2010年7月以来、台湾の漫画業界では朗報、吉報が続き、盛り上がりを見せている。
まず、新鋭漫画家の彭傑が日本の著名漫画家・漫画原作者の稲垣理一郎と共同で制作した『KIBA&KIBA』が、日本の漫画誌「週刊少年ジャンプ」に掲載された。同誌創刊42年来で外国人の作品が掲載されたのは初めてのことだ。
続いて、熱血の高校生活を描いて一世を風靡し、かつて100万部を売った台湾漫画『Young Guns』が12年の沈黙を破り、作者の林政徳はついに完結編を発表。長年待ちわびていた読者の夢を完結させた。
一方、フランス在住の漫画家・林莉菁の仲立ちで、『囧;男孩(Orz Boys)』のクリエーター王登トら台湾の漫画家15人が力を合わせ『Taiwan Comix』を自費出版した。これが漫画界のアカデミー賞とされるフランスのアングレーム国際漫画祭で好評を博し、台湾の漫画がヨーロッパでも一目置かれるようになった。
新鋭漫画家のAKRU(沈穎杰)の『コプレの翼』は、19世紀イギリスの植物学者が美と哀愁の伝説を求めて当時フォルモサと呼ばれた台湾を訪れ、中央山脈で漢民族や原住民と交流するファンタジーだ。繊細かつクリアなタッチで大自然の静謐の美が描かれ、人類学科出身の知識を発揮して当時の社会や風俗習慣なども忠実に再現している。この作品は現在すでに第4刷と売上も好調だ。
台湾漫画はかつての『諸葛四郎』や『大嬸;婆』から敖幼祥の『烏龍院』や鄭問が水墨画の技法で描く時代物を経て、最近は振るわないイメージがあったが、昨今は次々と朗報が伝えられ、明るい兆しが見えてきたようである。
今年から新聞局のドラマ漫画賞が「金漫賞」に変り、第1回の授賞式が7月に開かれた。審査委員会の座長を務めた陳治華は次のように説明する。2009年1〜9月、台湾では3359点の漫画が発行されたが、そのうち日本の漫画が95%を占め、次が香港の113点で4%、台湾の作品はわずか1%の35点だった。

妖怪が集う境港市は、日本でも人気のある観光地の一つだ。左は鬼太郎の銅像、右は目抜き通りを歩いて雰囲気を盛り上げる「ねずみ男」の観光大使。
漫画出版の最大手・東立出版社の陳清淵編集長によると、90年代の十年は台湾漫画の黄金時代だった。鄭問、蕭言中、敖幼祥、林政徳らが頭角を現し、作品数も多くスタイルも多様で、単行本は軽く10万部を突破した。1万部を超えればベストセラーとされる今日とはスケールの違う勢いだった。
当時、蔡志忠の諸子百家シリーズは世界の44ヶ国語に翻訳されて55ヶ国で発行された。また、水墨画のような画風で日本に進出した鄭問は、講談社の「週刊モーニング」に『東周英雄伝』を発表、出版社からアジアの至宝と称えられ、日本漫画家協会から特別に優秀賞を授けられた。
漫画文化史を研究する逢甲大学庶民文化センターの陳仲偉准教授は、90年代に台湾の漫画市場が隆盛を極めた原因は「版権化」にあると分析する。92年に新しい著作権法が制定されると、日本の各出版社は、海賊版を撲滅するために、合法的なライセンスを通して台湾で単行本や雑誌を発行するようになった。台湾の出版社が「週刊少年ジャンプ」や「週刊少年マガジン」から版権を買って「宝島少年」や「新少年快報」を発行するようになった。これと同時に日本の出版社は「ローカル化」を実現するために、これら雑誌の2〜5割は台湾の作品を掲載するよう求め、これによって出版各社は台湾での新人の発掘と育成に乗り出したのである。一方「捷比漫画便利屋」や「漫画小子」といった漫画専門店やレンタル書店も出現し、台湾漫画はピークを迎える。

東立新人賞で優勝してデビュー、ペンネームはT.K. デビュー作『烈炎真言』はインド神話の神と悪との戦いの物語だが、時空を通りぬけ、戦いの場は台湾となる。台中の一中街、科学博物館、彰化県八卦山の大仏なども戦いの場となり、親しみやすい。
だが、この十年、台湾漫画は衰退し今も谷底にある。
その原因として、2000年以降の世界的な出版業の低迷が挙げられる。紙の値上がりとインターネットの興隆である。特に漫画世代はネット世代でもあり、オンラインゲームなどに読者を奪われ、印刷媒体の利潤が浸食された。
同時に、ネット上で中国の海賊版が読めるようになった点も挙げられる。日本で単行本が発行された翌日にはネット上に中国語版が登場し、その「効率」は出版社より高かった。漫画専門店やレンタル店は大打撃を受けて閉店し、漫画雑誌も最盛期の30余から10点以下に減った。これらの要因で、台湾漫画の露出度は下がり、敖幼祥や蕭言中など人気漫画家は中国大陸市場へ進出し、鄭問はゲーム産業へ移り、台湾漫画は氷河期へ入ったかのようだった。
陳清淵はさらにこう分析する。かつて無限にビジネスチャンスが広がっているように見えた黄金時代には新人が大いに名を上げ、中には未熟な作品も次々と出版されて、読者の信頼を失ったと考えられる。
この頃も、日本の漫画は相変わらず大量に輸入されていた。『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『幽遊白書』などの超人気作品を通して台湾の漫画ファンは漫画の魅力を堪能した。「この経験から、台湾の漫画ファンは、台湾の漫画作品を直接日本の漫画と比較するようになりました。これは台湾漫画には極めて厳しい要求です」と陳清淵は言う。読者の期待が高いため、失望も大きく、台湾漫画は喝采を得られなくなった。

(右)林青慧(左)と沈穎杰は台湾を代表してフランスのシャンベリー国際漫画フェスティバルに参加し、会場では台湾のオリジナル作品300点と原画40点が展示された。左のイラストは沈穎杰の作品『コプレの翼』。
陳清淵は、台湾漫画に再び活気を取り戻すには「完全分業の産業チェーン」と「発表の場の提供」が鍵になると考える。
その話によると、景気の良し悪しに関わらず、漫画家を目指す若者は少なくないのだが、興味だけでは産業とは結びつかない。漫画産業には非常に綿密なプロ集団による作戦が必要で、編集者や原作者、アシスタント、マネージャーなどがいなければ優れた作品を生み出すのは難しい。台湾の漫画界(および文化創意産業全体)には、こうした「鍵となる周辺」の存在が欠けているのである。
陳仲偉によると、分業体制の整った日本では、漫画編集者は4〜5年をかけて養成され、漫画言語(コマ割りや効果音の文字運用)、漫画家とのコミュニケーション、企画力などを身につける。優れた編集者は、漫画家に代って市場の趨勢や読者の傾向を分析し、ネーミングや物語の展開にもアドバイスをする。これによって漫画家が独りよがりになったり、物語が無謀な展開をすることを避ける。
尖端出版社企画宣伝主任の楊仲偉によると、現在台湾の大多数の漫画家は孤軍奮闘している。アシスタントを雇う余裕もなく、ストーリーも絵も雑用も全部一人でやっており、創作に集中するのは難しい。
日本では、一つの作品がヒットの兆しを見せると、それが漫画誌に連載中の頃から、アニメ業界や周辺産業から協力やライセンスのオファーが入る。こうした周辺ビジネスの売上は漫画出版そのものより大きく、市場が拡大するため漫画家もすぐに利益を得られる。
一方の台湾では、作品がヒットしたとしても、市場規模の限界があるためアニメ産業の協力はなかなか得られず、アニメ化が実現したとしても、テレビ局が「冒険」を恐れて放送にこぎつけるのは難しい。そのため、出版社が自社で周辺商品を開発し、異業種の協力を求めていかなければならず、そのプロセスには時間がかかる。

漫画家・黄俊維の最新連載作品『夜魅星』(左上)と自画像(上)。
陳清淵は、漫画雑誌連載という手段で読者に改めて台湾漫画を知ってもらうというのが、現在の最良の方法だと考えている。これによって、毎月新しい物語が展開して読者を引き付けられると同時に、毎号の読者からのアンケートを見て、既存の構成の中で臨機応変に内容を調整していくこともできる。また、有名漫画家の人気作品と同じ雑誌に掲載することで新人の作品も露出が高められ、読者から人気のない作品は淘汰していくことができる。
日本で掲載作品間の競争が最も厳しいとされる「週刊少年ジャンプ」の場合、まさに読者アンケートが連載の打ち切りと延長を決める最大の要素とされている。毎号平均20作品が掲載されるが、何週間か連続してランキングが低いと、物語の途中でも連載は打ち切られる。
一方、人気がありすぎて連載を止められないという事例もある。日本漫画界の大御所・鳥山明が『ドラゴンボール』を連載していた時、鳥山は幾度か物語を完結させたいと考えたが、出版社は同作品の世界的な影響力を考慮せざるを得なかった。この連載を終了すると、集英社の関連企業の株価にも影響するというので終了できず、連載期間は1984〜1995年の11年に及んだ。もう一つ、現在まで13年にわたって連載が続いている冒険物『ワンピース』も同様の状況にある。この作品は「少年ジャンプ」の読者アンケートで常にトップの人気であるだけでなく、最近発行された単行本は初版で300万部を超えるという日本出版史上の記録を打ち立て、世界中のファンが見守っているのである。
現在、台湾の出版社の多くも漫画雑誌を新人育成の場としており、次々と雑誌が創刊されているが、多くの雑誌の寿命は短く、市場に大きな流れを起こすことなく廃刊になっている。
2000年以降の10年だけを見ると、漫画家の頼有賢が漫画組合理事長在任中に推進した『GO漫画創意誌』、漫画家・任正華が主編を務める『楽透漫画月刊』、そして当初の印刷媒体からオンライン媒体へと変った『挑戦者月刊』など28の雑誌が創刊されたが、そのうち16点がすでに廃刊し、漫画雑誌の平均寿命は約1〜3年、しかも5年を超えたものは1点もない。ここからも分かる通り、食指を動かされる者は多いのだが、台湾では漫画雑誌の出版は非常に難しいのである。
現在発行されている漫画雑誌10点のうち、東立が1992年に創刊した『龍少年』と『星少女』は台湾の漫画家の作品だけを掲載しているが、尖端、青文、長鴻など数社が出す雑誌はやはり日本の作品をメインとしている。

東立新人賞で優勝してデビュー、ペンネームはT.K. デビュー作『烈炎真言』はインド神話の神と悪との戦いの物語だが、時空を通りぬけ、戦いの場は台湾となる。台中の一中街、科学博物館、彰化県八卦山の大仏なども戦いの場となり、親しみやすい。
だがこうした冬の時代にあっても、漫画への情熱を絶やさない出版社はそれぞれの強みを活かし、時に素晴らしい作品を世に送り出してきた。
例えば、児童漫画を主力とする青文出版社は、周顕宗の『摺紙戦士(折り紙戦士)』を1996年以降出版し続けている。2006年に韓国のドンウ・アニメーションとSBSテレビなどが600万米ドルを出資して同作品をアニメ化し、すでに韓国、シンガポール、香港などで上映されている。台湾のテレビ局は意欲的でなく、2010年11月にようやく東森幼幼チャンネルが放送を開始した。
少女マンガに力を入れる尖端出版では、時代物を得意とする林青慧の『花縴;』『焚月』『不全才女』などの作品を出しているが、その東洋的な雰囲気が欧米市場で歓迎され、フランス、ドイツ、スペイン、東南アジアなどへ版権が売れている。林青慧はドイツのライプチヒ・ブックフェアに招かれ、2010年には沈穎杰とともに台湾を代表してフランス第二の漫画祭であるシャンベリー国際漫画フェスティバルに参加した。
長年にわたり台湾漫画の推進に力を注いできた東立出版社は、これまで100人を超える新人漫画家を『龍少年』や『星少女』でデビューさせてきた。最近は、多くの漫画家が直面する「ストーリー創作経験の不足」という問題を解決するために新しい方法を採用し、漫画家・蔡鴻忠が、人気ネット作家・御我の小説『1/2王子』をアレンジした作品を打ち出したところ、これが大ヒットした。台湾でアニメが放送された日本の『結界師』『焼き立て!!ジャぱん』『FAIRY TAIL』などの売上をも超えたのである。

(右)林青慧(左)と沈穎杰は台湾を代表してフランスのシャンベリー国際漫画フェスティバルに参加し、会場では台湾のオリジナル作品300点と原画40点が展示された。左のイラストは沈穎杰の作品『コプレの翼』。
国内市場が振るわないという「内憂」の他に、近隣の強敵という「外患」もある。
巨大な市場を持ち、漫画の長い歴史を持つ日本では、年間の漫画の生産高は60億米ドルを超え、その魅力は世界中の青少年を魅了し、世界公認の「漫画王国」である。ニューヨークタイムズは以前、全米の年間図書小説売上3億3000万米ドルのうち、日本の漫画が2億500万を占めると報じた。
日本の漫画は技術面で非常に優れているだけではなく、正統の高等教育も漫画産業を支えている。京都精華大学は2001年にマンガ学部を設立し、漫画を文化として学術的な研究の対象としている。漫画家を志す者はマンガ学科で学べる他、ストーリー創作や編集を学ぶマンガプロデュース学科もある。著名漫画家の竹宮惠子が学部長に招かれ、実務と学術の両面から漫画文化資産の蓄積と向上に取り組んでいる。
日本では「漫画による町づくり」も盛んだ。兵庫県には、『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』で知られる漫画の神様――手塚治虫の記念館があり、1994年のオープン以来、毎日平均800人が見学に訪れている。入口を入ると、手塚治虫の漫画キャラクターがハリウッドスターのように地面に押した手形があり、ファンは思わず会心の笑みを漏らす。
鳥取県の境港市は小さな町だが、『ゲゲゲの鬼太郎』の著者・水木しげるの故郷で、そのことが最大の観光資源となっている。交番や店の看板からマンホールにまで、目玉おやじやねずみ男など、漫画に登場する妖怪たちの姿が見られる。境港には毎年1000万を超える観光客が隣りの米子市から「鬼太郎列車」に乗って訪れる。
中国大陸や韓国、マレーシアなどの政府も最近は漫画・アニメ産業を重視し始め、各部門を動員して予算を投じ、国内産業を発展させようとしている。
中国大陸では、2004年から政府文化部が年間9億台湾ドルを漫画産業の育成に投じ、各地の大学に関連学科を設けている。さらに杭州をアニメ・漫画の首都とし、クリエイティブ人材の高待遇で招いている。台湾の人気漫画家である蔡志忠や朱徳庸なども招かれ、西湖の畔の一戸建てのアトリエで創作に専念している。
また、杭州市は2009年に13億台湾ドルに相当する資金を投じ、白馬湖区に朱徳庸ユーモア博物館や中国アニメ・漫画博物館、漫画スタジオ、ホテルなどを建て、さらに15平方キロに及ぶクリエイティブパークを建設しようとしている。
韓国政府も220億台湾ドル相当の資金をアニメ・漫画産業の育成に投じ、アニメ・漫画産業を減税対象とし、若い漫画家には兵役を免除するなどの優遇策を打ち出している。
各国が漫画・アニメ産業に野心を抱いているが、台湾の優位性はどこにあり、どう対応すればいいのだろうか。

第1回金漫賞で二つの大賞を受賞した林珉萱。左はその作品『年上年下』、上は自画像。
「台湾にはまだ勝算があります」と話すのは、中国のアニメ・漫画見本市に幾度も参加した経験のある尖端出版社企画宣伝部の楊仲偉主任だ。その話によると、中国大陸のアニメ・漫画はまだオリジナリティが十分とは言えず、テーマも限られ、ブランド意識が低い。大陸各地で開かれるアニメ・漫画見本市を見ると、まだ日本の漫画キャラクターを模倣した「山賊版」が多く、ライセンスを受けた正規版の横で海賊版を売っていることもある。
楊仲偉は、文化の基礎がしっかりしている台湾にとっては、やはり「人材」が最大の資源で、作品の内容や質は中国大陸のそれを大きく上回っていると言う。だが、中国は5年以内に急速に力を付け、追い付いてくると見られる。
逢甲大学庶民文化センターの陳仲偉は学術的な角度から、台湾漫画に関しては系統だった研究がなされておらず、資料の流出も早いため、日本の大学のように「漫画文化研究」のカリキュラムを構築する必要があると指摘する。これを通してアニメ・漫画に一つの文化としての地位を確立し、文化の本質から漫画の可能性を考えていく必要があると言う。
一方、経済のグローバル化とデジタル出版の流れの中で、これからは出版者が自ら各種デジタルプラットホームや海外市場に進出する機会が増える。そのため台湾の出版社も、今後は日本漫画の代理だけでなく、国内のオリジナルコンテンツを掌握しなければ競争力は高められないと考えている。
例えば、台湾の出版社や取次店70社から組織される業界最大の「中華アニメ・漫画出版同業協進会」は「台湾漫画振興元年」をスローガンに、積極的に内外のブックフェアに参加し、版権取引を行ない、国内の書店における台湾漫画の露出を高め、台湾漫画復興のきっかけを作ろうとしている。
東立出版社の編集長に就任して2年の陳清淵も台湾漫画の今後を楽観視している。巨額の資金は必要なく、ペンと紙さえあれば始められる漫画創作には無限のチャンスがある。東立では現在、編集者を育成して作品の質を高めることに力を注いでいる。こうして台湾漫画から離れていた読者を取り戻していく考えだ。わずかな進歩でも、再興の志を抱く業界にとっては全体に利益をもたらすはずだ。
「最悪の時期は最良のチャンスでもあります」と陳清淵は言う。氷河期を経た台湾の漫画業界は、いま新しい時代を迎え、業界全体で手を取り合って前進しようとしている。
(1)リン・ミンシュエン
林珉;萱は『鶏排公主(フライドチキン姫)』で2010年「金漫賞」の最優秀少女漫画賞と最優秀作品賞を受賞し、最大の勝者となった。夜市の鶏排(フライドチキン)を愛する学生が集まる高校の鶏排部を舞台とした物語で、そのナンセンスさがおもしろい。
毎日出版社に出勤して漫画を描いている林珉;萱は、会社の同僚たちが午後になると皆でフライドチキンを注文し、それで活力を取り戻しているのを見て、この物語を思いついたと言う。金漫賞の審査員は、この作品は台湾伝統の屋台料理を取り入れていて親しみやすく、少女マンガの既存のスタイルを打破した点を評価した。
(2)チャン・シーシン
東立新人賞で優勝してデビュー、ペンネームはT.K. デビュー作『烈炎真言』はインド神話の神と悪との戦いの物語だが、時空を通りぬけ、戦いの場は台湾となる。台中の一中街、科学博物館、彰化県八卦山の大仏なども戦いの場となり、親しみやすい。
(3)ホァン・チュンウェイ
これまで2回ドラマ漫画賞にノミネートされた黄俊維は復興商工の美術系学科を卒業した後、多くの漫画家のアシスタントを務め、イラストや講師の経験もあり、ファンからは絵がきめ細かく、日本の作品に劣らないと評されている。作品『厄運偵探』は台湾漫画では非常に珍しい推理物だ。

漫画家・黄俊維の最新連載作品『夜魅星』(左上)と自画像(上)。

第1回金漫賞で二つの大賞を受賞した林珉萱。左はその作品『年上年下』、上は自画像。

漫画家・黄俊維の最新連載作品『夜魅星』(左上)と自画像(上)。

出版社内に設けられた林珉萱専用の仕事場。編集部の中にいるから締め切りを守ることができると言う。

出版業がどのような壁に直面しても、台湾には忠実な漫画ファンが大勢いる。写真は年に一度の台湾コミックフェア。2010年は6日間で過去最高ののべ54万人が入場した。下は林珉萱の作品『年上年下』。

出版業がどのような壁に直面しても、台湾には忠実な漫画ファンが大勢いる。写真は年に一度の台湾コミックフェア。2010年は6日間で過去最高ののべ54万人が入場した。下は林珉萱の作品『年上年下』。

妖怪が集う境港市は、日本でも人気のある観光地の一つだ。左は鬼太郎の銅像、右は目抜き通りを歩いて雰囲気を盛り上げる「ねずみ男」の観光大使。