人を救う医療の仕事が綱渡りのような状態だとしたら、誰が命をかけようと思うだろう。医療は運と天に任せるしかないとしたら、誰がそれを職業とするだろう。医師を救うには、まず医療事故の刑事責任の合理化から始めなければならない。
先頃、台北地方裁判所のある裁判官が、胆のう摘出手術のトラブルから台湾大学の医師と検査技師4人を業務上過失重障害で告訴し、900万元の賠償を求めた。この消息が伝わると医療界は騒然とし、被告への声援が湧き上がった。

外科手術は医療効果がすぐに現われるが、患者ごとに体質や状況が異なり、合併症の危険もあるため、結果を予測するのは難しい。
台中市梧棲童総合病院の神経外科医は、7年前に交通事故で重傷を負った患者の手術をしたが、術後、患者は全身が麻痺して失明し、患者の家族に訴えられた。二審の裁判官は、術後に脳圧モニターを用いなかったことを突き止め、医療過誤として3341万台湾ドルの賠償を命じた。この判決に対しても、医学界から大きな反発の声が上がった。
台湾では毎年平均36.7人の医師が医療トラブルで刑事事件として起訴されている。
昨年を例にとると、地方検察署が受理した医師の業務上過失致死案件は24件で81人、同年の起訴件数は14、不起訴処分は103件だった。
政治大学法学部の劉宏恩准教授によると、医療トラブルで刑事告訴されても大多数は無罪判決となり、有罪判決でも多くは執行猶予がつき、実際に投獄される事例は稀だ。しかし、医者にとって、刑事事件というのは心理的に大きなプレッシャーとなり、裁判には時間もかかる。
外科医の洪浩雲は台湾大学に勤務していた時に医療トラブルで訴えられた。「匿名の告発の手紙を受け取った時は一週間ずっと落ち込んだままでした。裁判所からの呼び出しを受けると大きなプレッシャーを感じ、挫折感に襲われました」と言う。
「裁判は、医師に医療に携わる勇気を失わせます」と話すのは第一線を離れた陳家如医師だ。病院で研修医をしていた時、彼女の上司に当る4人の医師のうち、2人が訴えられたのである。
そのうちの1人のケースを彼女は目の当たりにした。急患は中学生。搬送されてきた時、嘔吐があり、血圧は低下し、瞳孔は開いていた。CTスキャンで脳幹に大きな腫瘍がみつかり、緊急に脳神経外科に連絡した。手術をすることになった脳外科医は手術前に家族に状況を詳細に説明し、手術の危険性が大きいことも告知した。手術後、患者は亡くなり、家族はそれを受け入れられず、訴えたのである。
「この事件に大きなショックを受けました。私の100倍もの能力を持つベテラン医師でさえ医療過誤で訴えられることを知り、これほどリスクの高い仕事をやっていけるかどうか、大きな疑問が湧いてきたのです」と言う。

現代人は生も死も病院で迎える。そこにはさまざまなトラブルがつきものだ。
人命救助は医師の職務だが、命を救えなかった時には告訴されるというのは、医師には受け入れがたいことである。
患者や家族も、医者を罰したいと思っているわけではない。台湾医療改革基金会は毎年数百件近い医療トラブルの申し立てを受け付けている。それによると、家族の訴えの根底にあるのは、「医療過程のどこに問題があったのか」「患者の今後の長期にわたるケアをどうするか」といった課題なのである。
「これは政府と患者と医師の三者すべてに不利な状況です」と話すのは、亜洲大学健康産業管理学科講座教授の楊志良だ。一般に外国では医師に「故意」がない限り、刑法で訴えることは非常に少ないが、台湾では刑事訴訟を通して民事賠償の目的を果たそうとする人が多い。
統計によると、台湾の医療事故の提訴率は20%で、その8割は刑事告訴である。その原因につて政治大学の劉宏恩は、民事訴訟では挙証責任が原告側にあることを挙げる。
一般国民の医療に関する知識や情報は、当然医師のそれに及ばず、カルテや証拠も病院側が保有している。刑事告訴することで、はじめて検察官が捜査し、病院側の取り調べや医療機器の押収もでき、真実が明らかになりやすいのである。
この刑事訴訟という苦しみを取り除くため、医療界は「非刑法化」「非犯罪化」を訴えてきた。医療は他の職業とは異なるという考えである。
医療の結果、人を死に至らしめるのと、トラック運転手が不注意で人を轢いてしまうのは違うと新光病院救急科の張志華医師は言う。医師も運転手も業務執行であることは同じだが、交通事故の場合は、歩行者はもともと何事もなく、行為の介入(トラックがぶつかること)によって初めて危険が生じる。だが医療の場合、患者はもともと危険な状態にあり、医師はそれを救うために介入するのであって、それが成功しなかったとしても、理解され許されるべきだという考えだ。
小児科医の林秉鴻は、医療処置を施さなければ患者の病状は悪化するが、医療行為の結果は予測できないという。サッカーのゴールキーパーがどんなに努力しても守りきれるとは限らず、それでもその結果の責任を負わなければならないのと同じだ。
ミスか合併症か?医療処置と結果の因果関係の立証も難しい。
外科医の洪浩雲の手術を例にとると、術後の状況が予測より悪かった場合、医師は合併症を疑うが、患者や家族はミスを疑う。だが、ミスか合併症かの判定は非常に難しい。簡単な盲腸炎でも国内外で1割余りの誤診があるとされている。
一秒を争う救急の場では診断の誤差は避け難い。
洪浩雲は、こんな笑い話で救急医療の難しさを説明する。――ある老婦人が眩暈で救急医療を受けた。医師はいろいろな検査をしたが眩暈の原因は分からなかった。その老婦人に帰り際に「ありがとう。ハンサムなお兄さん」と言われた医者は、そんなことを言われたのが初めてだったのでハッとし、すぐにCT検査を行なったところ、腫瘍が視神経を圧迫していることがわかったのである。
邱文達・衛生署長は、救急医と裁判官を比較する。「救急医療は3分で判断しなければならないが、その判断を間違えると訴えられる。一方、裁判官は一つの案件に一年以上をかけ、誤った判決を下しても何事もない」。亜東病院の朱樹勲院長もこう問いかける。「裁判官の誤った判決は業務上の過失に当り、国が賠償する。医師は健保局や病院のために働いているのだから、医療トラブルは健保局や病院が責任を負うべきではないか」と。
どう救済するか?医療界は、医療トラブルの非犯罪化と非刑法化を長年訴え続けているが、法務部や台湾医療改革基金会からの賛同は得られていない。
法務部の立場は「医療は他の業種と異なることはなく、特権を有してはならない」というものだ。
理律法律事務所代表の陳長文は「医療過誤を刑法の枠から外すことは、各業種の平等と関わり、医師だけを優遇することはできない。医師と患者の意志の疎通を強化し、民事の賠償請求を可能にするべきである」と述べている。
世界各国の状況を見ると、多くの国は医療トラブルを民事訴訟で解決しており、しかも訴訟では病院側が医療過誤ではないことの立証責任を負っている。我が国の民事訴訟法にも「挙証責任の転換」という条文があるが、裁判官がこの条文を適用することは少ないのである。
この他に、保険会社の役割も考えられる。中華民国医師組合全国連合会の李明浜理事長によると、米国では年間9万件の医療トラブルが起きているが、賠償請求の訴訟に至るのは2000件に過ぎず、大部分は保険で解決されているという。
沈富雄も、医療トラブル解決には保険を活かすべきだと考える。沈富雄は12年前に立法委員だった時、「医療事故無過失責任保険」の成立を推進した。医療行為によって、障害または死亡という状況に陥った場合に保険を適用するというものだ。賠償金の半分は健保から出され、残りの半分は医師が専門分野ごとに入る保険から支払われる。だが、当時はまだ問題の深刻さが顕著でなく、実現できなかった。
台湾医療改革基金会と消費者基金会は、多くの患者が訴えたいと思っているが、調査の方法がないために泣き寝入りしているという。台湾医療改革基金会は、医療法を改正し、衛生主管機関が患者に行政上協力し、調査を行なうべきだと主張する。
楊志良も、強制的調停のための制度(現在は強制ではない)を確立し、民事訴訟手続を短縮して患者側が原因や経緯を理解できるようにすることが重要だと考えている。
「国民への教育も重要です」と話す劉宏恩は、医療は結果論で云々すべきではなく、結果の良し悪しは過失があったかどうかとは別問題だと言う。医療には自ずと限界があり、過失は一般の医師の能力の及ぶ範囲を基準とすべきで、人並み外れた名医を基準とすべきではないという。
医師と患者は、訴訟ではなく、コミュニケーションを通して信頼関係を回復しなければならない。