中秋節の前夜、フィリピン台湾企業総会は中秋パーティを開き、我が国のフィリピン駐在代表の羅致遠氏と、台湾企業の駐在員やその家族600人余りが一堂に会した。皆で食事を楽しみ、くじ引きや歌などのプログラムで盛り上がり、異郷にいることを忘れるひとときを過ごした。
フィリピン台湾企業総会の黄勝雄会長は「台湾企業にフィリピンへの投資を奨励するか」と問われ、「フィリピンはリスクが大きいです。私の財産も昨年は半分に減りました」と答えた。
中国国際商業銀行(ICBC)マニラ支店の陳初・総経理も、為替レート変動と不況によって、銀行の態度は保守的になっていると言う。同行マニラ支店では、外国為替だけで3億ペソ(約600万米ドル)の損失を出した。
治安の悪化も大きな問題である。
我が国のフィリピン駐在代表である羅致遠氏が当地に赴任して9ヶ月の間に、台湾人ビジネスマン1人が殺害され、1人が強盗に遭い、また台湾人観光客が誘拐され殺害される事件も1件あった。「治安が改善されない限り、台湾企業の投資意欲は低下していくでしょう」と語る羅致遠氏は、フィリピンの大統領や地方の首長と接触する機会があるたびに、台湾人の保護を強化するよう求めていると言う。
企業の投資意欲に影響するもう一つの問題は労働争議だ。最近、裕隆自動車のフィリピン工場でも労使紛争からストライキが行なわれ、羅致遠氏が自らフィリピンの労働相と貿易工業相に電話をかけた。労働省の働きかけでストは停止されたが、労働者は法の網をかいくぐり、ストからサボタージュへと転換し、今も続いている。
最後の浄土
しかし幸い、治安悪化とストライキは、台湾政府が開発に参加した「スービック湾工業パーク」には波及しておらず、ここはフィリピン唯一の「投資の浄土」と言われている。しかし、当時政府が東南アジア投資奨励のために開発に参加したこの工業パークも、予期したほど順調ではない。
「開発が困難に直面したのは、全体的な経済環境の影響です」と語るのはスービック湾開発管理センターの陳煕龍・副総経理だ。96年、スービック湾工業パーク第一期の105ヘクタールの土地の95パーセントに借り手が付いたが、翌97年にアジア通貨危機が襲った。銀行の貸し渋りによって企業は融資を受けられなくなり、景気改善の見通しも立たなくなって、企業は次々と引き揚げていったのである。
通貨危機はようやくおさまったが、昨年の下半期から、今度は世界的な不況が始まった。それに加えて台湾では台風の災害、アメリカでは同時多発テロが起り、スービック湾工業パークの企業誘致はさらに難しくなった。
ここにすでに工場を置いている台湾企業の状況はどうだろう。
現在、スービック湾工業パークには銀行2行を含む31の台湾企業が進出している。
「企業は経済要素によって投資を決めるものです」と語る陳煕龍氏は、当時政府がスービック湾を宣伝したことは企業誘致を助けたが、企業は自分で評価して投資先を決めるのであって、闇雲に政府の政策にしたがうものではないと指摘する。
中国信託商業銀行スービック湾支店の陳昶泓氏によると、当初は同銀行の辜濂松・董事長が政府の南向政策に応えてスービック湾に支店を開設し、工業パーク内の台湾企業に融資や外為のサービスを提供することを決めたそうだ。当初スービック湾には100社余りの台湾企業が登録したが、通貨危機の後は資金は中国大陸に移っていった。それでも中国信託はスービック湾で利益を上げており、ここに進出した台湾企業の業績も悪くないと言う。
エイサー最大の工場
エイサー・グループのフィリピン工場、ウィストロン・インフォコムは、スービック湾のシンボルと言える企業で、同社の進出は他の企業の進出も促した。現在、同社の輸出額はスービック湾地域全体の7割、フィリピン全国の2.1パーセントを占めている。
ウィストロン社がスービック湾から撤退して余所へ移るという噂は絶えないが、同社はエイサー・グループでは世界最大の工場だ。「現在、我々の主力はここにあり、撤退する計画はありません」と王志宏・総経理は言う。エイサーでは、95年から海外の生産基地となる場所を探し始め、スービック湾の強みを見込んでここに進出した。「ここは台湾から非常に近いし、フィリピンの労働者の質は比較的高く、英語で直接コミュニケーションを取ることもできます。またスービック湾が自由貿易港であることも投資を決めた要因です」と語る王志宏氏は、フィリピンに投資するならスービック湾を選べば間違いないと言う。
ウィストロン社の工場では主にエイサーのノートパソコンとデスクトップのマザーボードを生産している。一時期、台湾とフィリピンとの間で直行便が飛ばなくなったことがあり、そのため原材料や製品を空輸している同社は大きな損害を被り、フィリピンから撤退するという噂も流れた。王志宏氏によると、その時期、同社では生産量の一部を広州の中山工場に移し、空輸していたものは船便に変え、材料の在庫を増やすなどの方法で対応した。「コストはかかりましたが、撤退するほどではありませんでした」と言う。
南洋の浪人
96年にスービック湾に進出し、97年10月から生産を開始した台安エレクトリック社は、昨年4月から黒字に転じた。
呉錦章・副総経理によると、同社では一部の労働集約型のもの、あるいは少量かつ多様な製品の生産をスービック湾に移し、今は主にモーターのセーフティ・スイッチを生産している。製品の65パーセントは日本に、35パーセントは台湾に輸出している。
呉錦章氏によると、同社では投資する前にスービック湾を視察しておらず、黄茂雄・董事長が政府の政策を支持して当地への投資を決めたと言う。しかし現在、政府の南向政策は中断してしまったため、自分たちは「南洋の浪人」のようなものだと言う。黄董事長も、ここでの生存が難しいようなら撤退の準備をするように呉氏に指示しているそうだ。だが呉氏は「堅実かつ着実にやっていけば、政府が奨励していようといまいと関係ありません」と楽観的だ。
賀凱実業の蔡誠献・総経理は、スービック湾に工場を設置したことを後悔していないと言う。同社では、16年前から工場の海外移転を計画しており、中国大陸のアモイや広州も視察したが、地元政府の政治色が強すぎるために、大陸への投資はやめた。そして8年前に政府が東南アジアへの投資を奨励したため、政府が後盾となるなら間違いないだろうと考え、スービック湾を選んだのである。
賀凱実業は、旅行カバン用のカートを毎月10万台生産し、主に欧米に輸出している。蔡誠献氏は、ここに工場を設置して8年になるが、いわゆる「水面下」の支出は20万台湾ドルに満たないと言う。これが中国大陸で工場を設置するとなると、水面下の支出はこの額では済まない。また、大陸の人件費は今はフィリピンより安いように見えるが、2〜3年後には大陸での運営コストの方がフィリピンでのそれより高くなるだろうと言う。
台湾日立も、4年前に10余りの協力工場を率いてスービック湾に工場を設置し、エアコンの生産を開始した。工場長の丁光雄氏によると、同工場の年間生産量は6万台で、当面は6割を台湾に輸出するということだ。台湾日立スービック湾工場は昨年から利益を出すようになったが、丁氏によると、フィリピン工場の製品の品質は確かにやや劣り、生産効率も台湾の7割に過ぎないという。
遊牧民のように
スービック湾は自由経済特別区であり、免税措置があるため、輸出志向の企業にふさわしい。
スピーディな通関は、ここのメリットの一つである。ウィストロン社の王志宏・総経理も、ここの通関は台湾よりずっと速いと言う。スービック湾は自由貿易港であるため、税関は24時間いつでも受け付けており、出荷時間の制限はない。「正午に台湾の新竹で出荷した荷物が、翌日の午前3時にはスービック湾の工場で受け取れるのです」と王志宏氏は言う。
しかし「孤島」には欠点があり、原材料の供給源や、川下の企業が近くにないことが大きな問題となる。原材料競争という点で負けてしまうと語る王志宏氏によると、コンピュータ産業の原材料の大部分は台湾にあるため、ウィストロン社でも台湾から取り寄せているそうだ。
台湾日立スービック湾工場でも原材料は台湾から輸入しなければならない。工場長の丁光雄氏によると、台湾からの輸送費と関税を合わせると、原材料の原価は2〜3割高くなる。
賀凱実業にとっての最大の困難も、スービック湾に川上と川下の産業が存在しないことだ。
しかしフィリピンへ投資する人々にとって最大の悩みは治安悪化と労働争議だ。だが、スービック湾はかつて米軍基地だったので、工業パークの入口の管理は今も厳しく、ここへ入る人は必ず登録しなければならない。住宅地にも警備員がいて治安は十分に保たれている。投資者が最も恐れる労働組合組織も、スービック湾ではまだ形成されておらず、工業パークでは労働者の組織結成を防ぐ努力をしている。
「労働組合が結成されたら、私たちはここから撤退してベトナムへ移ります。私たちは遊牧民と同じで、工場は常に水のある所へと移動するのです」と語るのは賀凱実業の蔡誠献・総経理だ。スービック湾の台湾企業の多くは、最後の一線が守れなくなったら、すぐにここから撤退するという。
スービック湾への回帰
スービック湾開発管理センターでは、意見箱や福利委員会などを設けてフィリピン人従業員とのコミュニケーションを強化している。また、台湾企業に対してはフィリピンの労働法規を遵守するよう指導し、労働者の組織活動が活発化しないよう、労資の協調に努めている。また一方、スービック湾での台湾企業の力を大きくするために企業誘致に取り組んでいる。
「スービック湾には、まだまだ努力の余地があります」と語る陳煕龍氏は、今後2年以内に台湾企業からの投資ブームが再び起ると見ている。周辺の条件がさらに整いつつあるからだ。スービック湾に近い、日本に属する工業地域にも昨年大企業3社が進出し、埋立によるコンテナ埠頭も2005年に完成する。またルソン島の北部と中部をつなぐ高速道路もスービック湾とクラークなどの工業地帯を結ぶことになっており、どれも企業にとっては大きな魅力となる。
陳煕龍氏によると、今も台湾企業が視察に訪れており、その9割が中国大陸への投資経験があると言う。「フィリピンは『人治』ではなく、法治社会ですから」と語る氏は、スービック湾への回帰が始まると信じている。

4年前、台湾日立も10の協力工場を率いてスービック湾に進出した。ここではエアコンを年間6万台生産しており、その6割を台湾へ輸出している。昨年からすでに利益を出し始めた。

スービック湾は地理的条件に恵まれており、風景は美しく、輸出入に関税もかからないなど、中国大陸とは違う強みがある。

スーツケースの部品を生産している賀凱実業はスービック湾に進出して8年になる。蔡誠献・総経理は、フィリピンの従業員は英語ができ、創意もあるので、昨年からデザイン部門もここに移したと言う。

ウィストロン・インフォコムはエイサー・グループのノートパソコンの生産基地で、2000名の従業員が3交替制で勤務している。