90年代に「南向政策」を推進した江丙坤・元経済部長(経済相)はこう語る。「世界経済の重心はしだいにアジアへと移っていますが、そのアジアの中でも最も急速に成長しているのはASEANと中国大陸で、将来的にはベトナムでしょう」と。
台湾企業の対東南アジア投資を見ると、近年、中国大陸が外資を受け入れ始めたため、マレーシア、フィリピン、タイ、インドネシアなどへの投資は90年代から減り、東南アジアの中で中国大陸と同様に投資が増えているのはベトナムだけだ。
我が国のベトナム駐在経済貿易代表処の呉建国処長によると、現在までのところ、台北駐在のベトナム代表処に半年間のマルチプルビザを申請している台湾人は約2万7000人で、ベトナムには1000社余りの台湾企業があり、2〜3万人のビジネスマンが駐在していると見られる。呉処長の控え目の見積りでも、台湾企業はベトナムで60万人を雇用しており、当地の工業レベルの向上や就業機会の創出に大きく貢献していると見られる。
ベトナム政府の統計によると、昨年末までの段階で、台湾企業による投資は53億米ドルに上り、シンガポールの67億ドルに次いで第二位となっている。しかし呉建国処長によると、多くの台湾企業は第三国の名義で投資しているため、実際の投資額は80〜100億ドルに達し、第一位になるはずだと言う。
東洋のパリ
1960年代、ベトナムで最も栄えていたサイゴンは「東洋のパリ」と呼ばれ、台湾より発達していた。しかし30年にわたる解放戦争で国は完全に疲弊し、75年に南北が統一されてからも10年にわたって閉鎖された状態が続いた。
そして86年、ベトナムは経済改革を開始、87年には外国資本による投資を開放し、96年には外国人投資法が制定され、外国資本を吸収しはじめた。台湾は91年3月にハノイとホーチミンに弁事処を置き、同年9月に当時の江丙坤・経済部長(経済相)が経済訪問団を率いて訪問した。
中央研究院近代史研究所の研究員である許文堂氏によると、外国人によるベトナムでの投資項目、投資件数、投資額など、どれをとっても台湾は第一位で、91年からベトナム最大の外資になっている。
ベトナムの台湾企業のために、97年9月にホーチミン市に「台北学校」が設立された。生徒数277名の9割が台湾企業駐在員の子女で、ここは東南アジアの6ヶ所にある台北学校の中で最も生徒数が多い。
しかし、台湾企業がベトナムでの投資を開始した当初は数々の障害があった。アジアの通貨危機が起るまで、ベトナム政府は大企業による投資を歓迎しており、中小企業による投資には熱心ではなかったのである。しかし、通貨危機の際、大企業の方がうまく対応できたというわけではなく、台湾の中小企業の経営形態の方がかえって臨機応変に対応できた。これを目にしたベトナム当局は、規模の大小に関わらず、外国による投資を歓迎するようになったのである。
外国資本を吸収するために、ベトナム政府は投資関連法規と戦略を大幅に修正した。中央政府は1000万米ドル以下の投資案の審査をホーチミン市に任せ、500万ドル以下の投資案の審査については各省の投資計画庁に任せるようになった。また、かつて中国大陸資本は地元の国営企業などと合弁の形で投資することが多かったが、人事面での争議が絶えないため、外国資本には独立経営を奨励するようになった。
大企業の天国
当初、大企業による投資が奨励されていた時期に、我が国から最初にベトナムに進出したのは味丹企業と宝成製靴だ。
味丹社のベトナム工場は東南アジア最大の化学調味料工場である。同社がベトナムを投資先に選んだのは、原材料と市場の両方を考慮してのことだった。
味丹の王肇樹・総経理によると、台湾には化学調味料の主原料である糖蜜と澱粉が不足しており、競争力を高めるためには海外に工場を設置する必要があった。そこで、1989年に同社は東南アジア各国を視察し、また上海の浦東地区の開発がまだ机上の計画に過ぎなかった時期に、意向書に署名を交わした。そして慎重に検討した結果、最終的にベトナムを選んだのである。
「ベトナムでは化学調味料が大量に使われているので、もともと我が社の大切な市場だったのです」と語る王肇樹氏は、こんな噂も話してくれた。ベトナムでは、兵士は必ず化学調味料を携帯していると言うのである。もちろん、野戦時に調理のためにも使うのだが、けがをした時には傷口に化学調味料を塗って止血するのだいう。このように地元のマーケットが大きいだけでなく、ベトナムはASEANの10ヶ国のいずれからも近く、4億人の市場が見込める上、ヨーロッパへの輸出にも便利なのである。
ベトナムには化学調味料の原料となる糖蜜と澱粉が豊富にあるほか、生活習慣、風土民情、文化思想なども台湾によく似ている。「ベトナムの人々は中秋節も旧正月も祝いますし、毎月旧暦の1日と15日に祖先を祭るという習慣も台湾と同じです」と王氏は言う。このように世界的な市場、原材料、風土民情、地理などの要素を考慮した結果、味丹にとってベトナムは絶好の投資先だと判断されたのである。
91年に正式な営業許可を得た味丹社は、数年をかけて計3億8700万米ドル余りを投資し、ベトナムに東南アジア最大の化学調味料工場を築き上げた。工場の敷地は129ヘクタール、各種設備が整い、そこだけで一つの工業団地のようだ。工場内には発電設備もあって必要な電力を自給自足しており、余った電力は国の電力網に売っている。
味丹社は、自社に属する埠頭――味丹福泰(フオックタイ)港専属埠頭も持っている。原材料と製品の輸出入はここを通して行なっており、税関職員が港へ来て検査をする。この港には現在6000トンの船が着岸できるが、今後海底をさらうなどの整備を進めることによって1万2000トンの船が直接着岸できるようになる予定だ。
これほど大規模な投資となると、手続的にもさまざまな面に関わるため、工場設置の際には、ベトナム政府の商業省、重工業省、交通省、エネルギー省、軽工業省、農業省、計画投資委員会、化学工業環境保護省、文化省、外務省の9つの省庁に関わる手続が必要だった。「すべて規則にしたがって着実に手続を進めました」と王肇樹氏は言う。
味丹社のベトナム工場では台湾人の駐在員が50名、現地の従業員が1600名働いている。3交替制で勤務しているため、社員食堂では1日に6食が用意され、社員は食費も住居費も無料、車で1時間以内の通勤なら交通費も無料である。化学調味料の他に30種の製品があり、昨年の年間売上は1億6000万米ドルにのぼった。
台湾の茶王
ベトナムの製靴産業は、台湾と韓国の天下だ。現在ベトナムに投資している台湾の靴メーカーで最も規模が大きいのは宝成製靴である。宝成はベトナムの二ヶ所に宝元と宝成という製靴工場を設置しており、投資総額は味丹に近い3億3000万米ドルだ。
製靴は労働集約型産業のため、宝元と宝成は合せて3万人の従業員を擁しており、これはベトナムの台湾企業では最大の社員数である。同社董事長の特別アシスタントである石小萍氏によると、宝元では現在工場を拡張中で、それが完成したら、従業員は8万人に増えると言う。
石小萍氏によると、94年にベトナムに工場を置く以前から、宝成社は中国大陸、インドネシア、アメリカにすでに工場を設置していた。それは、顧客のニーズに合せる必要があったためであり、またリスクを分散させるためでもあった。
労働集約型の加工輸出業の他に、ベトナムでは農業も大きな潜在力を秘めており、すでにコーヒーと米の世界第二位の輸出国となっている。そうした中、南ベトナムのラムドン省だけで、十数人の台湾人が茶を裁培している。
ベトナムには茶葉生産業者が大小合せて千軒以上あるが、規模が最も大きいのは新南北茶葉公司だ。両親は中国大陸出身という呉活明氏は、ベトナムで生まれ、ラオスに移住して15年を過ごしたが、内戦のために台湾へ移り、13年前に「騙されて」ベトナムへ茶葉を生産しに行った。
「一番最初にベトナムに茶を植えに来たのは私ですし、一番最近植えたのも私です」と呉活明氏は言う。最初はベトナムの友人に積極的に誘われて当地の茶園を見に行った。そして地元の国営企業と提携したが、1年たつと友人はやめてしまい、呉氏一人と国営企業の関係になった。100アールほどの土地に植えた茶の利益は高く、呉氏はさらに台湾から茶の苗を持ち込んで植えた。しかし3〜4年後、その収穫が始まろうという時に、国営企業が提携をやめたいと言ってきたため、呉氏は自分一人で一から始めることになったのだと言う。
そして600万台湾ドルで雑草だらけの山肌の土地を買い、自分の力で整地し、道を開き、電気を引いた。97年末に最初の苗を植え、今は美しい緑の茶園に育っている。ここでは紅茶や緑茶、日本茶の他に台湾のウーロン茶も作っている。
同社の管理はすべてコンピュータ化されていて、苗を植える時期や数、生産量、肥料や農薬をまく時期などが、詳しく記録されている。同社では有機堆肥だけを使っており、空から薬をまく設備もあるなど、ベトナムの茶園の中では最先端の設備を誇っている。
気候の関係から、ベトナムでは茶が年に6回収穫できるので、年4回の台湾より利益が多く、品質も安定している。新南北茶葉公司では、年間平均で1000トンの茶葉を輸出しており、中でも台湾が最大のマーケットだ。業績が成長し続けているので、歩みを止めることはできない。呉氏は先月上海を訪れ、上海にも販売拠点を設ける準備をしている。
一方、兆茗茶葉公司の簡文賢・董事長は、低コスト経営を心がけ、何から何まで自分一人でやっている。技術も管理もすべて自分でやっているので、経費がかからず、大きな利益があげられる。簡氏は8年ほど前から13アールの土地に茶を植えており、昨年は2400キロ、今年は3000キロほどの茶葉を、すべて台湾に輸出した。ベトナムの「茶王」である呉活明氏は、簡文賢氏のような経営こそ、目立たないが最も儲かる方法だと言う。
ベトナムで町づくり
処女地ベトナムで、もう一つ輝かしい開拓史を切り開いたのは、中央貿易開発の関連企業だ。
89年に創立した中央貿易開発は、2年をかけて海外の投資先を探し、最終的にベトナムに6億5000万米ドルを投資することになった。
同社国際マーケティング処の陳嘉発処長によると、ベトナムには質が高くて安い労働力があるだけでなく、地理的にもASEAN諸国の中心に位置するため、今後の大きな成長が期待できるという。また、海外に暮らす300万人のベトナム出身者が、毎年10億米ドル以上の資金や技術を祖国に持ち帰っているので、それも大きな魅力となっている。
92年、中央貿易開発が資金の7割を出し、ホーチミン市に属する新順発展工業社と共同でPMHC富美興社を設立した。投資項目は、新順(タントゥアン)輸出加工区、ヒェップフォック発電所、そして南サイゴン新都心計画などである。
タントゥアン輸出加工区は300ヘクタール、ベトナム最初の輸出加工区で、開発から7年余りだが、すでに152社がここに工場を設置している。その4割が台湾企業、同じく4割が日本の企業だ。この輸出加工区はベトナム政府から高く評価されているだけでなく、99年8月にはイギリスのコーポレート・ロケーション誌でも、アジア太平洋地域の輸出加工区・工業団地のトップに選ばれている。
ヒェップフォック発電所の発電量は南ベトナムの総発電量の22パーセントを占め、タントゥアン輸出加工区に電力を供給する他、国の電力網にも販売しており、月間の売上は1000万米ドルを超えている。
南サイゴン新都心計画の方は、会議センター、オフィスビル、住宅地、ビジネスセンター、ホテル、クラブ、医療施設、学校、ゴルフ場などを含む計画だ。陳嘉発氏は、新都心計画の目標は南サイゴンを東南アジアで最も美しい地域にすることだと言う。
陳嘉発氏によると、中央貿易開発社の本業は建設ではなく土地開発だが、98年に不況を乗り越えるために住宅の予約販売を行なった。その頃、ちょうどベトナムの経済成長が始まり、ベトナム人の多くは貯蓄を銀行に貯金しようとはしないため、住宅がよく売れたのだと言う。その後、同社が今年5月に新しい住宅地を売出したところ、設計図ができてからわずか1ヶ月で完売した。
新都心計画区内にはインターナショナル・スクール、日本人学校、南サイゴン私立学校、韓国人学校などもあり、設立3年になる台北学校も昨年9月にこの新都心の中心地に移転した。陳嘉発氏によると、ホーチミン市の人口は今は700万人だが、10年以内に1000万人に達する見込みで、大きな発展が期待されているという。
投資の処女地
中央研究院近代史研究所の許文堂研究員の調査によると、ベトナムにおける台湾企業の投資回収は非常に速く、多くは3年から5年の間に利益を出し始めている。
ただし失敗例もないわけではない。例えば、景文グループはホーチミン市の中心の広い土地を手に入れたが、そこは雑草が生えたまま放っておかれている。また、ある台湾企業が台北県と同じぐらいの広さの土地を借入れてバナナ裁培を始め、ホーチミン市で住宅を売出したが、資金に問題が出て撤退せざるを得なかった。
ベトナムは中国大陸と同様の共産国家だが、許文堂氏はその投資環境を比較し、ベトナムの方が人件費も土地も安いと指摘する。さらに重要なのは、台湾企業はベトナムでは「外国人投資法」の適用を受け、他の外国企業と同様の地位を持てることだ。台湾とベトナムとの間では93年に「投資保障協定」も結ばれている。一方、中国大陸では94年に「中華人民共和国台湾同胞投資保護法」が公布されたが、これは国内法であり、トラブルが生じた時に台湾企業が必ず保護されるとは限らない。特に北京当局は「ビジネスで政治を囲い込む」という戦略をとっているため、政治関係によって台湾企業が苦境に追い込まれる可能性もある。
しかし、ベトナム投資にも解決が待たれる課題がある。ベトナム政府は労働者の保護に非常に力を入れており、労働法の中で、企業に対して数々の制限を定めているのである。例えば、労働時間は一日8時間、週48時間、年間の残業時間数は200時間を超えてはならないなどの規定がある。また、女性従業員には4ヶ月の産休(以前は6ヶ月だった)を与えること、職場復帰後は1日1時間の授乳時間を与えることなどが定められている。
従業員が7日以上無断欠勤するか、会社に損害を与えることがあった場合を除いて、使用者は理由なく従業員を解雇することはできない。最近日本のあるコンピュータ会社が、景気悪化のために従業員500人を削減したが、その際にも、事前に彼らが新しい就職先を見付けられるよう協力しなければならなかった。
管理方法や残業に関して労使双方の考え方が違うため、ベトナムでも時々労使紛争が生じる。しかし、台湾企業がもっと頭を痛めているのは、管理職となる人材がベトナムに不足していることだ。味丹の王肇樹・総経理によると、ベトナム人従業員に技術や操作の訓練をするのは難しくないが、経営管理の訓練は難しいという。また「ベトナム人はベトナム人には従おうとしない」という現象も見られると言う。
これらの課題をどう克服してベトナムのメリットを生かしていくか、企業は進出する前に慎重に評価する必要があるだろう。

サイゴン川の河畔には台湾の味丹社など数々の企業の看板が並び、ホーチミン市の活気がよみがえりつつあることがうかがえる。

長年にわたる戦乱と閉鎖を経てきたベトナムは、いま積極的に外国資本を誘致している。南ベトナム最大の都市ホーチミンには台湾企業が最も多く集まっている。

(右)中央貿易開発社はホーチミン市の公営企業との合弁で南サイゴン新都心計画を推進しており、すでに多くの住宅やレジャー施設が完成している。ここの住宅地は地元の人々に人気があり、発売と同時にすぐに完売する。

「最初にベトナムで茶を植えたのは私ですし、最後に植えたのも私です」と語る新南北茶葉公司の呉活明氏は、ベトナムで苦い経験を克服して成功した。