営維持費などを加えると、投資は契約の10億元を大きく上回る。「昇恒昌は空港始まって以来、最も良いテナントさんです」と、民航局でも桃園空港公司でも幹部が口をそろえて賛美する。
また、人々が台湾の優れた物産に接する場を作った。台湾全土を回り、おいしくて手ごろな価格の品を探し出し、資金力のない店の場合は代わりに新しくパッケージをデザインして魅力あるギフト品へと生まれ変わらせる。パッケージには製造元の連絡先を印刷している。味に満足した客が直接製造元に注文すれば、地方産業の発展につながるからだ。

台湾観光推進に力を尽くす昇恒昌は、好評の「台湾国際熱気球カーニバル」のスポンサーでもある。写真は台東県鹿野の高台。
空港の刷新、離島の発展、台湾観光推進への昇恒昌の努力は、各界から認められている。今年2月に江松樺は、馬英九総統から「台湾観光特別貢献賞」を受けた。
だが相変わらず彼は、メディアへの登場を好まない。彼の姿を見ようと思うなら、台湾各地のチャリティ活動に足を運ぶのが最も確実だ。休日のたびに、免税店の赤いロゴの入った黄色のベストを着たスタッフが、海岸清掃や養護施設訪問、恵まれない家庭への援助といった活動にいそしむ。その中に江松樺・建廷親子の姿が必ず見つかるはずだ。
医療資源の乏しい南部の僻地に生まれた江松樺は医療界への援助に最も熱心で、僻地医療や高級医療機器への援助、馬偕病院台東救急重症医療棟建設計画など、多くに関わっている。
業績発展だけでなく、その惜しみない貢献によって社会的イメージも大いに高めた。台湾観光大使の名は、江松樺にふさわしいと言えるだろう。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。

台北市内湖にある昇恒昌の旗艦店は華やかで広々としており、有名ブランドがすべて揃っている。さらに台湾の特色を打ち出した特産品なども揃え、外国人観光客が必ず訪れるショッピングセンターとなっている。

昇恒昌(エバーリッチ)が設計や運営に参加する高雄小港空港の搭乗待合室は、装飾も椅子も海の都・高雄のイメージにマッチしている。