台湾の彫塑教育を確立
台湾の大学や短大に彫塑科が設けられるまで、蒲添生は台湾で初めて彫塑教育を行なう芸術家だった。1949年に政府が夏季彫塑講習会を開いた際、蒲添生を教師に招き、全国の美術教師と若い芸術家を教えた。当時の学生だった書家の呉栄隆は、「蒲添生先生が十数年の努力の末、台湾の美術教育を平面から立体へと発展させたことは、非常に重要なマイルストーンです」と語る。
精神面での教育について、息子の蒲浩明によると、蒲添生は「道」を強調するのではなく、西洋の美術史家ヨハン・ヨアヒム・ウィンケルマンに似ており、ギリシア・ローマの彫塑の精髄は高貴な単純さと厳粛の偉大さにあると考え、作品は精神を反映するのだから、鋭敏な心を育むことが創作において最も重要な基礎となると説いていた。「人体のあらゆる部位の質感の差を観察しなければなりません。唇、口角、顎骨などの柔らかさはすべて異なり、また季節によっても人の状態は違ってくるのです」と蒲浩明は説明する。
技法の面では、蒲添生はモデルを観察した後、真後ろに向きを変えて粘土で塑像を作った。スケッチのように、キャンバスとモデルを同じ方向に置くのとは異なる。「真後ろに向きを変える、その瞬間に、最も印象深かった部分を記憶するのです」と言う。
このほか、蒲添生は台湾で初めて芸術家として銅像製作所を設立した。それまでは機械による鋳銅しか行なわれていなかったが、彼は人物像の鋳銅技術を導入したのである。戦後、日本の鋳銅技術者が台湾に残っており、彼らが台湾の技術の基礎を築いた。
蒲添生の生涯の作品を振り返ると、家族を養うために塑像制作に取り組み、師の教えを受けて『春之光』『三美神』を制作、大いなる歴史的流れの中で要人のブロンズ像を作り、晩年には新たな境地を開いて『運動シリーズ』を制作した。蒲添生は生涯にわたって創作に情熱を注ぎ、それにより西洋の古典芸術が台湾に根付き、また変化してきたのである。
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蒲添生の息子・蒲浩明(左)も彫塑家となった。同じく息子の蒲浩志は蒲添生彫塑記念館の館長を務め、父の日本留学から帰国まで、さまざまな年代の経歴や物語を収集している。