93年「新鴛鴦胡蝶夢」で華人世界を魅了した黄安さんは、「芸能界の李敖」を自称し、作詞作曲、歌、著作、司会などいずれも優れており、実に多才だ。だが自負心が強いため、他の男性司会者とやりあった話なども聞こえてくる。特に呉宗憲とやりあうことが多く、互いに皮肉を言い合い、世間を騒がせてきた。
ここ2年ほど、呉宗憲さんは人気だが、黄安さんは大陸へ行き、あまり話を聞かなくなった。当初注目されていた彼だが、台湾のマスコミの取材をすべて断った。聞こえてくるニュースと言えば、テレビのワイドショーで話される信憑性のないうわさ話だけだ。彼は不運な道を選んだとか、すでに旬を過ぎたという人もいる。中国大陸に移り住み、もう表に出ることはないのだろうか。かつての憧れの世界というのは、誤った選択だったのだろうか。
謎の沈黙が、台湾の視聴者の好奇心をくすぐる。
北京に到着して4日のうちに、タクシーで黄安の「新鴛鴦胡蝶夢」を5〜6回も耳にした。
「聞こえるのは新しい人の笑い声だけ、昔の人の涙を誰が知るだろう。愛情の二文字はつらいもの・・・」運転手の張さんはラジオに合わせて口ずさみ「黄安の歌はたいしたもんだ。歌詞も典故をふんでいるし、曲もいい」と親指を立てた。

魅力の地
大陸は人口10数億と市場が大きく、ヒットすれば長期間にわたってずっと歌われ続ける。華人世界で人気の歌手は続々とここに進出し、自分の歌手生命を延ばそうとする。
1人が2〜3曲歌い、一度にたくさんのスターを見て観客は満足し、歌い手はその喝采に陶酔する。多くの歌手が出演するショーは、いま流行のコンサートの形だ。こうしたショーでタレントの人気が出れば、再び人気を盛り返すことも不可能ではない。黄安さんが2年前に北京空港に着いた時「なんと魅力的な土地だろう」と感嘆したのもうなずける。
魅力にあふれたこの土地で、英雄は必死に競い合っている。大陸での1年目、黄安さんは確かに英雄的な足跡を残した。その知名度を活かして、入るのが難しい「中央電視台」進出し、ウィットに富んだ会話を楽しむバラエティ番組「開心辞典」の司会者となったのである。そしてたった3回の放送で、最高の視聴率を記録し、すばらしい才能で番組を大いに盛り上げた。大陸には、中国テレビ史上でのこの番組の意義を分析する本もあるほどだ。
かつて台湾のバラエティ番組「総芸旗艦」で呉宗憲さんを有名にし、現在中国で仕事をしているプロデューサーの張志鵬さんは、大陸の男性司会者と比べると黄安さんは「ただ単に『中身がある』だけではない」と形容する。「大陸では含蓄が求められます。黄安さんはもともと古典などを引用するのが好きだし、台湾風の面白さもあります。視聴者を魅了したのもまったく不思議ではありません」と張志鵬さんは言う。だが「たった3回」で、敏感な政治状況のため、黄安さんは栄光の司会者の地位から無言で去っていった。
すでに中国大陸籍に入り、最も難しいテレビ司会者の成功者として認められたはずなのに、なぜ中央電視台は彼を追い出したのだろうか。
「非常にデリケートなのです。ですから、『外部にはさまざまなうわさがあるが、黄安は何も語らない』と書いておいてください」と黄安さんは控えめに言った。だが彼は「私が表舞台に立った時、人に負けたことがあったでしょうか。あるいは台湾芸能界の人々にはわからないかもしれませんが、英雄は時には頭を垂れることも必要なのです」と、こらえ切れずにひとこと付け加えた。

英雄が頭を下げる?
何も言えないし、確かめることもできない。自信にあふれた黄安さんもここでは柔軟にならざるを得ない。
魅惑の土地ではあるが、台湾を離れる時も、まだ名プロデューサー彭達との高報酬の契約は続いていた。台湾のバラエティ番組は依然として華人世界をリードしているのに、なぜ彼は別の戦場を求めたのだろうか。
台湾という言葉を出すと、黄安さんは愛憎を露にした。
「台湾大地震の後、景気が低迷し続け、まず主な収入源だったマンションの工事現場でのショーがだんだんと少なくなりました」以前は羅碧玲さんと並んでショーのプリンス、プリンセスと称された黄安さんは、当時スランプの状態にあったという。さらに政治的なアイデンティティの問題も加わって、2002年の総統選挙の後、彼はやる気を失い、彭達さんとも解約し、家にこもってただひたすら本を読み続けた。
台湾の芸能人は政治の話を好まないが、作家の李敖を人生の目標としている黄安さんは、時事問題をよく取り上げる。民主的な選挙の結果が彼の意に反した時、彼は毅然として立ち止まって人生の方向を再考したが、友人たちは驚かなかった。だから、彭達さんも解約を受け入れ、彼に祝福を送ったのだ。
時代の大きな変化に40歳という年齢が重なり、不惑の年なのに中年の危機を迎えることになった。まるまる3カ月もの間、黄安さんは読書だけに没頭し、大陸の50年の歴史を学んだ。それは「なんとなく明日はそこにいるような気がしたから」だと言う。
黄安さんは歌の世界で大人気を得たが、大ヒットしたアルバムは「新鴛鴦胡蝶夢」1枚だけだ。バラエティ番組の司会に転向したが、他の司会者とそりが合わなかった。かつて黄安さんとつかず離れずで、映画やドラマにもよく出ていた妻の邱さんは、芸能界の起伏の激しさと夫のプライドの高さをよく知っていた。彼女はこっそりと財産を計算し、黄安さんに「行きましょうよ。私たちの貯金なら今の豊かな生活が3年は充分に送れるわ」と言った。こうして黄安さんは使用金額無制限のカードと、ある程度の現金を手に、一人で中国大陸へとわたった。
「ドラマ関係者が最も好きな『引退記者会見』さえもしませんでした」と黄安さんは笑う。

各地で開かれるショーやコンサートへの出演が、黄安の大陸での主な仕事だ。聴衆と間近に触れ合う感動が、再び彼に創作を始めさせた。(黄安提供)
感動を再び
北京に着いたばかりの頃は、すべてが順調であるかのように見えた。バラエティ番組「開心辞典」の成功は彼を安心させ、腰を落ち着けられると思った。しかし状況の変化から、3回番組を司会した後、台湾出身という特殊な経歴があだとなってしまった。そこでバラエティーショーなどの芸能活動に専念することにしたのだ。
「1ヵ月で平均6〜7ステージあります。大陸は広いので、地方に行くと飛行機での往復を含めて3日がかりになってしまいます。1ヵ月ぎりぎりまで詰め込んでも、せいぜい10回です。例えば今は11月の初めですが、20数ヵ所からクリスマスの2日間の問い合わせが入っています」彼の報酬は、1回のステージで20万台湾ドルで、当時の台湾の工事現場でのショーの最もいい時期の6〜7万台湾ドルと比べても、3〜4倍は充分あると言う。
秋深い北京は、日中の日差しもまるで夕焼けのようだ。呉江、太原などで集中的にショーに出て帰ってきた黄安さんは、まぶたは疲れでむくんでいたが、瞳の奥の輝きは隠しきれなかった。自分のショーがいかに人気を博しているかを話す口ぶりには、得意そうな様子が見える。
確かに黄安さんは大陸の人脈作りもうまくいっている。張志鵬さんは、ここ2年で大陸政府文化部は香港・台湾のタレントのコンサート参加許可を出ししぶっており、大陸でショーをやれるタレントは決して多くないと指摘する。だが黄安さんの場合は、この数年で作ってきた政財界の人脈のおかげで、芸能活動は順調だ。さらに台湾人として唯一中央電視台のバラエティ番組で司会をした経歴もある。台湾・香港の同業者がここで発展する第一歩は、黄安さんと食事しながら「話す」ことなのだそうだ。かつて香港で一世を風靡した譚詠麟さんや曾志偉さんも教えを請いに来たという。
だが黄安さんは、ショーの仕事をこれほど長く続けてきた最大の成果は、多くのファンに直接会うことができ、芸能界に入って歌手となった時の最も単純な感動を再び味わえたことだと言う。ついこの間も、太原のラジオ局での、ある母親からの電話が彼をいたく感動させた。
このファンは彼のすべての歌詞を覚えていて、それぞれの歌と自分の人生のその時の出来事を語った。少女時代から社会に出て、恋愛、結婚、出産まで話し続け、電話線を通じて歌手とファンがともに涙した。かつて、台北の国民住宅で、自分の将来への期待で胸をふくらませていたある若い歌手は、歌によって遠く離れた見も知らぬ女性と心の交流していたのだ。そこで彼はまた歌作りを再開することを決心した。

各地で開かれるショーやコンサートへの出演が、黄安の大陸での主な仕事だ。聴衆と間近に触れ合う感動が、再び彼に創作を始めさせた。(黄安提供)
故郷に錦を飾る?
新曲「幸運相随」は発売されたばかりだが、北京では反応がよい。北京のあるベテランマスコミ関係者は、黄安はすでに腰を据えており、新曲は実に北京らしい仕上がりになっていると評論する。
新曲「幸運相随」の歌詞には、黄安さんの思いが反映されており、また自分への期待でもある。「ここは土地も広いが人も多く、他人のテリトリーに踏み込まないよう注意がいる。口約束に保証はなく、約束に判はいらない。少し歩いて少し疲れて、暗くなったら歩けない。がんばれば道は頂上へと続く」黄安さんは自分を「利息で食べている人間」だと謙遜する。あの時代の台湾歌手として、宣伝しなくても10数億の人に歌を聴いてもらえるのだ。今日まで紆余曲折はあったものの、依然として道は頂上へと続いている。
だがタレントの話しぶりは常にドラマチックなものだ。音楽についてしんみりと話した後、すぐまた自信にあふれた口ぶりになり、台湾の司会者は話を大げさにするクセが治っていないと辛らつに批評する。「ファンも多いし、市場もこれほど大きいのです。台湾はたった2000万人ちょっとでしょう。大陸の一つの省の人口より少ないのです。張菲や呉宗憲は台湾の『天王』だと言いますが、ここではまったく知名度はありません。故郷には帰りません。たとえ『錦』を飾れても帰りませんよ」と。
自信に満ち溢れながらも、賞賛を求めるタレントは、新天地での再出発は一種の賭けだったと正直に言う。だがあちこちを旅しても、家こそがやはり自分を育てた場所なのだ。黄安さんは、音楽に国境がないことを忘れているのかもしれない。以前、大陸の聴衆は無条件でよそから来たこの男を受け入れたのだから、その出身地など関係ないではないか。あるいは今頃、台湾の古くからのファンが胸の中で黄安さんに、帰って来いと語りかけているかもしれない。

