春節には門に春聯(縁起の良い対句などを書いて門に貼る赤い紙)を貼るものだ。春聯は、その赤い色がめでたさを象徴し、また、その書の美を鑑賞することもできる。最近は、おめでたい言葉に縁起のよい図案を書き入れた手書きの春聯も増え、お年寄りだけでなく、若い世代にも広く受け入れられている。春聯は、春節らしさを象徴するもののトップに挙げられるであろう。
1月18日、旧暦の大晦日の2週間前、朝の9時から行列ができていた。だが、ここは有名なレストランでもなければ、デジタル製品の発売会場でもなく、台北の孔子廟である。この日、ここでは手書きの春聯が配られるのである。
広場には20余りの机が置かれ、それぞれの机に10~20人の行列が出来ている。行列の中には60代のお年寄りもいれば、幼い子供を連れた若い親もいて、それぞれ春節の雰囲気を楽しんでいる。
午前10時、書家たちが筆をふるい始める。机には次々に赤い紙が広げられ、筆が止まることはなく、書き上がった春聯を行列に並んだ人々が受け取っていく。
順番を待っている人々は、口々に「春聯がなければ春節を迎えた気分が出ません」「春聯は贈り物にしても喜ばれますし」と言う。
ここに参加している書家は、中華民国書法教学研究学会の会員で、書の大家というわけではないが実力者揃い。すでに20余年にわたってここで春聯を書いている。

黒い字であろうと金の字であろうと、赤い紙の春聯は品位ある春節気分を味わわせてくれる。
明の時代に普及
春聯の起源は、中国の五代十国時代に始まった「桃符」の風習である。新しい年を迎える時、2枚の桃の木の板にそれぞれ「神荼」と「鬱塁」の二神の像を描いて門の両側にかけ、魔除けにしたものである。二神を門の左右に一神ずつかけるという方法から、当時すでに「対称」の概念があったことがうかがえる。
十国後蜀の皇帝・孟昶は、部下が書いた桃符の詞が気に入らず、自ら「新年納余慶、佳節号長春」と書き直した言われ、これが中国で初めて対句(対聯)を書いた春聯だとされている。
後に明の太祖、朱元璋がこれを提唱したことで、春節に家々の門に春聯を貼る風習が確立された。言い伝えによると、朱元璋が市中を巡視した時、春聯を貼っていない家が一軒あった。聞くと豚の去勢を生業としている家で、よい対句が思いつかず、代筆も頼んでいないということだった。そこで朱元璋は自ら筆を執り、「双手劈開生死路、一刀割断是非根(両手で生死の路を切り開き、一刀で是非の根を切りさく)」と書いて贈った。ユーモアに富んだ対句であるため、今日まで伝わっている。
台中教育大学台湾文学科の副教授・林茂賢によると、春聯には縁起の良い言葉の他に、業種にちなんだ言葉も使われるという。例えば農家なら「門庭春暖声光彩、田畝年豊楽太平」という対句で豊作と一家の無病息災を願い、商家なら「三春草長如生意、万里河流似利源」と商売繁盛を願う。

教員と生徒が一緒に筆を執れば、伝統が次の世代へと受け継がれていく。
恥をかかないためのルール
左右一対の句である春聯の、門に向って右側を上聯(龍辺)、左側を下聯(虎辺)と言う。作家・楊華康は著書『談年、過年、迎新年』の中で、対句は上聯と下聯の字数が同じで、文法や構造も、意味の上でもシンメトリックになり、韻は通常、上聯が仄声、下聯が平声になっているという四大原則が守られていれば良いと述べている。このルールに従えば、私たちも明の太祖のように自分でオリジナルの春聯を創作することもできるのである。
例えば、朝食の焼餅(小麦粉のお焼き)を売る店なら、「爆竹一声、唯独我的焼餅大:桃符万戸、且看誰家芝麻多」(我の店の焼餅はどこよりも大きい:どの店の胡麻が多いか見てほしい)という具合に、ややオーバーだがユーモラスな対句は正月らしい雰囲気をかもしだす。
現在の台湾では多くの人がアパートやマンションに住んでおり、場所が狭かったり、マンションの規則などで左右二枚の春聯を貼れないことも多い。そこで増えてきたのが小さめの紙に「財源滾滾」とか「開工大吉」といった四文字を書いたものや、正方形の紙に「春」や「福」など一文字を書き、それを逆さまに貼って「春の到来」や「福の到来」を表すものなどである。
ただ、林茂賢は、春聯の言葉によっては貼る場所に注意する必要があるという。
例えば農場には「六畜興旺」という春聯を貼るといいが、これを夫婦の寝室に貼れば、二人の間に動物が生まれるよう願うことになってしまう。また「満」の文字は米櫃や貯金箱に貼れば衣食やお金に困らないことを意味するが、トイレに貼れば、便器が溢れてしまうかも知れない。

台北の孔子廟では書家による春聯揮毫大会が開かれる。多くの人が並んで春聯を持ち帰り、家の門に貼る。
外国人観光客にも人気
孔子廟での春聯揮毫の主催機関は、今年、細長い七字聯と四字聯と菱形の一文字聯を合計3000枚用意した。ベーシックな赤い紙の他に、金粉をあしらったものや、文字を書く位置に吉祥の丸い印が押されているものもある。
会場で書かれた春聯は、墨を乾かしてから希望者に贈られる。中華民国書法教学研究学会の黄素珍理事長によると、長く待てない人々のために、書家たちは家で書いてきたものも用意しているという。
また、会場で書家に自分の好きな春聯を書いてもらいたいという人々のために、彼らは参考になる言葉も用意している。例えば黄素珍のノートには、「一勤天下無難事、百忍堂中有太和」や、左右に「三陽開泰春報喜、五福臨門献祥瑞」と上に「九重春色映華堂」という横批を組み合わせたものなど、縁起が良く、しかもありきたりではない対句がたくさん書かれている。
「春聯をもらいに来る人々の背景はさまざまで、それぞれ好みも違います。ですから、多くの人の要求にかなう言葉を用意しておかなければなりません」と黄素珍は話す。
また、最も多く求められる一文字聯についても、その組み合わせの見本をたくさん用意している。例えば、「学好孔孟」の四文字の組み合わせは、受験や学業の成就を祈って勉強部屋に貼るとよく、「日日有見財」の組み合わせは「招財進宝」と同様、金運を願うものだ。
孔子廟の会場では、興味深そうに見学して春聯を受け取っていく外国人観光客も少なくない。英語圏から来た女性は、英語も書いてほしいと希望したので、黄素珍は「春到人間、新年快楽」という春聯を書き、漢字の美観を損ねないように、空けておいた余白に「Happy New Year」と書き添えた。
「お正月ですから、みんなが楽しい気持ちになることが大切なので、正統かどうかはあまり気にする必要はありません」と言う。
図案も加わって伝統の春聯が若返る
「あれ?あなたは…」と、会場である人が気がついた。黙々と筆を走らせる書家の一人は、実は台湾語の懐メロ「三声無奈」をヒットさせた歌手の林秀珠なのである。
71歳になる林秀珠は、すでに十年以上にわたって新春揮毫に参加しており、自分は書家ではないが、芸術が好きなので50歳を過ぎてから書を始めたと謙遜する。最近は油絵に熱中しており、自分では「書より絵の方が上手」だと思うので、春聯を受け取った人に遠慮がちに声をかけ、春聯に縁起の良い図案も描き入れないかと問いかける。
確かに、画一的に機械で印刷された春聯に比べると、伝統の手書きの春聯は生き生きとして動きがある。春聯には書だけでなく、絵を描き入れたものも増えている。良く見られるのは、干支の動物を描き入れたものだ。
今年は午年なので、「馬到成功」という言葉の春聯が多いが、一文字目の「馬」を文字ではなく馬の姿を描いた絵にすると、全体がモダンな感じになる。黄素珍は、巳年には蛇の姿を可愛らしく描くのが好きだという。彼女が一気呵成に「蛇年如意」と書いた「如」の文字は、左側の「女」の第一画が蛇の頭のように見え、右側の「口」は蛇の尾のように見えるのである。
林秀珠の孫の羅劭騏は小学校5年生だが、3歳の時から祖母と一緒に孔子廟で筆をふるっており、その頃のメディアでは「書の神童」と報じられた。彼は今年も参加し、楷書、行書、草書と、どんな字も自在に書く。多くの人が彼を取り囲んで字を書く様子を見つめ、一枚完成するごとに歓声が上がるが、彼は少しも周囲の影響を受けず、落ち着いて筆をふるい続ける。
大勢の人に囲まれて春聯を書くには度胸と実力が備わっていなければならない。書の名人も、いつもは書斎で書いているので、屋外で多くの視線の中で書くのは、なかなか慣れないものだという。黄素珍は、書法教学研究学会の会員が孔子廟での活動に参加するのは多くの人と良い縁を結ぶためであり、書は完璧でなくても、春節の喜びを分かち合うことが大切だと考えている。
「これほど多くの人が並んで手書きの春聯をもらっていき、中国大陸からの観光客も繁体字の書を購入してコレクションするのですから、春聯の伝統はこれからもますます盛んになり、決して消えることはないでしょう」と黄素珍は語った。