偶然から見つけた宝箱
林太崴;が蓄音機や古いレコードと出会ったのは、まさに「美しい錯誤」によるものだった。
6年前、林太崴;は東方技術学院美術工芸学科の学生だった。ある日友人がビニール盤でビートルズを聴きながら絵を描いていたのだが、その音楽が林太崴;を魅了した。ビニール盤も78回転盤もわからなかった彼はネットで、プレーヤーではなく、7000元余りの複製の蓄音機を買ってしまった。音質は悪かったが、彼は骨董品だからだと思ったと言う。
幸い、当時彼がよく歩いた台南市中正路のレコード店惟因唱片行の店主が本物の蓄音機を持っていた。店主は蓄音機で豊かで臨場感のある音質、歌声と楽器の音を聞かせた。そこで林太崴;は機械や回転速度、針の重要さに気付いた。
彼が初めて買った日本時代の台湾語歌謡は純純のもので、大稲埕;の繁栄を歌った「台北行進曲」だ。だが彼はその頃、純純が大スターだと知らず「変な声だし音質も悪い」と思った。その後、収集仲間にレコードを水洗いし音溝の埃を取ってもらうと「音の質感と豊かで立体的なアレンジ」がわかったという。ここから古い流行歌の自然な歌い方にほれこんだ。「高音で裏返った声にも味があります」
同好の士で上海歌謡のファンの友人には「はまり過ぎ」「熟女の声が好き」とからかわれるが、林太崴;は「耳が1930年代の台湾に戻っている」から良さがわかると言う。
コレクターのカン
どの収集家にも自分だけの宝探しの地図があるように、林太崴;の電話帳には「機密」と記された連絡先がある。これは各地の蚤の市で出会う売り手の連絡先で、時々彼らに電話する。「相場より高めの値段を言えば、熱心に探し出してくれるし、いい物があれば連絡してくれます」と収集の秘訣を語る。
林太崴;は100枚余りの台湾語歌謡のレコードを集めた。文献では、日本時代には最低510枚の台湾歌謡が出ているが多くが失われたとされ、彼のコレクションの貴重さがわかる。
林太崴;は、収集の難しさをこう述べる。終戦後、日本人が台湾を去り、大量に残された蓄音機とレコードで台湾人が中古レコードの商売を開始した。だが1950年代後期、ビニール盤の普及で古いレコードが粗末に扱われ、改築や引越しで古道具屋に流れた。残念ながら古道具屋は古いレコードを嫌がった。買い手がつかないし割れやすいためで、廉価で取り引きされた。ここ2〜3年、78回転盤の収集価値の上昇で値段も上がった。「レア物」である台湾語のレコードは万元単位に値上がりし、1分当りで2000元近くの値が付くことになる。
林太崴;の収集は「不思議な出会い」にも恵まれている。2年前、彼は欠けたレコード「街頭的流浪」を友人から譲り受け、丹念に修復した。すると、これが1934年発行で、台湾史上初の発禁の台湾語歌謡だとわかった。発禁の理由は歌詞が「世間への悲憤」に満ちているためだ。「運が悪いんじゃない、天下の不公平をうらむだけ。金持ちは天国へ、貧乏人は飢えに苦しむ。ああ! 進むべき道のない兄弟よ」従来の研究者は原盤を見たことがなく、この曲名は「失業兄弟」だとされていたが、現在レコードが発掘され正しい曲名がわかったのだ。
時間を戻す音楽
2008年初め、林太崴;は偶然に1932年に声楽家柯明珠と台湾初の音楽留学を果たした音楽家張福興の台湾語歌謡「月夜遊賞」を手に入れた。関連資料はなく、当時の新聞を調べ「前途有望な女流声楽家柯明珠」の記事を読み、ふと当事者に会いたいと思った。ツテをたどり現在アメリカに住む柯明珠の子孫と連絡が取れた。
数ヶ月後、50歳を過ぎた柯家の5人の娘たちが蓄音機の前に集まった。彼女たちは母の声を聞いて涙した。母の他界から1年、意外な形で再会を果たしたのだ。当時、柯明珠は富豪と結婚し、身ごもって歌手を引退した。ステージでの母を見たことがなかった娘たちは、歌声から母親の青春を思い浮かべた。
お年寄りが昔を懐かしむ気持ちを実感した林太崴;は「タイムマシーンで祖母にこれらのレコードを聞かせたいです。小さい頃、祖母はいつも『心酸酸』と『桃太郎』を歌ってくれました。その歌い方は純純とそっくりでした。祖母も他の人と同じくレコード屋の前で歌を聞いていたかも」と語る。残念ながら祖母は彼が中学生の時に他界した。彼は自分のコレクションで多くのお年寄りに昔を懐かしんでほしいと考えている。
深夜放送を一緒に
CDを聞かない林太崴;は、ふだん日本時代の新聞や文芸雑誌で資料を探し、収集仲間と交流している。2年前には「桃花開出春風」というブログを開いた。目的は人々が失い忘れた歴史の音楽を伝えるためだ。
彼はブログで「毎週金曜日の深夜に一曲懐メロを流す」ことにしている。MP3で録音した音は多少粗いが、多くの人に届いている。2年前からブログは1日平均数百もの閲覧があり、累積ヒット数は34万回超、外国の聴衆もいる。
ここ数年、林太崴;は台北市文化局の依頼で古い歌の解説と放送をしている。最近の紅楼での小規模な音楽会では、会ったことのなかった同好の士が集まる。中国近代音楽を学び台湾人女性と結婚したアメリカ人、日本で三味線を学んだ女性、音楽大学院の学生、ビニール盤のクラシックファンの中年夫婦、台湾語歌謡の歌手で教師の声楽家などだ。
「古いレコードは私の先生です。そこから音楽、文学、美術、演劇などの歴史が見られ、台湾の当時の文化状況がわかるのです」林太崴;にとって、研究や出版はおまけのようなものだ。唯一確実なのは、78回転盤のレコードが万華鏡のようにいつも鮮やかな驚きをもたらしてくれることなのである。