エボラ出血熱が猛威を振るい、今年すでに4千人以上が命を奪われた。エボラウィルスは由来が解明されず、専用のワクチンもなければ治療薬もない。ヒトの汗、尿、血液など体液によって感染することが解っているだけである。致死率は7割近い。聞くだに恐ろしい感染症である。
米国でも10月初旬に初の症例が現れて15日後に亡くなり、世界初のアフリカ以外での死亡例として各界の注目を集めた。皆が先を争ってアフリカから逃げ出す中、防疫の準備を進め、現地の経験に学ぶために、台湾の防疫専門医・羅一鈞はナイジェリア行きの飛行機に乗り、エボラショックの旅に出た。
西アフリカのナイジェリア、リベリア、シエラレオネで、今年3月エボラが流行し始めた。10月までの感染例は8千以上、今も増え続けている。西アフリカの交通の要衝ナイジェリアでは、7月末に最初の症例が出た後、速やかに感染拡大を阻止し、9月中旬にはエボラウィルスがナイジェリアから消滅したと宣言した。現地の台湾企業の安全を気遣い、生の情報を手に入れるために、衛生福利部疾病管制署の防疫専門医・羅一鈞は、9月初旬アフリカに乗り込んだ。
自ら流行地域へ行って学ぶのは台湾でも初めてのことである。アジアを見渡すと、エボラ流行地域に医師を派遣しているのは中国大陸、日本、台湾だけである。羅一鈞の勇気には頭が下がる。

握手や抱擁ではなく、肘タッチで挨拶する。接触を減らすことがエボラ出血熱拡大の重要な第一歩なのである。
ナイジェリアは交通の要衝であるとともに、産油大国でもあり、世界のメディアが特に注目していた。「国際メディアは現地の人よりパニックに陥っていました」現地はテロやコレラ、水害等に度々襲われ、住民にとってエボラは数ある恐怖のうちの一つに過ぎないという。
羅一鈞が現地に入ると、ナイジェリア人は握手をせず「肘タッチ」で挨拶をしていた。それも長袖の時に限られ、二人とも半袖なら合掌に替える。身体の接触を避けるためである。
エボラ出血熱は1976年の発見以来、数度流行し、小説や映画にも何度も登場して悪名が高い。だが今回の流行による死亡者数は、過去の合計を超えている。ウィルスが人口密度の低い中部アフリカから西アフリカの都市部へ伝わり、広く拡散したからである。
また、アフリカの多くの地域では、病気はまず呪術師に診てもらったり、家で看護したりするため、通報が遅れるだけでなく、看護者も感染する。更に多くの村では誰かが亡くなると、全村民が葬儀に参列し、遺体に触れて冥福を祈る風習があり、感染確率が大幅に上がってしまう。
ウィルスが都市部へ拡散すると、制御は更に難しくなる。高いリスクにさらされた第一線の医療従事者が次々に感染すると、集団パニックを招き、国外の病院に行く人が現れ始め、更に感染が拡大していく。
幸いエボラは致死率は高いが感染力は弱い。インフルエンザの感染力なら1人からおよそ10人に感染するが、エボラウィルスが感染するのはおよそ2人である。また、症状の進行が速く、他人と接触する前に感染者が死亡することもあり、そのぶん拡散の機会は減る。
ナイジェリアが拡散を阻止できたのは、国際医療リソースの協力と統合が鍵になった。
ナイジェリアには国際医療組織が常駐していて、ラッサ熱やポリオ等の感染症と闘ってきた。エボラウィルスの侵入がわかると、即座に組織の専門家とリソースを動員して、エボラウィルス対策センターを設置した。
「防疫は治療だけでなく、拡散を予防すること」ナイジェリアの防疫センターは迅速に患者のデータを把握し、感染を完全に管理下に置き、GPSまで活用して拡散を抑えたという。

羅一鈞医師(白衣)と同行の蔡懐徳医師が、我が国の駐ナイジェリア代表処職員に防護服の着方を指導する様子。
アフリカを訪れるのは、羅一鈞にとって初めてのことではない。2001年には医療代替役でマラウイに赴き、エイズと闘っている。
羅一鈞の進学の過程は至って順調だった。建国高校、台湾大学出身の優秀な人材でありながら、アフリカの感染症流行地域へ行くことに、どの親も賛成できるものではないだろう。だが「海外奉仕で箔がつく」と両親を説得し、心中では平穏な自らの人生に彩を加え、学んだもので貢献したいとだけ思っていた。
「最初のアフリカ行きは反対してみたものの、次に行くときには慣れてしまったんでしょう」と笑う。
卒業の年、熱意に溢れた彼は、マラウイへ行って世界の不公平さに気づく。「アメリカや台湾ではエイズになっても様々な治療方法で延命でき、ほぼ普通の生活ができます」が、マラウイでは確定診断イコール死の宣告だという。早いか遅いかの違いだけである。
医療資源の不足に加え予防意識の遅れが、マラウイの成人エイズ罹患率を15%以上にしていた。「台湾で私が見た高血圧や糖尿病よりもっと多いのです」と言う。
印象に残るのは、一緒に働いていた現地の医療従事者もエイズウィルスに感染し、発病からたった4ヶ月で亡くなったことである。仲間が目の前で苦しむのを救えなかったことで、感じるところが大いにあった。「彼等のために、何か少しでも役に立ちたい」という想いが芽生えた。台湾に戻る前、医療従事者の自己防護訓練を行い、診療ルールと注意事項を指導し、悲しいことが繰り返されないよう願った。
「2012年、再びマラウイに戻ると、当時講義を受けた人は皆健在で、効果があったことを知りました」現地の医療仲間は、羅一鈞をマラウイのエイズ防疫パイオニアと呼ぶ。エイズの知識を初めて現地に持ち込んだからである。
マラウイでの一年が、羅一鈞の生涯に影響を与えた。「予防は治療に優る」という言葉を身をもって実感したのである。人々が正しい予防意識を持てば、エボラのようなほとんど治療法のないウィルスであっても、拡散を防ぎ、多くの命を救うことができる。

ナイジェリアのスーパーマーケットに貼られたエボラ出血熱感染予防のポスター。
台湾に戻って数年経験を積んだ後、疾病管制局(現:疾病管制署)の防疫専門医に応募し、防疫の道へと進む。2008年、アメリカの疾病管理予防センター(CDC)で2年のトレーニングを受ける機会を得て、世界の防疫を学んだ。
異郷にあっても、心は台湾に繋がっていた。特に、いつも診察を受けに来ていたエイズ患者を思い、夜の空き時間を利用してブログ「心の谷」を開設し、エイズと性病の予防知識を広めながら、Q&A欄を設けて様々な質問に答えた。
「診察室では医者は絶対的権威ですが、ウェブでは医者も単なるネットユーザーです」医師と患者の関係が完全に覆り、質問への回答でコミュニケーション力が鍛えられ、忍耐力も養われた。インターネットを通じて、エイズ患者は口に出せない疑問に答えを得て、病と向き合うことができるようになり、治療を受け入れた。
2009年、米CDCがアフリカ経験のある医師を募集した。チームを組織してナイジェリアへ赴き、原因不明の子供の死亡事件を調査するためだった。羅一鈞は当然の如くチームに参加した。
現地では、村人が付近の鉱石を家に持ち帰って加工していた。子供は鉛を含んだ粉塵を吸い込んで中毒死したのだった。そこで、現地の長老や政治・宗教指導者と話し合い、鉱区に冶金場を設けて村に持ち帰らないようにしたことで、子供がこれ以上被害を蒙るのを防止できた。
アフリカ滞在はわずか一ヶ月だったが、羅一鈞は「アフリカでは、些細なことで大きな変化を生み出せる」と感じ、防疫に取り組む決心が更に強まった。
患者とともに巡り会わせだろう。ナイジェリアに来たことがあったため、現地の医療体系に人脈ができたことで、今回の視察の旅では、普通訪問を受けない疾病管理センターを訪問することができた。
台湾がSARS以降確立した防疫体系は非常に完備されたものだが、ナイジェリアの二つの経験には学ぶ価値が大いにあることに気がついた。
一つは防疫センターの最上層に属する流言払拭チームである。「ナイジェリアの場合、噂による死者の数がエボラの被害を超えます」現地では、夜中の12時に塩水を大量に飲むとウィルスに感染しないという噂のために、多くの人が急性腎不全で死亡した。台湾でも、ある薬草処方でエボラが予防できるという噂が聞かれるようになった。
「噂の払拭は治療より重要です」民衆がパニックに陥れば防疫体系は崩壊する。だからこそ2年前に鳥インフルエンザが流行した時、メディアなら来るものは拒まず、自らトーク番組や討論番組にも出演した。批判されても怯まない。「正確な情報を発信しなければ、噂に拡大の隙を与えますから」と言う。特に、情報が飛ぶように伝わる現代、噂の解明は更に急を要する。一日に2回、3回の記者会見も厭わない。
もう一つ学ぶべきことは、患者への心配りである。感染症が流行すると人々は患者を恐れ、患者は隣近所や学校の友達や同僚の奇異の目にさらされ、強い精神的ストレスを負う。
「病魔の魔とは病であって人ではありません」患者も被害者なのだから、必要なのは心遣いでありプレッシャーや汚名ではない。
リベリアで起きた例では、ある女性がエボラに感染し、治癒して村に戻ったが孤立させられ、最後には自殺してしまった。
汚名と魔物扱いで、感染者が陰に隠れて治療を拒み、時には居住地から逃げ出してウィルスを拡散させる。ナイジェリアでは自分のエボラ感染を疑ったある患者が、他人に知られないように600キロ離れた町で治療を受けた。しかし、2週間後に医師が感染により死亡し、事態が明らかになったこともある。
そこでナイジェリアでは防疫センターに心理支援チームを設立し、心療医、精神科医、カウンセラー、ソーシャルワーカーを集めて、隔離中も患者に寄り添い、カウンセリングでストレス軽減を図る。潜在的患者と治癒者には、ソーシャルワーカーが追跡指導を行い、居住地や職場、学校を訪問して患者への差別を減少させる。
流言払拭と心理支援は台湾の防疫事業でもっと強化できるはずだ。医師が権威の枠から出て市民の視線で考えてこそ、病を治して命を救えないという悲劇から逃れられる。
防疫の道にゴールはない。踏み出す一歩一歩が新たな領域になる。防疫に取り組んで十余年、無数の生死を目にし、不惑を迎える羅一鈞は、今も熱血青年の風貌で、行動力と好奇心に満ちて、常に感染症の襲来に備えている。