台湾映画がよみがえった。
2008年に『海角七号/君想う、国境の南』が台湾映画史上最高の5.2億台湾ドルという興行記録を打ち立てて以来、映画関係者も評論家も映画ファンも、これが一度きりの現象ではないことを祈りつつ、台湾映画のその後の発展を固唾をのんで見守ってきた。
大作を打ち出すという政策の下、台湾映画は「芸術作品ばかりで商業映画がない」という危機をようやく脱し、娯楽としての価値を取り戻した。ここ5年ほど、台湾映画は谷底からよみがえりつつあるが、今後も関係各界の努力が必要だ。
台湾における映画の年間売上は50億台湾ドルだが、これまではその9割がハリウッド映画に持っていかれていた。統計によると、台湾人は年に平均0.94本の映画を見ており、そのうち0.9本はハリウッド映画、売上のシェアで見ると、台湾映画は全体のわずか2%に満たない。しかし2008年から状況は大きく変わった。台湾映画の売上シェアは12.09%まで伸び、昨年は17.46%、わずか4年でシェアは何倍にも増えた。

第48回金馬賞の授賞式、魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督が『セデック・バレ』の俳優たちを率いて勇士の舞で会場に入った。
この激変はすべて一つの偶然から始まった。『海角七号』が全国で大ヒットし、その成績は関係者をも驚かせた。
人にはそれぞれ運命があり、映画もまた同じである。
『海角七号』の成功の理由に関してはさまざまな説がある。その一つはタイミングが良かったというものだ。当時、陳水扁前総統とその家族による汚職疑惑で7億元が海外に流れたとされ、それが『海角七号』にかけて「海角七億」と言われて話題になった。台北金馬映画祭執行委員会執行長で映画評論家の聞天祥は、『海角七号』は一つの映画であるだけでなく、社会現象でもあったと指摘する。「陳水扁前総統の汚職疑惑で政治の理想は地に落ち、馬英九総統が就任すれば全てが良くなるという幻想も消え、人々はこの作品に救いを求めたのです」
政治大学放送学科副教授の陳儒修は、自分が腹が痛くなるほど笑った映画は5000万を売り上げると予測したが、それが5億を超えた。「時期的にハリウッドの大作とぶつからず、国内の政治は低迷し、台風で学校や会社が休みになるなど、さまざまな条件が重なりました。これをきっかけに映画の内容とは関係なく、事件マーケティングやウイルス式マーケティングなどが生まれました」と言う。
『海角七号』ヒットの原因に「相対論」を主張する人もいる。冷やかな芸術映画ばかりの中で、優しさに満ちた作品が好まれたのだと言う。
『海角七号』は長年台湾映画を見ていなかった観客を映画館に呼び戻し、中国語映画の強心剤にもなった。2008年に『投名状(ウォーロード/男たちの誓い)』で金馬賞最優秀ドラマ映画賞と最優秀監督賞を受賞した陳可辛は、受賞の挨拶で、『海角七号』を見に映画館に足を運んだ観客に感謝した。「皆さんが、中国語映画に希望をもたらしてくれたのです」と。
ただ、台湾映画の長年の低迷を見てきた映画関係者は、これが一度きりの現象ではないかと心配していた。2009年、台湾映画には大作がなく、売上シェアは再び2.3%に落ち込んだ。それが2010年、『艋舺(モンガに散る)』が春節上映を実現し、主演の阮経天(イーサン・ルアン)が金馬賞の主演男優賞を11年ぶりに台湾に取り戻し、途切れかかった台湾映画復活の夢をつないだ。
2011年は台湾映画の市場シェアが過去最高を記録し、『セデック・バレ』『鶏排英雄Night Market Hero』『あの頃、君を追いかけた』といった作品の興行成績が億を超えた。2012年は年明け早々から『痞子英雄/ブラック&ホワイト』『LOVE』『陣頭』などが次々と1億元を超える興行成績を上げた。
台北芸術大学映画創作学科主任の王童は、今回の勢いは続くと見ている。王童は1987年に映画『稲草人(村と爆弾)』で第24回金馬賞最優秀監督賞と最優秀作品賞、オリジナル脚本賞などを受賞した映画監督だ。かつての栄光と台湾映画不振の時期を過ごしてきた王童は、台湾映画の「温度」が上ってきたと感じている。だが、今後もより多くの人の支持が必要だ。

20年来、台湾映画はハリウッド映画隆盛の中で何とか生き延び、その間、中堅の映画人たちが奮闘してきた。ホウ・シャオシェン(林格立撮影)、チュー・イェンピン(林格立撮影)、ワン・シャオディー(林格立撮影)、ツァイ・ユエシュン
過去30年、時々ヒット作は出たものの、台湾映画の大きな流れは生まれなかった。陳儒修は、映画全体の産業体制が整っていないことが大きな要因だったと考えている。
陳によると、映画は製作からマーケティング・発行、上映まで三つの歯車がかみ合って初めて需給バランスが取れるが、これまで台湾ではこの三つが全くかみ合っていなかった。映画監督が一人で脚本から製作、発行、宣伝まで行なうので、1作品の完成に3~5年もかかった。
ハリウッドでは年に400作品以上が生み出されるのに対し、台湾では年30本に満たない。量が少なければ供給は安定せず、市場を支えることができないし、役者やスタッフも養えない。
聞天祥の新著『過影』によると、配給ルートが掌握できていないため、台湾映画は金馬賞や海外の賞などで注目されない限り、映画館で上映することさえ難しかった。2001年に封切り館で上映されたのはわずか10作品で、いずれも売上は100万に満たなかった。
そうした中で『海角七号』の成功が映画関係者を鼓舞した。陳儒修は、ここ数年、映画産業の各領域で人材が育っていると指摘する。鈕承澤監督が『モンガに散る』を撮影している頃から、スタッフは次作『LOVE』の計画に入っていた。中には撮影開始時からマーケティングや配給プランを立て始める作品もある。「台湾映画はすでに完備した産業への一歩を歩み出したのです」と言う。

鈕承澤(ニウ・チェンザー)監督の『LOVE』は典型的な両岸共同制作で、資金も脚本もキャストもすべて台湾と中国大陸が力を出し合った。
映画作りには資金がかかるもので、長年にわたって新聞局が助成金を出してきたことを、多くの関係者は評価している。
王童は、助成金メカニズムは映画製作の資金源を安定させるだけでなく、専門家が認めたという保証にもなると言う。「多くの監督にとっては、助成金がその作品の最初の資金となり、それから企業に出資を求めるのです」と言う。
だが、誰もが助成金を狙うため、審査の基準が疑われることもある。今年大ヒットした『陣頭』の馮凱監督は助成金が得られなかったことに不服だ。
審査委員の一人、映画監督の朱延平は、成功した作品の大部分は助成金を獲得しており、『陣頭』は少数の例外だと話す。審査に通らなかったのは、三太子や陣頭など民間の伝統芸能を題材にした作品が多過ぎるからだと言う。
しばしば助成金審査員を務める陳儒修は、審査は産官学の三者のバランスを取った形で行なわれており、一人ひとり考慮する点が異なると説明する。『陣頭』が合格しなかったのは不公平なのではなく「脚本を見た段階では売れると思わなかったのです。あまりにもテレビドラマ風だったので」と言う。
何度も助成金審査に加わっている評論家の麦若愚は、審査結果の大部分は問題ないが、3割ほどは判断ミスが出ると言う。例えば、助成金の審査に合格した企画のストーリーが日本の作品とそっくりだったことがある。一週間しか上映されなかったこの日本映画を審査員は誰も見ていなかったので、気付かなかったのである。一部には助成金を得てから物語を書き換えればいいと思っている監督もいるということだ。
麦若愚は、助成金制度には後から審査自体を再評価する制度や、事後審査の制度も設けるべきだと考える。助成金をもらいながらきちんと作品を撮らない監督への警鐘にもなる。

20年来、台湾映画はハリウッド映画隆盛の中で何とか生き延び、その間、中堅の映画人たちが奮闘してきた。ホウ・シャオシェン(林格立撮影)、チュー・イェンピン(林格立撮影)、ワン・シャオディー(林格立撮影)、ツァイ・ユエシュン
中央による助成金の他に、地方自治体も映画によるマーケティングに力を入れ始めた。
2004年、高雄市は自治体として初めて映画委員会を置き、映画製作へのサポートと補助金を提供し始め、他の自治体も次々とこれに倣った。これも台湾映画復興を後押ししている。
台北市映画委員会ディレクターの饒紫娟は、自治体が撮影に協力することによって我が国の映画産業の製作レベルが上がるだけでなく、雇用機会増加や観光客誘致にもつながり、台湾の文化や景勝地を世界に売り込むこともできると話す。
台北市による撮影協力は初年度は54作品だったが昨年は419作品(このうち映画は34%)で、年々2倍に増えている。3月末の土曜の夜などは、台湾映画3本の撮影が台北市の南陽街、西門町、南港で行なわれた。
映画産業が盛んになり、マーケティングがより重要性を増したと饒紫娟は言う。そこで2009年から撮影協力だけでなく、映画の広告も開始した。台北市の映画配給業界の統計によると、昨年はドキュメンタリーも含めて45本の台湾映画の興行成績は合計17.6億元、そのうち台北市が撮影協力とマーケティングを行なったのは29本で、興行成績のシェアは99.8%に達したという。

20年来、台湾映画はハリウッド映画隆盛の中で何とか生き延び、その間、中堅の映画人たちが奮闘してきた。ホウ・シャオシェン(林格立撮影)、チュー・イェンピン(林格立撮影)、ワン・シャオディー(林格立撮影)、ツァイ・ユエシュン
新しい観客を次々と惹きつけるには、新しい人材が必要だ。
聞天祥によると、新人監督によるデビュー作は2007年には8作品だった。2008年には陳芯宜、鈕承澤、林書宇、魏徳聖、楊雅喆、鍾孟宏らの新人監督がデビュー作で名を上げた。2009年には柯孟融、傅天余、楼一安らが登場、鄭有傑と鄭芬芬は二作目も発表した。2010年には何蔚庭のデビュー作、外国人労働者に関心を寄せる『台北星期天』が注目された。
現在、台北市映画委員会が協力している『南方小羊牧場』の監督は若手の侯季然である。彼は二作品を完成させた後、台北市映画委員会第1回金脚本賞受賞作品の撮影にとりかかった。
王童は、台湾の映画教育がまいた種が芽を出し始めたと形容する。「彼らは刺激を受け、新しいものに挑戦し、常に映画のことを考えています」と言う。
「これらの若い映画製作者と一緒に仕事ができることを光栄に思います」と饒紫娟は言う。以前、台湾の映画監督の多くは世界的な名監督になることを目指して自分のスタイルを前面に押し出していたが、今の若い監督は現実を受け入れて台湾の観客を見つめ、この土地の物語を発掘していると言う。

『あの頃、君を追いかけた』は台湾だけでなく、香港や中国大陸でもヒットし、ヒロインの陳妍希(ミシェル・チェン)は一躍大スターになった。
だが、テーマが台湾に限られることで幅が狭まり、海外に出ていけないのではないかと心配する声もある。
王童も、最近は台湾にこだわり過ぎる傾向が見られると指摘する。「映画はおもしろくなければ売れませんが、観客に媚び、売上ばかり考えると、かつての模倣の時代に戻ってしまいます」と警告する。
「映画は海外へ出ていくべきで、テーマは普遍的であるべきです」と言う朱延平は、台湾には「大作」が必要だと考える。大作というのは巨額の製作費を指すのではなく、広く共鳴を得られる作品だと言う。
評論家の麦若愚は、台湾の主な観客層の視野が限られていて、それが台湾映画の発展に影響することを心配する。アイドルドラマを見て育った若い世代は、香港映画や中国大陸映画を見たこともないのだ。
台湾の国内市場は小さく、それをどう広げるかは大きな課題だ。台湾映画は中国語市場全体に目を向ける必要がある。
聞天祥は、台湾映画は2011年に復活を告げたが、市場規模を拡大するために中国大陸のマーケットが必要だと考える。
だが、中国大陸は台湾映画の市場になるのだろうか。香港映画の経験が参考になる。
陳儒修によると、2003年、中国と香港がCEPA(経済貿易緊密化協定)を結んだ後、共同制作の映画が激増した。昨年製作された香港映画は70数本だが、そのうち50本以上が大陸と共同制作の時代物だ。だが、時代物は香港では人気がなく、香港人が好むマフィア、ホラー、同性愛、コメディなどは、中国大陸側の審査を通りにくい。その結果、香港の観客はハリウッド映画に流れてしまった。
台湾では、香港ほど大陸との共同制作は盛んではないが、ECFA(両岸経済協力枠組協定)が台湾映画の将来を変える可能性もある。これまで台湾映画が大陸で上映されるには、世界各国の作品と競争して年に30本の外国映画枠(年間50本、うち20本は米国映画)に選ばれなければならなかった。2010年10月からは、映画はECFAのリストに入り、台湾映画の大陸上映にはこの制限がなくなったのである。しかし、このルートで初めて大陸上映を果たした『鶏排英雄』の売上は惨憺たるものだった。その原因は、文化的な隔たりにあるとされている。陳儒修は、私たちには笑える台湾語の台詞も、「翻訳」を通すと大陸の人々には分からないと言う。これから大陸で上映される『セデック・バレ』の成績は注目に値する。
陳儒修によると、台湾の監督たちは、今は台湾らしさを発揮して地元で支持されているが、これからは共同制作が主流になるはずだという。
鈕承澤の『LOVE』は、両岸共同制作の典型的な例である。両岸の共同出資、脚本も台湾と大陸から一人ずつが担当し、両岸のスターが共演し、両岸で上映された。

2008年の『海角七号/君想う、国境の南』が台湾映画復興の第一波となった。
台湾映画がさらなる高みに到達できるかどうかは別として、多くの映画関係者は、今回の復興は台湾映画の可能性を示していると考える。
2010年、台北金馬映画祭執行委員会は『10+10』を制作した。ベテラン監督10人と新鋭監督10人が「台湾らしさ」をテーマにそれぞれ5分の短編を制作し、100分の作品に仕上げたもので、2011年の金馬映画祭開幕時に上映された。
王童の「謝神」、呉念真の「永久という名の小さな店」、魏徳聖の「登場」、鄭文堂の「老人と私」、沈可尚の「駅で停まる」などで「この20人の監督こそ台湾映画の将来の希望です」と陳儒修は言う。
聞天祥はベテラン監督の力量と若い監督の実力を称える。「多様かつ自由で、情熱と理想があることこそ中国語映画圏における台湾映画の特色です。台湾映画の好調がいつまで続くかは保証できませんが、過酷な環境で台湾映画が消失しなかった要因はここにあるでしょう」
台湾映画の盛衰に新聞局も関わってきた。「新聞局は皆とともに成長してきた機関で、共に闘った仲間という思いがあります」と麦若愚は言う。
いま映画は終わり、長いクレジットタイトルの中の新聞局も幕を閉じる。政府の映画担当部門は文化部へと移り、新たな時代が始まろうとしている。

2008年の『海角七号/君想う、国境の南』が台湾映画復興の第一波となった。
現在の好調を期に台湾の映画産業をさらに成長させるため、新聞局は2010年から「映画産業5ヶ年旗艦計画」をスタートさせ、行政院は5年で64.4億台湾ドルの予算を組んだ。前半3年間は14億を投じ、中大型の娯楽作品または芸術的価値のある台湾映画を育成し、映画産業を発展させる。新たに設けられた「旗艦組」助成金は、製作費が1億以上に達する作品を対象とし、30%を上限として資金を出す。王童の『海峡』、陳玉勲の『必殺技』、侯孝賢の『聶隠娘』、魏徳聖の『セデック・バレ』が最初の旗艦組作品で、補助金の額はそれぞれ2000万から3000万に達する。
製作費が6000万以上の作品は「戦略組」に属し、すでに2本以上の作品を制作している監督は「一般組」に属する。『翻滾吧! 阿信』や『被遺忘的時光』などが助成金を得ている。新人監督は「新人組」に属し、それぞれに助成制度が定められている。『あの頃、君を追いかけた』『愛的麺包魂』『到不了的地方』など、すでに上映され、あるいは製作中の作品も「新人組」の助成金を受けている。
この他、産業活性化のために、新聞局は「興行成績補助金」も打ち出している。興行成績が2000万を超えた監督には、売上の20%を次の作品製作のために補助し、市場から評価されている監督が継続して作品を作れるようにしている。

『南方小羊牧場』を制作中の監督、ホウ・チーラン。

新鋭監督が続々と誕生し、台湾映画に新しい創意を注ぎ続けている。ヤン・ヤーチェ

20年来、台湾映画はハリウッド映画隆盛の中で何とか生き延び、その間、中堅の映画人たちが奮闘してきた。ホウ・シャオシェン(林格立撮影)、チュー・イェンピン(林格立撮影)、ワン・シャオディー(林格立撮影)、ツァイ・ユエシュン