日本展への第一歩
展示品差し押さえの免除が制度化
国立故宮博物院の馮明珠院長は本誌のインタビューを受けた際、故宮博物院のコレクションを展示のために海外に貸し出すには、二つの条件をクリアしなければならないと説明した。一つは、貸し出す相手国で、文物が強制執行や差し押さえの対象とならないことが保障されること、もう一つは「国立故宮博物院」の正式館名が尊重され使用されることである。そのため、故宮コレクションの日本での展示のためには、日本の国会が、海外から借り入れた美術品などについて強制執行や差し押さえを免除するという法律を定める必要があった。
馮寄台・前駐日代表と代表処のメンバーは、日本の超党派の議員連盟である「日華議員懇談会」の平山赳夫会長や、民主党の「日本・台湾安保経済研究会」の鈴木克昌会長などの国会議員を積極的に訪問し、故宮文物の日本展示実現促進を働きかけてきた。
その後、平山赳夫会長が日華議員懇談会の幹部で衆議院議員の古屋圭司議員と笠浩史議員に積極的な調整を指示し、麻生太郎首相在任中に、関連法案が初めて衆議院文部科学委員会の審査に付されることとなった。しかしその後、首相交代や内閣改組などが続き、法案の審査はなかなか進展しなかった。
2011年3月8日、衆議院文部科学委員会の田中真紀子委員長が『海外美術品等公開促進法』の法案を審査に提出し、これが全会一致で可決された。こうして、海外から借り入れた美術品の差し押さえ等を免除する法の制定へ、大きな一歩が踏み出されたのである。
その2日後、同法案は衆議院本会議で表決が採られ、ここでも全会一致で可決された。ところがその翌日の3月11日、日本では東日本大震災が発生し、東日本の広大な範囲が津波に襲われ、日本社会全体が大きな打撃を受けることとなる。
東日本大震災の被災者の苦しみを、台湾の人々は自分のことのように感じ、震災直後から救援物資を募って被災地へ送り、また義援金も続々と集まり、日本の各界を感動させた。こうした雰囲気の中、震災から2週間目の3月25日、日本の参議院本会議において賛成235票、反対0票で『海外美術品等公開促進法』が可決成立した。これにより、故宮博物院のコレクションが日本へ貸し出された後、それらが差し押さえられるといった心配はなくなったのである。
同法案の立法までの過程を見ると、正式な提案から本会議での可決成立まで、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人と4人の首相の政権にまたがっている。
『海外美術品等公開促進法』が成立する以前から、日本の主要メディアはそれぞれ日本での故宮博物院展主催の意向を表明していた。
例えば「産経新聞」の住田良能社長(当時)は2010年5月に馬英九総統と会見した際、同新聞社は30年前から日本での故宮博物院展開催を積極的に推進してきており、海外美術品等公開促進法が成立したあかつきには、同新聞社は故宮展を協賛し、日本の多くの人々に中華の文物を鑑賞する機会をもたらしたいと考えていると話した。
故宮博物院には中国歴代の優れた文化財がコレクションされており、海外美術品等公開促進法の成立を支持した日本の国会議員もマスメディアも一般市民も、故宮博物院のコレクションに大きな興味を抱いているはずだと故宮博物院の馮明珠院長は言う。
「海外美術品等公開促進法」が成立して間もなく、故宮博物院と深い友好関係にある日本の東京国立博物館から故宮博物院に対し、日本での展示を希望するコレクションの「ドリームリスト」が正式に提出された。
2013年6月、東京国立博物館と日華議員懇談会、そしてNHKや読売新聞、朝日新聞、産経新聞などの日本の主要メディアから成る「故宮文物日本展運営委員会」が組織された。続く10月、故宮博物院と東京国立博物館、九州国立博物館の三館の館長が台北で調印式を行なった。今年6~11月、日本で「台北 国立故宮博物院-神品至宝-」が開催され、故宮コレクションから厳選された231点が展示されることとなったのである。さらに、門外不出の名品である「翠玉白菜」と「肉形石」も、それぞれ東京国立博物館と九州国立博物館で2週間展示されることになった。

蘇軾 寒食帖(黄州寒食詩巻)/縦34.2cm、横199.5cm/蘇軾は北宋の大文豪、東坡居士と号した。「寒食帖」は「黄州寒食詩巻」とも呼ばれる。/1082年、朝政を批判したことで黄州に流されて3年目、寒食節(冬至から105日目)に作った二首の五語詩である。/明朝の名鑑賞家である董其昌は、これを蘇軾の書の最高峰と称えた。王羲之の「蘭亭序」、顔真卿の「祭姪文稿」に続く「天下第三の行書」とされる。