その時の記事を見ると、張大千は作画時に人が傍にいても気にしないが、それが誰かで作画に大きく影響すると書かれている。話の合う人であれば、普段は描きたいと思わない絵でも談笑のうちに絵筆が進むのだが、面白味のない客だと、居士はため息をついて、もうやめたとばかりに筆をおいてしまうのである。
来客好きの張大千は、客に料理をふるまうことを好み、円卓に12人が揃うと大変喜んだという。肉が大好きで、青菜を見ると眉をひそめ、気が向くと自ら厨房に立ち、牛肉炒めやピリ辛春雨炒め、唐辛子と魚の炒め物などの手料理で客をもてなしたと記事で触れている。
10ページに渡るインタビュー記事では、あたかも墨絵のように美しい摩耶精舎内外の佇まいを数十枚の写真で紹介している。その庭園には、主人の構想と理念によって手が加えられていた。
その富は国に匹敵すると言われた張大千だが、実は想像できないないほど貧しいとも言われていた。というのも、有り金はすべて庭石や花木など、愛でて、作画の素材とするものに投じたからである。
さらに張大千は愛国心が強く、その当時、ブラジルが中国共産党政権を承認するとすぐに台湾に戻ったことも書かれている。若き頃の遊学の地で、画材を注文していた日本が北京政権と国交を結ぶと、再びその地を訪れることはなく、トランジットで通ることもなかった。米国が北京政権を承認すると、開催予定だった二つの米国展覧会をキャンセルし、生ある限り二度と訪れないと明言し、行動で政治的立場を表明したのである。
誠実で情熱的な張大千だが、その晩年に「光華」の読者に自宅での暮らしを隈なく見せたこの記事は、まさに貴重なものと言えよう。

詩情あふれる摩耶精舎は張大千のインスピレーションの源だった。

詩情あふれる摩耶精舎は張大千のインスピレーションの源だった。