「記憶は線路と同じように長い」と、詩人の余光中は人の記憶と鉄道の旅とを結びつけた。
鉄道の思い出は、確かに多くの人にとって忘れられないものであり、また社会の発展においても重要な役割を果たしてきた。思い出は大切なものだが、それは過去に属するものでもある。しかしここ数年、鉄道はレトロという名のファッションの一つとして台湾でも熱い視線を浴びるようになった。カラフルなペインティングを施した列車が走り始め、内湾線、集集線、平渓線、阿里山森林鉄道などの支線も衣替えをして人気の観光路線となっている。列車の記念切符が数十万枚も売れ、コンビニでは有名な駅の名をつけた駅弁が人気を呼んでいる。
列車の旅の流行は、鉄道ファンによる鉄道文化の提唱とも関っているが、鉄路局や旅行業者、地方自治体による働きかけも大きな力を発揮しているようだ。台湾の鉄道には、どのような魅力があるのか、探ってみようではないか。
夏休みに入った7月、台北駅の3番ホームは、まだ朝の7時だというのに人でごった返している。ホームに停車しているのは普通の列車とはずいぶん違うようだ。花蓮まで3時間かかるのに、多くの乗客はすでに海辺の装いをしている。「ビーチ・バカンスは台北駅から始まるんです」とサンダルにショートパンツの林さんは言う。
この列車の設備はちょっと違う。前から3両の「ビジネスクラス」は旅客機のような回転椅子になっていて、横に3座席しかなく、実にゆったりとしている。ビジネスクラスとエコノミークラスの間には食堂車があり、コーヒーを飲みながら景色を楽しむことができる。
子供たちが走り回っているが、それを気にする人もいない。アミ族の衣装をもとにした制服の「温泉プリンセス」が乗客に朝食を配っている。その笑顔は、かつて世間をにぎわせた「莒光号レディ」のようだ。

鉄道は私たちを未知の世界、夢の楽園へと運んでくれる。写真は花蓮の青い海。
思わず笑みがこぼれる
これは、毎朝7時20分に台北を出発する台東知本行きの観光列車「温泉プリンセス号」だ。停車駅は花蓮と関山と台東だけで、台湾東海岸の亀山島など有名な景勝地を通る時には温泉プリンセスが優しい声で解説してくれる。また鉄道聯営センターと花蓮観光協会からも担当者が乗車して、乗客に旅行情報を提供している。
「雰囲気はまったく違います。この観光列車の担当が回ってくると思わず笑顔になってしまいます」と列車長の鄭欽元さんは言う。
この日は、海悦広告会社の社員とその家族60余人がビジネスクラスの2車両を借り切っていた。子供たちは一緒になって遊び、未婚の若い社員たちは座席を向かい合わせてトランプをしている。この社員旅行の計画を立てた社長秘書の劉光君さんによると、花蓮2泊3日豪華ツアーの費用は1人1万台湾ドル余りで、海外の豪華ツアーに比べると費用も時間もずいぶん節約できる。列車内では子供たちが自由に動き回っているが「社長はこういう安全な旅を好みます。来年と再来年の社員旅行も観光列車で行ける台東と墾丁に決めています」と言う。
温泉プリンセス号が一日に運ぶ観光客は数百人に過ぎないが、この列車が鉄路局と花蓮・台東地区にもたらす宣伝効果は計り知れない。観光列車の乗客を専門に扱っている花東旅行社の鄭進発社長によると、観光列車のビジネスは安定しており、乗客の多くは知的な旅を求めるため、普段は組めないようなパックツアーに客が集まるという。例えば4〜5月にはホタル生態観察ツアーなどが人気で、この地域の観光事業に新たな意義をもたらした。

鉄道のおかげで平渓の街は昔の繁栄を取り戻した。家屋が線路に向かって並んでいるのは炭鉱の町に特有の景観だ。(卜華志撮影)
旅行会社がチケットを扱う
現在の観光列車には「温泉プリンセス号」と「墾丁の星号」の二つがあり、花蓮、台東、墾丁の三つの観光地と台北を結んでいる。いずれも指定席しか売らず、途中停車駅は少なく、ビジネスクラスの車両を用意し、特定の旅行会社だけがチケットを扱っている。国内の105の旅行会社が結成した「環島鉄路旅行聯営センター」が、鉄路局から観光列車の乗車券を一括して請け負っているのである。聯営センターの田治成・執行長によると、現在の乗車率は休日と平日を平均して「温泉プリンセス号」は6割、「墾丁の星号」は5割ほどだそうだ。
「観光列車のマーケティングや宣伝はすべて民間業者が担当しているので、専門的な手法によって短期間のうちに知名度が高まりました」と田治成さんは言う。最初は、社内の弁当と携帯ストラップと原住民族の衣装が呼び物だったが、今後はより幅の広い付加価値をつけていきたいと言う。
確かに民間企業の方が政府機関より動きが早く、小回りが利く。観光列車で出される弁当には伝統的な金属の弁当箱のものと、水里の蛇窯で焼かれた陶器のものの二種類があり、大きさや料理の内容もしばしば変えている。屏東県の東港にマグロが水揚げされる時期になると、「墾丁の星」では木箱入りのマグロ刺身弁当が提供される。
鉄道の旅はすでに人々の間に定着しており、鉄路聯営センターに参加している旅行会社では、台湾鉄道三大支線のパックツアーも売り出している。「列車の旅の成功は、台湾に深く根付いた独特の鉄道文化とその歴史の上に築かれています」と田治成さんは、鉄道の魅力を指摘する。

すべての台湾人にとって宝物である阿里山森林鉄道は「台湾のパンダ」とも呼ばれる。(邱瑞金撮影)
ローカル線の春
1887年に劉銘伝が台湾最初の鉄道を敷設してから、台湾の鉄道は日本統治時代、祖国復帰、改革、転換などさまざまな時代を経てきた。特に日本は、台湾の資源を十分に利用するために日本と同じ軌道の主要幹線鉄道を建設し、また木材を切り出すための森林鉄道や、サトウキビ運搬のための台湾糖業トロッコ、難工事の南廻鉄道なども敷設した。それらの中には今は運行されていないものもあるが、台湾の至る所に鉄道が残した足跡が見られるのである。鉄道の物語は多様で深く、鉄道の発展についての研究だけで一冊の台湾現代史が書けるとも言える。また山も海岸も走る線路をたどることで、台湾の複雑な地形を残らず目にすることができる。
「現在は旅行型の乗客が鉄道乗客の30%以上を占めており、夏休みと冬休みがピークです」と話すのは鉄路局の輸送業務を担当する専門委員の張喜美さんだ。将来的には鉄道の持つ観光機能がより顕著になるということで、鉄路局は蒸気機関車の復活や車両のペインティングなどを通して、人々の鉄道にまつわる記憶を呼び覚まし、鉄道文化の保存を呼びかけようと考えている。
近年は飛行機や道路による輸送が便利になり、鉄道のローカル線は次々と運行が停止されたが、今も運営されている支線はレトロブームで注目を浴び、いっそう大切にされるようになった。現在も運行している平渓線、内湾線、集集線の三つの支線は、それぞれが地元の観光フェスティバルなどと一体化し、各種の「体験旅行」が催されている。これが地域の文化を深化させることにもつながっており、週末になるとなかなかチケットが手に入らないほどである。
張喜美さんは内湾線を例に挙げて次のように説明する。内湾線が通る新竹県では、地元の「客家アブラギリ祭り」と鉄道の旅を結びつけて、それを深く根付かせる努力をしてきた。するとわずか2〜3年のうちに、内湾地域全体の表情がまったく違ってきたのである。古い町並みや昔からの映画館、内湾吊橋などの景観はきちんと保存され、しかも食事や飲み物を提供するレストランなどには個性的なものが増え、昨年の内湾線の乗車率は前年より38%も増えたのである。

人生という名の線路をたどりながら、時々振り返る。鉄道の旅はいつまでも忘れられない美しい思い出だ。(本誌資料)
無限に広がる鉄道商品
何年か後に完成する高速鉄道と競争しなければならない従来の鉄道にとって、観光産業の推進は大きな転機である。しかし三つのローカル線は、休日と平日の乗車率の落差が大きいために今も赤字経営で、鉄路局としてはこれ以上の宣伝は行なえない。だが観光列車が旅行業者と協力して成功しており、鉄路局でも地方自治体や民間業者に宣伝や販売を任せ、協力体制を整えていくことを考えている。
「車体ペインティングで広告費が入りますし、必要な場合には運賃の引き下げや無料化も可能です」と張喜美さんは言う。
体質的に鉄路局自身が観光機能を十分に発展させることは難しいが、鉄道に関連する文物や記念品、食べ物などの副産物は、ここ数年の鉄道ブームとともに人気を集め、新たな「金の卵」となっている。鉄路局で飲食や記念品などのサービスを提供する餐旅総所の昨年の売上は17億台湾ドル近くに達し、駅弁だけで3億近くを売った。
「餐旅総所では一つのチーム全員が商品開発に取り組んでいます」と話すのは鉄路局餐旅総所の陳清標総経理だ。その話では、鉄道商品には大きな成長が見込めるという。安価なアルミ弁当箱入りの駅弁、記念切符、古い列車のプレート、鉄道の釘を使った栓抜きから、1台で3万5000台湾ドルもする蒸気機関車「騰雲号」の模型や2万台湾ドルのアンティーク・ペア・ウォッチまで、あらゆるタイプの商品が非常によく売れるのである。
陳清標さんによると、最も利益率が高いのは台南の永康駅から保安駅までの「永保安康(健康と平安を永遠に保つという意味)」と印刷された切符だという。現在まで永康駅で10万枚の売上があるほか、美しい包装を施して各ターミナル駅で扱っているものも8万枚近く売れている。「切符を印刷するだけで、こんなに収益が上がるとは思いもしませんでした」と陳清標さんは言う。
「永保安康」という言葉は、漢字を知らない外国人観光客には分らないかも知れないが、鉄道の魅力に国境はない。日本の鉄道文化専門家である打越大さんは、日本の鉄道ファンや一般観光客にとって台湾の鉄道は非常に魅力的で、ぜひ行ってみたいと思わせるものだと述べている。
「鉄道は一種の懐かしさを感じさせるものです。台湾の鉄道の規格は日本と同じで、中には日本と同じ古い型の車両も使われています。旅の動機が遠い未知の世界への郷愁だとすれば、台湾の鉄道は日本人にとって、郷愁と見知らぬ土地の魅力の二つを同時に感じさせてくれるものです」と打越さんは言う。今までに40以上の国の鉄道に乗ってきた彼が、いま一番したいのは新妻と「温泉プリンセス号」に乗って新婚旅行をすることだと言う。

蒸気機関車CK101の運行再開によって台湾の鉄道ブームは一気に頂点に達した。
世界の旅の終着駅
もう一人、日本のネット旅行文学作家の風間浩一さんは、学生時代に台湾で鉄道の旅をしたことがきっかけで視野が広がり、長年にわたって世界を旅するようになった。
「初めは日本の鉄道にしか興味がなかったのですが、台湾の鉄道沿線のすばらしい景色に心を動かされ、世界には日本にない感動がまだまだあることに気づかされました」と語る風間浩一さんは、今も世界の旅を続けているが、その最後には台湾を訪れる予定で、2年余り前に台湾で知り合った友人たちは首を長くして彼の来訪を待っている。
「日本では鉄道は旅の主流です。その日本に台湾の鉄道を紹介していけば、必ずブームになるはずです」と錫安旅行社の呉西謙社長は言う。台湾の旅行業界はすでに日本での宣伝を開始しており、これが好評を得て定着すれば、香港、韓国、欧米の市場にも大きな期待が持てる。
打越大さんは十数回にわたる台湾の旅で最も印象的だったのは南廻鉄道だと言う。
「ゆっくりとすべるように高屏平野を進み、県境の長いトンネルを抜けると、そこはもう東海岸です。まさに川端康成の『雪国』の南国版ではないですか」と語る打越さんは、その列車の中で台湾バナナを頬張れば、人生にこれ以上愉快なことはないと言うのである。

観光列車「温泉プリンセス号」の列車長とプリンセスたち、その親しみやすい笑顔が乗客を太平洋の情熱で包み込む。右ページの写真は温泉プリンセス号の外観だ。
ピンシー線
台湾で今でも運行している三つのローカル線のうち、沿線の風景が最も美しいのが平渓線だ。近年は、旧暦1月15日の元宵節に平渓郷で行なわれる天灯祭り(夜空に紙の灯籠を上げる祭り)が広く知られるようになった他、映画やテレビドラマでも平渓の古い町並みがしばしば背景として登場するようになり、休日になるとその美しさに惹かれた大勢の観光客が訪れる。
平渓線はもともと鉱山鉄道で、1918年に台陽鉱業公司が敷設したものだ。宜蘭県の三貉嶺駅から菁桐駅まで全長12.9キロの路線で、当時は主に石炭を運んでいた。日本時代の1929年に平渓線は官営に変わり、はじめて乗客を運ぶようになる。鉄道の全線は曲がりくねった基隆河の谷に沿って緑の中を走り、沿線には十分瀑布、嶺脚瀑布、大華壷穴といった景勝地がある。かつての炭鉱の跡が次々と車窓に現われ、流れ落ちる水の音と線路のリズムが心地よい。
平渓郷には13の炭鉱があり、この線路の終点である菁桐はかつてこの一帯で最もにぎやかな炭鉱の町だった。線路に向って長屋状の家屋が建ち並び、ぼた山、トロッコ、日本風の職員宿舎といった炭鉱の名残が今もそのまま保存されている。石底橋の下にある石底街に並ぶ家屋は杉の木材で建てられており、レストランや商店も集まっているので、多くの観光客がここを訪れる。鉄道、炭鉱、滝、そして天灯祭りと、平渓線は台湾のローカル線の中でも最も豊富な姿を見せてくれる。

内湾戯院(映画館)は日本時代の面影をそのまま残している。数々の史跡が内湾線沿線の文化を豊かなものにしている。
ネイワン線
内湾線は台湾ローカル線の中で最も素朴な風情を感じさせる路線だ。貨物輸送の需要があるため運営状況は最も安定しており、近年は、政府客家委員会と新竹県が共同で行なう「客家アブラギリ祭り」の宣伝が功を奏し、集客面では平渓線や集集線をしのぐほどだ。
1947年、竹東工業区のために新竹から竹東までの路線が敷設され、当初は「竹東支線」と呼ばれた。1950年には石灰石採掘の必要から合興まで延長された。さらに1951年には尖石山一帯からの木材と石炭の輸送のために内湾まで延ばされ、現在の全長27.9キロの内湾線の路線が確立した。
内湾線の沿線は平野、工業区、山林と景色の変化が大きく、列車に乗っていると昔にタイムスリップしたような錯覚を覚える。途中の合興駅は台湾で唯一のスイッチバック式(折返式)の駅だ。この地域は傾斜が大きいため、駅内の線路は本線とは別に水平に敷かれている。列車が25度の斜面を走りながらブレーキをかけると滑る可能性があるため、列車は駅に入らずに一旦通り過ぎた後、バックして駅に入るのである。鉄道ファンでなくても興味を持てる情景だ。
終点の内湾村はかつて油羅渓の木材の集散地として繁栄していた。1950年が木材伐採と石炭採掘の黄金時代で、日本風の映画館などが今もよく保存されている。映画「我們都是這様長大的」「春秋茶室」「多桑/父さん」などのロケ地としても知られ、映画ファンも大勢訪れる。古い街で食べる客家料理は忘れられない味となるだろう。

1999年の台湾大地震で集集駅は半壊したが、すでに修復されている。(邱瑞金撮影)
チーチー線
集集線は、幾度も不幸な運命にさらされてきた。1986年には廃線が検討され、1999年には台湾大地震の直撃を受けた。この集集線に乗ると、無常の世で生命を大切にしなければならないという思いがわいてくる。
1921年、日本政府は日月潭水力発電所を建設するために集集線の敷設を開始した。現在の集集線は全長29.7キロ、南投県で唯一の鉄道だ。集集線は景色が美しいだけでなく、沿線の集集駅、明新書院、広盛宮、目仔窯、水里蛇窯、「開闢洪荒」の石碑などもよく知られており、いずれもこの土地の文化を感じさせるものだ。
「緑のトンネル」は集集線を代表する景観である。南投県の名間郷から集集鎮までの間は省道16号線が鉄道に沿うように通っており、その両側にクスノキがびっしりと植えられて生い茂っているため、まるで緑のトンネルをくぐっているような感覚を味わえる。夏の日の午後にここを通れば、陽光と涼しい風が車窓から吹き込み、ロマンチックな気分が味わえる。
1999年の台湾大地震で、集集線は大打撃を受け、各所が寸断されたうえに終点の集集駅も崩れてしまった。その後、駅は修復されたが、今日に至るまで南投県の観光産業はまだ本来の活気を取り戻してはおらず、集集線の業務は大きな影響を受け、沿線の景観の修復も終わっていない。この時期に集集線に乗れば、復旧に思いを寄せることができ、またその苦難の道が人生と同じであることを感じられるだろう。
アリサン森林鉄道
1912年に開通した阿里山森林鉄道は中華民国と同じ年齢で、世界の三大高山鉄道の一つに挙げられる。台湾の他の鉄道と違うのは、阿里山森林鉄道は鉄路局ではなく林務局の管轄下にあることだ。
阿里山を歌った歌は多いが、中でも「ひぃふぅみぃと台湾に行けば、台湾には阿里山、阿里山には神木がある」という童謡は内外で歌われており、故郷を離れた台湾人の郷愁を誘うものでもある。
阿里山鉄道に乗れば熱帯林から温帯林、寒帯林へと変わる風景を楽しむことができる。しかし、ビンロウや茶、ワサビの栽培のために本来の林相は大きく破壊され、有名な神木も1997年の7月1日に倒れてしまった。多くの場所は人為的な破壊に遭っているが、幸い阿里山鉄道は本来の姿をとどめており、高山鉄道特有のループ線やスイッチバックが鉄道の旅を一層楽しいものにしてくれる。
阿里山鉄道の最高傾斜度は62.4/1000で、まず螺旋を描くように山を登り、山頂に近づくとジグザグに折り返すスイッチバックを繰り返しながらさらに上っていく。この旅を味わったことがなければ、台湾人ではないとまで言われている。
今年の初め、人為的なミスから阿里山鉄道では深刻な脱線事故が起こり、現在に至るまで線路は封鎖されたままだ。100%の安全を確保した上での一日も早い運行再開が期待されている。