簡志忠は、台湾出版界の伝奇的人物である。
その経営する円神出版グループは幸福企業と呼ばれ、労働時間短縮と業績向上は両立しないという定説を打ち破った。同社が出版する本は売上ランキング上位を占めるが、今年初めには台湾初の週休三日制度を採用する企業となった。
出版業だけではない。簡志忠は公益事業にも成果を上げ、その指揮する紙風車児童劇団は319町村の公演ツアーを終え、次は台湾最初となる全国規模の放課後児童クラブ設立を目指している。
出版事業の限界を探りつつ、社員のクオリティ・オブ・ライフを利益より重視してきた。多くの企業家が一生を費やして追い求めてきた夢を、簡志忠は30年足らずで成し遂げたのである。そこにはどのような秘密があるのだろうか。
欧州の信用不安がもたらす不況から抜け出せず、先行きは不透明で、労働時間が短くて給与が高い理想の職場はどの業界でも遠い夢となりつつある。それなのに今年2月初め、円神出版は敢然と週休三日制を公表し、台湾社会に衝撃をもたらした。その日、円神出版の社内会議は普段と変わりなく進んでいたが、終了間際に発行人の簡志忠が突然週休三日制を提案した。数秒間驚きで静まりかえった後、出席者全員の割れんばかりの拍手が続いた。20年前の社員への約束を、簡志忠は本当に実現したのである。

公益活動にも情熱を注ぐ簡志忠は、紙風車児童劇団の発起人の一人でもある。同劇団は台湾各地を巡回公演し、好評を博している。
こんなに厳しい時期なのに自分を貫くとは、円神とはどんな会社なのだろう。
台北市内の円神のオフィスを訪れると、簡素な内装ながら、数分いるだけでどこか落ち着く。会議室からオフィスを見ると、体操の時間らしく音楽が響いて、誰もが立ち上がって身体を動かしている。
髭を蓄えた簡志忠の表情は穏やかで、幸福の空気が漂っているかのようである。名詞には肩書きはなく、裏を返すと英語でPublisherとある。
呼び名は人と人との関係を決める。オフィスでは誰も簡志忠を董事長とかボスとか呼ばず、単に簡さんである。簡志忠も従業員を従業員ではなく同僚と呼んでいる。こういった文化は、簡志忠の企業に対する考え方から来ている。企業道徳は単なる収益ではなく、相互の奉仕と成長だと言う。円神グループを「優れた集積」と定義し、チームで作業し、それぞれの能力を引き出すのである。
「現代人の最大の問題は燃え尽き症候群で、仕事のために自分を使い果たすことです」と簡志忠は話す。出版業が幸福のメッセージを伝える産業であるなら、まず自分が幸福でなければならない。
そこで円神では仕事も余暇も同じく重視する。春になると秋の社員旅行を討論し、夏には年末の忘年会を計画し、今年のうちに来年の出版を決めて、四季それぞれが巡っていく。そんな円神では、夕方になると上司が残業せずに帰るように命じるのに対して、社員の方が業績に影響するからと、週休三日の実施延期を懇願するのである。

簡志忠は出版業の使命を定義しなおした。彼が経営する円神グループでは、すべての出版物が自ら読者に寄り添う力を持ち、読者に幸福感をもたらすことを目指している。
円神グループは台湾出版業界の雄で、幸福と共にベストセラーがその代名詞である。
グループ傘下には円神、方智、先覚、究竟、如何及び寂寞の6出版社に、取次ぎと持株会社を擁して出版の川上を押さえている。社員数は100人ほどで、毎年150点以上を出版するが、範囲は幅広く、ベストセラーが並ぶ。最近の各流通チャネルのランキングで言うと、トップ10の半数近く、トップ100だと4分の1が円神の本である。
話題作といえば、自己啓発本の『秘密』『最後演講』、教育関係の『佐賀的超級阿嬤(佐賀のがばいばあちゃん)』、生活健康関係の『不生病的生活(病気にならない生き方)』シリーズなどがある。時には百万部を超えるものもあり、また翻訳物と台湾の物が半々である。
円神のすばらしい業績の秘訣は、グループの理念「読者尊重、良書出版」にある。他の出版社がエリートの目で選択するのに対して、円神はあくまで読者の目から、社会の必要に応じて選択する。こうした方針は簡志忠の出身や経歴から来ている。
1955年生れの簡志忠は、彰化県の名家に生れた。中学卒業の頃に家が没落し、大学統一試験に失敗した彼は、故郷を離れ台北で就職した。最初は貿易や不動産などの業界で営業を学んだ。
出版社を始めたのも、偶然の機会からだという。1980年に取引のあった出版社が倒産し、100万元余りの簡志忠への債務を、在庫の百科全書で返済に充てた。そこで簡志忠は、他の債権者と共に五聯図書公司を設立して販売することにしたのである。ちょうど台湾の経済が急成長する時期に当り、社会も大きく変化し、活力に満ちていた。簡志忠は営業マンとして出版界に踏み入り、文人が手がけるという台湾出版業界の伝統を打ち破った。
1984年に、文史通義の「もって古今の載籍を概べ撰述するにそれ円にして神たらんと欲す」を典故として、円神出版社に改名した。そして国内の著名作家を網羅して「出版する作品が円融にして神妙でありたい」という理想を掲げたのである。
円神出版社となって2ヵ月後に、龍応台の『野火集』を出したところ、燎原の野火のように台湾に広がり、印刷が追いつかないほどのベストセラーになって、164刷の記録を打ち立てた。しかし、この好業績が仇になり、その後は自分の出したい本を出すという罠にはまり、当ったり当らなかったりと、安定した成長を続けられなくなった。

円神グループは週休三日制を実施し、簡志忠の幸福企業プロジェクトは今年大きな一歩を踏み出した。
こうして数年たった頃、文人出版の悪習に染まり、読者尊重を忘れていると簡志忠は気づいた。
そこで円神の原則を「文化性、社会性、市場性のバランス」と定め、販売部数を重要な出版方針とし、老若男女が分る良書を家庭に届けることを会社の目標とした。「この頃になり営業マンの能力が役に立ちました。着実に会社の収支を精算し、どれだけ売れば利益が上がるか、どれだけ出版すべきか逆算し在庫を減らしたのです」と簡志忠は語る。共同で創業した林永潔、黄国興、簡玲観の3人と共に、強みの営業力を頼みに、それぞれ編集、発行、印刷を担当し、業界トップを目指していった。
台湾の出版業界にたちまち変化が現れ、円神から曹又方、林清玄、呉淡如、光禹などの大衆文学の人気作家が生れていった。高尚を目安に台湾文壇に存在していた純文学と大衆文学の壁が取り払われ、円神は大規模な出版グループに成長していった。
簡志忠はまた75、85、95の管理哲学を生み出す。
75点は合格、85点は良、95点は最優良である。どんな良書でも売上が伸びなければ75点、出版チームはこれを95点まで押し上げる責任がある。編集した本の印刷前に、グループ内の各部門を自然と唸らせる内容があれば、読者の興味を惹きつけられる。この75点から95点の過程を制度化し、企画マーケティングと販売部門を編集部門と同等の地位に引き上げ、ベストセラーの三角形を形成させた。
円神の出版物はベストセラーを出し続けており、そのマーケティング戦略はMBAの教材にも取り上げられた。2006年に出版した日本の書籍の翻訳『佐賀的超級阿嬤(佐賀のがばいばあちゃん)』を例にとると、簡志忠は翻訳原稿を見て驚いたという。平易ながら感動的で、人間性の強さと向上心の価値を伝える。これは売らなければと考え、手書きで50通の推薦レターを全国の高校の校長に送った。
毛筆の推薦レターは、電子メールでは伝わらない熱意を伝え、これに打たれた校長たちは本を手に取り感想を学校の朝礼や教師との会議で伝えてくれた。こうして口コミで評判が広まり、1年で30万部を売り上げた。しかも、このマーケティング手法が雑誌『管理』で年度最優秀マーケティングに選ばれ、円神の各部門はこれを誇りにしている。

円神グループは社員旅行に毎年巨額を投じ、世界各国を巡っている。写真はトルコ旅行で熱気球に乗る簡志忠と社員たち。
独自の幸福の価値を出版物に反映させる円神は、ジャンルで上下の区別をしない。韓国のフィギュアロビクス・インストラクターのチョン・ダヨンの紹介本も、休筆久しい作家小野の新作『有些事、這些年我才懂』も同じく重要なのである。
グループ内での協力は信頼に基づいていて、アイディアが次々と生まれ、ベストセラーにつながる。例えば2010年には、YouTubeで大人気となったオーストラリアのニック・ブイチチに企画チームが目をつけ、その自伝の中国語版『人生不設限』(邦題:『それでも僕の人生は「希望」でいっぱい』)を英語版に先駆けて出版し、30万部を超すベストセラーとなった。簡志忠はこうして作家ごとに出版のチャンスを生み出していく。2012年に休筆して久しい作家・小野のために『有些事、這些年我才懂』を編集し、10万部を超すベストセラーとしたのも、その一つの例であろう。

簡志忠の友人でもある映画監督の呉念真が、『佐賀のがばいばあちゃん』シリーズの宣伝に立つ様子。
出版事業に加えて、簡志忠は公益事業にも力を尽くし、数多くの団体を援助してきた。
父を肝臓がんで亡くしたため、肝臓病防止基金会のボランティアを務め、また徴兵制がある台湾で信仰のために徴兵を忌避する若者が刑務所に服役する問題に対して、代替兵役制度を推進してきた。
また呉念真監督や作家の小野と共に、紙風車319児童芸術運動を開始し、2005年から児童劇団を引き連れて、台湾の319市町村の巡回公演を行った。芸術で子供たちの視野を広げるこの運動は、文化芸術界から「おじさんたちの逆襲」と呼ばれた。
台湾を歩き回る中で、簡志忠は台湾社会において祖父母に育てられたり、片親家庭の子供が数多いことに気づいた。放課後に面倒を見る家族がなく、勉強が遅れ、中退していく。そんな子供を見て、簡志忠は放課後児童クラブのための情報交換の場となる快楽学習協会設立を決意した。曁南大学元学長の李家同教授が設立した博幼基金会にプラニングと教員訓練の協力を仰ぎ、呉念真監督に理事長就任を依頼した。計画を聞いた呉真念は、それは一生の大事業だと驚いたが、結局簡志忠に説得されたという。
生活はシンプル、内心世界は壮大1990年以降、台湾の出版業界は香港資本による買収がブームとなった。国内の上場企業からも、簡志忠に円神グループの高額買収が打診されたが、彼はどれほど高額でも売らないと答えた。上場企業は生産量と工数重視なので、売却は自分が主張する幸福の価値を裏切ることになるからだ。
簡志忠にとって、出版とは地位や利益を求めるものではない。出版を生業とする者の生活はシンプルに見えるが、内心は壮大である。人は働くために生きるのではなく、生きるために働くのだと信じている。
来年、円神グループは設立30周年を迎えるが、円神が社会の必要性に応えながら、100年企業となることを望んでいる。
「台湾では観世音菩薩が龍に乗って世を救うと言いますが、私はこの目で菩薩を見ましたよ」と簡志忠は呵呵大笑し、台湾こそ菩薩の社会なのだと言う。メディアがどこかの天災を伝えると、普通の人が助けの手を差し伸べ、巨額の寄付が集まる。
出版であれ公益活動であれ、簡志忠はそんな菩薩の傍らで力を貸し、この社会の必要性に応えて、より幸福になる手助けをしている。