今年75歳の甘居正氏、髪も髭も黒く、動作はきびきびとし、話すことは簡潔明瞭、どう見ても60歳前後にしか見えない。
起床後に簡単なストレッチ運動をしてから、書斎のコンピュータでニュースを見る。台湾、南アフリカ、そして国際ニュースに関心を持ち、心身共にリフレッシュして一日が始る。
現在、その手で作り上げた振樺コンピュータ社の社長、また五洲兵器社の社長でもある。1年前、経営の一線を退き南アフリカ現地で招聘したマネージャーに任せている。
「甘氏は政府との繋がりが太く信頼されているので、武器会社を経営できるのです」と、新聞局南アフリカ代表事務所の陳天爵さんは言う。
甘正居氏の南アフリカにおける人脈は、1980年代中期に確立された。白人政府の時代、アパルトヘイト政策のために国際社会から孤立し、中華民国は南アフリカ唯一の友人と言えた。
甘正居氏はもともと公共行政が専門で、財政部、経済部などの要職を歴任し、元行政院副院長の徐立徳氏に認められて長い間主席秘書を勤めた。その後、徐立徳氏が第十信用金庫事件で一度失脚した際、甘氏は南アフリカの経済参事に派遣され、この派遣がその後半生を変えたのである。
南アフリカに来てまもなく、政府が外資誘致に力を注いで優遇条件を提示し、台湾政府も産業の構造転換を計画し情報産業育成に全力を挙げていた。
南アフリカではコンピュータ産業が遅れており、欧米や日本などの製品が市場を占め、政府や銀行はIBM、大企業は日本やヨーロッパ製品を使っていたため、組立とOEMで伸びてきた台湾のコンピュータ業界にとって、パソコン市場が有望に思われた。
当時白人至上主義で、アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカでは、台湾は遅れた開発途上国と言うイメージが強かった。甘氏は台湾のハイテク製品で、南アフリカの台湾に対するイメージを変えたかったのだと言う。
こう言った情報分析報告を台湾に送ると、当時中華民国対外貿易発展協会の事務長であった江丙坤氏は、コンピュータ業界のトップであるエイサー社の施振栄氏と甘氏共同で、南アフリカでコンピュータ展示会を開催させることにした。輸送費、会場費、宣伝広告などの費用は中華民国対外貿易発展協会と経済参事事務所が負担し、参加企業は個人の旅費を負担するだけという展示である。しかし、南アフリカは遠く市場規模も小さかったので企業の興味を惹かず、施振栄氏はとくに甘氏を台湾に呼んで、プロモーションを行った。そのおかげでエイサーやマイタックなど11社が参加したが、事前の宣伝が行届いていて潜在的な顧客の入場者が1万人を超えたと言う。代理業者、電力会社、国営事業などの大企業もやってきて、台湾から持ち込んだ製品は全て売れ、出展企業はすべて一流の代理店を見つけることができたのである。
出展企業の一つ振樺(マステック)社は、コンピュータのユーザーの必要性は国により異なるので、現地で組立工場を設立したほうが発展できると考えた。そこで甘居正氏に共同出資でコンピュータ会社を経営しないかと誘ったのである。また機械を学んでいた子息の甘致行氏を台湾の振樺社に3ヶ月実習に送った。こうして定年退職の2年前に甘氏は初めてビジネスの世界に足を踏み入れたが、最初はなかなかうまく行かなかった。
1989年、会社は巨額の不渡をつかまされた。損失は米ドルでほぼ30万ドルに上り、会社は危機に直面した。しかし甘氏はこの損失に甘んじられず、台湾振樺社と相談の上、おのおの25万米ドルの追加投資を決め、会社を安定させた。さらに高給でマーケティングの人材を集め、ネット構築に努めた結果、1年ほどで形勢は大きく変り利益が出るようになった。1990年末にはIBMやエイサーなどの大企業を押えて、南アフリカ最大のコンピュータ会社になったのである。
「思い起してみると、会社成功の鍵はセールスとマーケティングの人材でした。少なくとも3年以上の経験が必要です」と甘氏は話す。またアフターサービスも重要で、ディーラーに最大の技術サポートを提供する必要があるというが、現在振樺電子社は南アフリカに8千の代理店を持ち、1年の売上は3億ドルを超えてトップである。その生産するMECERは、パソコンとして南アフリカのトップブランドの地位にある。また長期的な協力関係にある会社の株を購入し、関係会社として密接な関係を強化している。例えばプリンターやファックスなどのオフィス用品製造のブラザー社、南ア最大のプリント基盤製造会社、国際的ネットを提供するグローバルネット社、それに南アフリカ最大のマルチメディア・ソフト会社などの企業が傘下に入っている。今では、ジンバブエや北京にも支店を開設した
振樺電子社は1997年4月にヨハネスブルグで上場し、評判となった。台湾系銘柄が投資対象となり、会社のディーラーや社員も株主となったため求心力が強まった。
現地の華人社会で関心の的となっているのが、その兵器産業である。「兵器産業なんて言いますが、拳銃などの護身用武器の代理と生産だけですよ」と甘氏は笑う。
五洲兵器社は1994年に設立された。南アフリカは経済制裁を受けていたために、銃器が不正なルートで輸入されていた。銃購入の申請登記には何時間も並ばなければならず、ここに目をつけたのだという。供給元を探し、会社を設立したが、主に高級なオーストリア製と廉価の中国大陸の銃を取扱い、中間価格帯は自社で製造している。輸入あるいは自社製共に、南アフリカの個人の銃市場を独占しており、競争相手はいない。現在、全国に60のディーラーがいるが、みな銃の愛好家である。半数は警察を退職した人だが、中には有名な銃器コレクターもいて、銃を百丁余りもコレクションしているという。
甘居正氏の優れた経営センスは、五洲社の周辺設備からも伺える。射撃場があり、コーチが指導してくれるし、定期的に試合も開催され知名度を上げている。またそばにはレストランもあって、射撃練習に来た人の食事や休憩に便利である。
南アフリカでは治安が大きな問題で、多くの人が護身のために銃を持っている。だがその一方で、犯罪者が非合法の銃を手に入れるのも容易なために、銃を持っていると却って危険なことがある。社会的には銃器の自由な取引に対して賛成と反対の意見が拮抗しており、大きな争点となっている。甘氏はこのビジネスも今はいいものの、次第に衰退していくと考えていて、転業の準備を始めているところだそうである。
国家に奉仕する公務員から自分のために働く実業家への転身、だが甘氏に言わせれば原則は同じことである。法を守り、分を守り、責任を果し、注意深く、全てのことに努力し、観察や判断に優れ、人とうまく処していくことである。能力や人脈は、仕事一つ一つの経験の中から累積していくもので、人生のチャンスがドアのそこまでくれば、成功はすでに遠くないところにあると言う。