まずは売らずに貸す
農友種苗がインド支社を設けるに当たっては、「ある恩師の教え」があったと游さんは語る。
農友種苗公司創業者である陳文郁さんは、日本統治時代に高雄の鳳山熱帯園芸試験所で人生の師となる江口庸雄さんに出会う。そして、後に台湾を離れることになった江口さんから「能力があれば東南アジアの貧しい農家の手助けをしなさい」と励まされていた。
その言葉を常に心に留めていた陳文郁さんはやがて「能力」を得て、実現に動いた。1984年に農友種苗はタイで関連企業を設立。1997年にはミャンマーにも進出し、同時に農民のための無料の病院建設にも出資した。これは『台湾光華』も2012年に現地で取材している。1999年にはインドに進出。恩師との繋がりから始まったご縁で、東京農業大学で学んだ優秀な人材・井星純陽さんがインド派遣の先陣として、貧しい農村で良質品種の普及に尽力した。荒れた土地で苦労し、約10年後にやっと利潤を得るようになったという。
インドは農業大国だが、農家の年収は先進国の10分の1に及ばない。游さんは「農家が利益を得られないのは作物の品種が良くないからで、品種が良ければ農家の生活も改善できる、というのが創業者の陳文郁の考えでした」と言う。
インドで農友種苗は最初、「売る」のではなく「貸す」ことから始めた。「スイカ、パパイヤ、メロンの種子を貸します。肥料と農薬も貸して栽培方法も教えます。代金は収穫後に利益が出たら払ってください」と言って市場を開拓したのだ。長年赤字だったのも無理はない。
「いわば我々は魚を与えたのではなく、魚の釣り方を教えたのです。ただ、農業によって彼らの人生を変えるには、現地での関連会社設立が不可欠でした」と游さんは言う。この関連会社は、インド支社と同程度に深く現地に根差すものでなければならない。種子を売るだけでなく栽培技術も指導し、さらに知名度を上げるためにマーケティングも行う。知名度が上がれば、農家もぜひ栽培をと思ってくれるからだ。