20年前は経営不振に陥っていた栄剛材料科技(GMTC)だが、今は国内唯一の高合金鋼メーカーであり、特殊鋼の分野では世界のトップ10に名を連ねるまでになった。
特殊鋼とチタン合金の優れた技術をもって、栄剛は参入の困難な航空機やエネルギープラントの分野にも進出した。その製品は、工作機、発電機、ハイエンドの医療機器や国防工業の分野でも活かされており、台湾産業の陰のチャンピオンと言える。
かつて大学教授だった栄剛の陳興時・董事長は、なぜ教授の職を辞して産業に身を投じたのか。
台南と嘉義の境界に位置する柳栄工業区に、世界のトップ10に数えられる特殊鋼メーカー、栄剛材料科技(GMTC)がある。10万坪近い工場ではオレンジ色の炎の中で特殊鋼の鍛造が続く。栄剛は国内で唯一、特殊鋼、チタン合金、ニッケル合金などを専業生産するメーカーである。
今年7月、栄剛の陳興時・董事長は工業研究院第二期院士の栄誉に輝いた。陳興時は6月に落成したばかりのグローバルオペレーション本部のホールで、将来はここに米国と日本の国旗を掲げると話す。同社は他の台湾企業とともに航空宇宙、ガス・油田ボーリング、水資源などの分野に進出し、事業をグローバルに展開していきたいと考えている。

20年の努力を経て、栄剛はステンレス鋼や超合金などの製品を航空機やエネルギープラントメーカーなどへ納入するまでになり、競争の激しい超合金分野で世界の一角を占めるようになった。
67歳の陳興時は、戦後の貧しい時代に生まれた。若い頃は喧嘩ばかりして過ごし、勉強も好きではなかった。17歳の時には自分で事業を興したいと思ったが、兄に励まされ、台南第二高校から成功大学機会学科へ進み、周囲を驚かせた。
大学ではラグビー部で活躍し、成功大学台南二高同窓会の幹事長も務めた。
卒業して兵役を終えると、ドイツのハノーバー大学へ公費留学、1975年に材料工学博士となる。29歳で母校の教員に招かれて帰国し、2年後には成功大学機械工学大学院の所長となる。
だが、学術理論が重んじられていた当時の大学では、陳興時の産学協力の理念は壁にぶつかり、彼は人々の羨む大学教授の職を辞して工業研究院材料研究所に転職、高純度・高機能材料の開発を始めた。
だが、いかに優れた技術があっても、産業として生産できなければ意味がないと感じるようになった。そこで1985年、彼は己のすべてを込めた特殊鋼企画書を手に、30余人の投資家を訪ね歩いた末、ついに長栄(エバーグリーン)グループの張栄発総裁と出会った。二人は意気投合し、長栄超合金公司の設立を決めた。長栄が筆頭株主となり、陳興時が総経理を務めることになった。
当時、陳興時は、台湾市場は特殊鋼メーカーを2社支えることができ、長栄グループの資源と信用があれば事業は成功すると楽観視していた。
だが、当初は革新技術を掌握できなかったため、製品の質は理想的とは言えず、しかも台湾の特殊鋼市場は日系企業に支配されていた。長栄グループは、このままの経営では損失は十数億に達すると見ていた。

顧客の認定を得るために、栄剛は巨額を投じて設備を充実させ、品質の高い製品を生産している。
長栄の経営層は、問題は台湾市場が小さすぎることにあるとし、陳興時に「どうする?まだ可能性はあるのか?」と問いただした。これに対し、特殊鋼領域の可能性を確信していた陳興時は「可能性はあります」と答え、責任を自ら負うことにした。彼は社員とパートナーとなって経営権と20数億の負債を引き継ぎ、社名を栄剛に変更した。
話し合いの結果、長栄が8億元を出資し、栄剛は工場設備を長栄重工から借りることとなった。陳興時は出資者に再建への決意を示すため、不動産と株をすべて抵当に入れて融資を受けた。子供たちに、事業に失敗したら家は無一文になると話した。
覚悟はできていたものの、台南の工場に到着すると、状況は想像していたより悪いことに気付いた。まるでゴーストタウンのようだったという。受注がないため、従業員の士気は下がり、設備も稼働していなかったのである。
当面の急務は全社の士気を高めることだった。幸い鉄筋需要があったため、以前の工場で不合格になった鋼材で鉄筋を生産することにした。彼は生産工程を変えさせ、2週間で工場を動かした。
当面の目途がつくと、陳興時は大胆にステンレスを購入して鍛造加工メーカーに転売した。2ヶ月あまりの間に、栄剛は700トン余りのステンレスを購入して転売し終えると、さらに5000トンを購入して大きな利益を上げ、会社を覆っていた暗い影は一気に払拭された。
1997年、栄剛の経営は軌道に乗ったが、陳興時は特殊鋼開発の目標を忘れていなかった。だが、当時台湾の特殊鋼市場は日本製品の天下で、そこへどう切り込んでいくかが大きな課題となった。
前回の失敗の経験から、先に海外市場を開拓し、それから国内に参入する戦略を採ることにした。欧州市場に進出するには、まずドイツの認証機関DQSのISO9002と英国BSIのISO9002などの認証を取得しなければならない。
効率を上げるために、陳興時は産業界の認証取得を指導する金属工業研究発展センターに、3ヶ月以内に国際認証を取得したいと求めた。当時の金属工業研究発展センター処長で、現在は高雄第一科技大学機械学科教授の傅兆章は、この要求を聞いて、不可能なことだと思ったという。
しかし実際に工場を見ると、栄剛の工場設備や生産工程はすでに認証取得標準に合致しており、足りないのは文書だけだった。最終的には予定より早く認証を取得することができた。

2000年にシックス・シグマを導入したことで、経営・品質管理の思考と効率が大幅に向上した。
海外市場進出の要件をクリアした栄剛は、より困難な分野への挑戦を決めた。切削工具や半導体設備などの生産に用いる「粉末ハイス」の技術は、当時世界で3社しか持っていなかった。陳興時は1年をかけてこの技術を開発し、栄剛の技術力がしだいに注目されるようになった。
2000年に栄剛が米国のゼネラル・エレクトリック(GE)社の認定を取得した時のことは今も語り草になっている。
2000年、GEの会長だったジャック・ウェルチ氏が長栄グループに航空機専用エンジンGE-90を売り込みに台湾を訪れた。大陸へ移動するまでのわずかな時間に4社とだけ面談する機会が得られ、栄剛はその中の1社だったのである。
面談はわずか10分。ウェルチ会長は陳興時に2つだけ質問をした。「私たちのサービスに満足していますか。私に出来ることはありますか」と。そこで大胆にも、GEの供給メーカーになりたいと申し出ると、ウェルチしはこれを快諾し、協力すると言ってくれたのだ。
ウェルチ会長はGEのアジア地域責任者を派遣してくれ、栄剛はシックス・シグマの指導を受けることとなった。シックス・シグマというのは、製品100万個のうち不良品を3.4個に抑えるための経営・品質管理手法で、これによって栄剛は管理システムを改善でき、業績も上っていった。
注目したいのは、栄剛がわずか4ヶ月でGEの認定を得たことだ。これは他のメーカーより8ヶ月も短い期間で、しかも当時、GEの要求にかなうメーカーは世界で3社しかなかった。
GEの認定を取得した後、栄剛はドイツのシーメンスや日本の東芝などの認定も取得、2006年にはついに目指していた航空産業への参入を果たし、ボーイング社への供給が認められた。

20年の努力を経て、栄剛はステンレス鋼や超合金などの製品を航空機やエネルギープラントメーカーなどへ納入するまでになり、競争の激しい超合金分野で世界の一角を占めるようになった。
2006年、世界的に航空機の降着装置の材料が不足し、ボーイング社は要求にかなうメーカーを見つけられずにいた。ボーイング社から供給メーカー選出を依頼されたスミス・エアロスペース社は、日系企業の推薦で栄剛の存在を知ったが、初めて栄剛の名を聞いた同社は、在米華人で超合金専門家の余光鄂氏に相談したところ、強力に推薦された。そこでスミス・エアロスペースはボーイングの品質専門家とともに栄剛を訪ねて認証システムを視察し、翌日には5年契約を結ぶことが決まったのである。
「電子産業が特許を重視するのとは異なり、特殊鋼産業では認証や認定が重んじられます」と陳興時は言う。栄剛は品質システム認証、製品認証、実験室認証を取得して初めて受注できる。そこで顧客の品質要求に応えるため、栄剛は注文を受ける前に巨額を投じて設備を購入し、試験を行なった。
幸いこうした苦労は報われ、認定を取得したことでライバル企業の6割に勝つことができ、製品の価格も一般の鉄鋼が1キロ35台湾ドルなのに対して10倍になった。栄剛の主力商品である高機能ステンレス材は高温や腐食、衝撃に強い特殊鋼で、発電機タービンのブレードに用いられる。価格は通常の鉄鋼の15~30倍である。
ボーイング社の認定を取得した翌年、栄剛の年間売上は初めて100億台湾ドルの大台を突破し、会社設立以来の業績となった。だが、翌年は金融危機でボーイング社からの注文が取り消しになり、業績に大きな影響が出た。
そこで陳興時は経営戦略と製品ラインアップを調整し、金融危機の影響も底を打ったことから、再び大胆に設備投資を行なった。2010年には、航空機、エネルギープラント、油ガス田、医療、金型などの産業を栄剛の黄金の10年の五大産業に位置付けた。栄剛が開発した技術項目は20年前の5種類から500種類まで増えた。

20年の努力を経て、栄剛はステンレス鋼や超合金などの製品を航空機やエネルギープラントメーカーなどへ納入するまでになり、競争の激しい超合金分野で世界の一角を占めるようになった。
創業から20年、栄剛の2012年の売上も100億台湾ドルを維持したが、これからの課題も少なくない。
陳興時によると、ミドルレンジやローエンドの製品がすでに価格競争に陥っているのに対し、ハイエンドの特殊鋼には今後20年にわたる発展が見込める。しかし、近年は中国大陸の廉価な模造品が出回って鉄鋼市場の相場は混乱している。また、業績向上につながると見られていた航空産業も、国際原油価格の変動のため、多くの航空会社が新機体の注文を控えている。
「景気の変動に不安はありません。趨勢を正しくつかむことが大切です」と陳興時は言い、今後有望な分野は油ガス田だと言葉を続ける。
エネルギーや航空産業は認定取得に3~5年かかるのに比べ、同様に材料に高い質が要求される油ガス田分野では認証手続が比較的シンプルで、認証を取得していない台湾企業でも、時間をかけずに参入できる分野だという。
台湾精製産業研究開発連盟の幹事長も務める陳興時は、台湾にビジネスプラットフォームを構築して、他の台湾企業とともに世界の航空機・エネルギープラント産業の核心部品のサプライチェーンを形成したいと考えている。
華やかなブランドはなく、IT商品のようにファッショナブルな製品もないが、栄剛は一つまた一つと関門を突破し、鉄鋼産業の特殊鋼という領域で美しい光を放っている。

栄剛(GMTC)の陳興時董事長(中)は大学教授を辞して実業界に転じ、負債を抱えた栄剛を率いて世界トップ10の高級特殊鋼メーカーへと成長させてきた。

栄剛(GMTC)の陳興時董事長(中)は大学教授を辞して実業界に転じ、負債を抱えた栄剛を率いて世界トップ10の高級特殊鋼メーカーへと成長させてきた。

20年の努力を経て、栄剛はステンレス鋼や超合金などの製品を航空機やエネルギープラントメーカーなどへ納入するまでになり、競争の激しい超合金分野で世界の一角を占めるようになった。