上海というと何を思い浮べるだろう。華やかなバンドの夜景、共同租界の喧騒、そしてギャングスターたち。それとも映画「海上花」の女たちの柔かく甘い蘇州語や、女流作家張愛玲の筆が描く悲恋の女性の可憐なロマンスだろうか。
台湾の企業家、陳彬さんは、上海に定住し投資して10年余りになる。鍋料理屋やパン工場を経営し、レストランやファストフード店を出したこともある。息子さんは大陸に戸籍があると見なされて、上海の大学に通っている。陳さんは経験者として、上海で生活する台湾の企業家が直面する様々な出来事を描く。不動産の購入、大陸の女性との結婚、ベンチャービジネス、子供の教育、日常生活や余暇の過し方などだ。この本はまた、上海に進出するためのガイドブックにもなるだろう。
不動産の購入を例に取ると、土地は国家に属し、家を買ったとしても使用権を譲渡するだけで、使用権を売買するのではないという。上海の不動産は外銷房(昔は僑匯房と言った。外資系企業または外国パスポートがなければ買えない)と商品房(内銷房ともいう。地元住民向け)、公房(国家の不動産)、私房(個人所有)に分けられる。
この区分により大産証、小産証などと呼ばれる異なる身分証明書が必要となり、家の種類によってローンを申請出来たり出来なかったりと複雑である。来たばかりの台湾人は情報が十分に集らないために、誤った判断を下しがちである。そこで著者は不動産購入の原則を幾つか挙げる。現在、上海の不動産市場は低迷しているので、焦って買うことはない。なぜ買うのか目的を明確にする。上海市政府が一番信頼できるデベロッパーと言えるため、上海市政府から買うのが比較的安心だ。台湾の経験から、土地の潜在的収益力を計算してはならない。買うよりは借りた方が結局は得である。権利を主張する時は、大陸の友人や親戚の意見にまどわされず、主張すべき時にあきらめてはならない、などである。
思い切った行動に出、懸命に努力する豪快な台湾の企業家が、気位が高く、口がうまくて算盤勘定のうまい上海人に出くわすと、沾(上海語で、人がよくて騙しやすいという意味)と見られ、騙されてきりきり舞いさせられる。市場の露天商から、政府が管理する外国人向けの高級クラブに至るまで、全て同じことである。彼らは、鴨が葱を背負ってやってきたとしか台湾人を見ていない。
「市場の野菜売りのお婆さんも、他の人には8銭で売る枝豆を、私には2元だと言う」と、著者はため息をつく。
だが、金を渡し品物を受取るだけの取引ならまだいい。恋愛や結婚となるとより複雑になる。
上海の美しい女性からの誘惑に、台湾の男性は抵抗できずに問題が次々と起る。独身の人なら恋人は上海にいると言うし、既婚者なら二号の生活は全部面倒を見ていると呟く。上海の女性が強いというのは世に知られており、台湾の男性がいかに冷静に事業と恋愛とのバランスをとるかが大きな課題となる。作者は大陸との直接通航が開放されれば、これが大陸の愛人にとっては決定的な打撃となり、大陸の女性が介在する愛情問題は解決されるだろうと見ている。
家族を連れていくのでも、単身赴任でも、幾つかの注意点が参考として挙げられている。
生活の面では、けちのイメージを植えつけるのが得策だ。買物でも出し惜しみし、よく聞いてから金を払う。分らない振りをするのも上策で、上海の人と言い争う必要はないし、自分の知識や才覚をひけらかすのはなおタブーである。
心構えとしては、豪快で金を惜しまない台湾人のイメージを捨て、改めて上海の人々の日常生活を謙虚に知ることである。
将来に対しては、自分が坩堝のような渦巻く環境の中にいることをよく認識し、周囲には他人がもがき苦しみ、失敗していくことを待ち望んでいる人が無数にいると知るべきである。体制、法律、政策と、どれを取っても巨大なグレーゾーンに満ちているし、瞬時に変化する市場、うまく韜晦される人間関係に取り囲まれている。誰も信用できないし、自分以外には自分の財布を守り、稼いでくれる人はいないのである。
感情的にも歴史的にも、上海は私たちにいかにも近く見えるが、現実は全く見知らぬ土地である。あまりに多くの夢幻、憧れや想像が渦巻いて、真実を理解しようとする目を被っている。本書の副題に「私の台湾経験が上海流に出会った時」とあるが、ここにすでに隔たりと矛盾が示されている。上海の人が「これは大した問題ではない」と言う時、その背後に隠されている部分を、よく考えなければならない。
豫園の南翔饅頭を食べに行こうか。それとも東台路の骨董市場をぶらつこうか。休日には東方のベニスと呼ばれている周庄まで足を伸ばし、川の流れに小さな橋が点在する美しい風景を楽しもうか。そう、出発する前によく考えてみる必要がある。心構えが決らないうちは、冒険してはならない。何と言っても上海は、あらゆるものが潜む大都会なのだから。