台湾では、楽しく学び自主的に思考するという方向で教育改革が進められてきたが、その14年の成果の評価は分かれている。しかし、大津波に見舞われたインドネシアの僻遠の島ニアスでは、いま教育改革が現地の生活を大きく変えようとしている。その推進者は台湾のワールド・ビジョンだ。
ニアスはインドネシアで最も貧しい離島のひとつである。
スマトラ西北沖、面積5600平方キロのニアス島は人口70万人、その3割は1日の収入が1米ドルに満たないという貧困線以下の生活を送っている。島民の半数は小学校を出ておらず、1〜5歳の子供の6割が栄養不良、全島の半分の面積には電気が通っていない。大津波が発生するまで、外国人どころかインドネシア人の大部分も、この島のことを知らなかった。
2004年末のスマトラ沖大地震の震源地はニアス島の北数十キロの地点だった。津波に見舞われたのは西岸の一部だが、強い揺れで家屋が倒れ掛かっていたところへ、翌年3月にもマグニチュード8.7の地震があり、島内の家屋の半分と校舎の3分の2が倒壊した。
各国から救援団体が入る中、ワールド・ビジョン・タイワンは政府の「一万の希望」プロジェクトからの1億800万と募金の1億3000万を投下して緊急援助と中長期の再建計画に着手した。20ヶ所に耐震構造の校舎を建てるほか、新しい教育方法を導入したのである。

ロサラ村の住民は、子供たちが友達を作り、インドネシア語を学べるよう、自分たちで幼稚園を作った。
ニアスの村落を訪ねると、まるでタイムトンネルを通って50年以上前の台湾に来たかのように感じる。山道の両脇には野生のバナナが実り、茅葺やトタンの屋根を載せた木造民家の間に時々レンガ造りの家が見える。山道を登校する日に焼けた子供たちの中には運動靴やサンダルを履いている子供もいるが、裸足の子供もいる。
車はにぎやかな市場を通る。布や衣服、野菜や日用品などを売る露店が並び、袋を提げた人々が集まってくる。「これは週に一度だけの市なので、数キロ離れたところに住む人もやってきます」と話すのはワールド・ビジョン・インドネシアからニアスに派遣されているプロジェクトマネージャーのエリクソンさんだ。市場で売られる農作物や日用品はすべて余所から運ばれてきたもので安くないが、住民は交通手段を持たないため、ここで買うしかないのだという。
エリクソンさんによると、ニアスはインドネシアでも開発の遅れた島で、多くの山村に道路はなく、島民の平均就学年数は5.7年で全スマトラ19区の中で最も低い。これは学校まで山道を3〜9キロも歩くのが危険で大変だからだ。雨が降れば全身泥だらけになってしまう。

ニアス島は交通建設が非常に遅れている。道路はでこぼこで公共の交通手段もないため、買い物や用事で出かけるにはバイクが必要だ。
こうした状況は震災後さらに悪化した。道路は分断され、11月から3月の雨季には土砂崩れが起きる。そのためワールド・ビジョンは、学校を建てる前に、建材の運搬や子供の通学のために道路や橋を修復し、土砂崩れ防止の防護壁も作らなければならなかった。
ニアス島は南北ふたつの行政区に別れており、北区がやや大きく、その下に14の地域がある。ニアス島では輸送が困難なため、ワールド・ビジョンが建てた20の学校は北区の4区域に集中している。
東岸にある県都のグヌンシトリから西、ヒリドホ地区のロサラ村へ向う道は起伏が激しく、車は船のように揺れる。
ロサラ村の学校には5つの村から150人の生徒が通ってくる。斜面に白い校舎が2列並び、1ヘクタールに満たない敷地だが明るく清潔感がある。2年生の教室は授業中で、6人ずつグループになり、先生が説明した後、机の上の小石を使って掛け算を学んでいた。

ワールド・ビジョンは数々の教材を提供している。写真はテテホシ小学校。
「教え方が以前とはずいぶん変りました」とユニアロ校長は話す。小石を使えば四則計算も分かりやすく、先生との距離も近づく。壁にはワールド・ビジョンが提供した地図、人体構造や動植物などの図が貼ってある。これらの補助教材や図書や顕微鏡などのおかげで勉強も活発になり効率も上ったという。壁には優秀な生徒の作品も貼ってあり、これによって良好な「競争」が生まれた。以前はなかった概念である。
校長によると、交通が不便なロサラ村にはなかなか先生が来てくれず、現在唯一の正規教員は校長の奥さんだけだ。他の8人は付近に住む兼任の教員で、政府から補助金しか出ないため収入は少ない。それでもワールド・ビジョンの資源によって大きく改善され、教員の能力やモチベーションを高める訓練ができるようになった他、村長や親も教育に積極的になった。
校長が語るワールド・ビジョンによる教員訓練というのは、ユニセフとユネスコが発展途上国のために設計した「子供のための学習コミュニティの創造」(CLCC)プログラムのことだ。これは校長や教員、地域の人々などを対象に、校務運営、教育方法、コミュニティ参画の3大分野で訓練を行なうものである。
ワールド・ビジョン・タイワンでインドネシア被災地プロジェクトを担当する劉芬芸さんによると、インドネシア政府が政策として認可したCLCCは、学校を中心に地域とも協力して全方位型の学習環境を生み出すというものだ。すでにインドネシア各地の大都市で推進されているが、資源のない離島では進んでいなかった。

島民の9割は主にゴムの樹液採集で生計を立てている。毎日150本の木から3キロの樹液を集めても2万1000ルピア(70台湾ドル)にしかならない。
「ワールド・ビジョンは学校を建設する前にCLCC推進を声明していました」と話すのはギド地区テテホシ小学校のギア校長だ。当時、多くの学校はCLCCは難しいと考えて辞退したが、ギア校長は教育再建に大きな力になると考えて挑戦することにした。
「それまで教育の真の目的を理解していませんでした」と話すのはマンドレヘ地区ハヨ村小学校のワルウ校長だ。以前は教師が一方的に知識を教えるだけで「生徒が主体」という観念が欠けていたという。CLCCの訓練を受けてからは生徒に考えさせるようになり、成績の悪い生徒を叱ることもなくなった。
教員の負担は増えたが、達成感が得られるようになったとワルフ校長は言う。ワールド・ビジョンの訓練は無料だが、修了したら他校へ推進しに行かなければならない。1年余りの間に校長は400人余りの教員を訓練し、ニアスに「教育改革」が広がり始めた。
CLCCが教員のために考案したAJEL(Active Joyful and Effective Learning)教育法は、楽しみながら子供の興味と能力を高めるものだ。
「教え方は各地の環境や条件によって違ってくるので、教師にとっては大きな挑戦です」とテテホシ小学校のザマシ先生は言う。例えば、この学校は町に近いので、芸術や経済の授業で博物館や市場を訪れたり、現地の薬草を育てたりしている。

災害後に各国のNGOがもたらした建設がニアス島発展の基礎となり、開花が期待されている。写真はボトムゾイ小学校。右手奥が新校舎、左は当初の仮設校舎だ。
マンドレヘ地区のロロジズギ小学校のグロ先生は、6年生に世界史を教える時、新聞雑誌で資料を集めさせて質問させる。インドネシア史の授業では、想像力を発揮させて、その時代に自分がいることを想像させる。独立戦争時代に生きていたら自分はどうするか、などを考えさせるのである。
「生徒には積極的に質問させます。以前はそうではありませんでしたが、今は質問する生徒の方が優秀だと考えています」とザマシ先生は言う。子供たちがわざと先生を困らせるような質問をしないかと尋ねると、今の子供たちは素直で、インドネシアは開放的な社会を目指しているので、両者の方向に矛盾はないと言う。
AJELを推進し始めた当初はさまざまな課題に直面した。例えば、一部の教員からは給料は上らないのに仕事量が増えると反対の声が上り、訓練を受けた教員も適応できず以前の教え方に戻ってしまうこともあった。また、先生の高圧的な態度に慣れていた生徒の中には、先生が突然優しくなったことに適応できないものもいた。

島民の3割は貧困線以下の生活をしている。写真は県都グヌンシトリの鍛冶屋。
ワールド・ビジョンの調査によって、就学率が低い原因は、多くの家庭が子供の制服や教科書や文房具の費用を負担できない点にあることがわかった。そこで20校の3000人近い生徒の学校用品をすべて無料で提供することにしたところ、僻地の村落の就学状況は大幅に改善した。
「制服もカバンもあるので、子供は尊厳を持って学校へ通えます」とロロジズギ小学校に子供を通わせるスライマンさんは言う。真新しい制服や文房具を手にした子供たちは、自分が学校へ通うことを当然のことと考えるようになり、知識は遠い存在ではなくなった。
「子供たちが保健衛生の知識を持つようになった」「時間と規則を守るようになった」「以前は帰ってくると遊んでばかりいたのに、今は宿題をやるようになった」などと、ニアスの親たちは子供の変化を話す。先進国では驚くようなことではないかもしれないが「あちこちで大便をしない」「蝿を食べ物に近づけない」といった教育が必要な社会においては大きな進歩だ。
子供たちが変ったことで大人も変ってきた。一生農業に従事し、教育を重視してこなかった親たちも、ワールド・ビジョンが催す各種説明会や座談会に出席するようになり、学校運営にも関心を寄せるようになった。
ロサラ村では、小学校が再建されてから、19人の親が「学校委員会」を組織して校務に協力するようになった。この学校に子供を通わせるベザロさんによると、委員会は月に一回会議を開き、例えば学校でペンキが必要だという時には、募金をしてペンキを用意し、3ヶ月に1度大掃除をしているという。また、兼任教員の給料が少なすぎるので、毎月各家庭が5000ルピア(約17台湾ドル)ずつ出して支援している。

ワールド・ビジョン・タイワンの支援地域
子供たちに良好な学習環境を提供し、地域社会への住民参加の機会を作るために、ワールド・ビジョンでは学校を建てると同時に水利施設や医療衛生の建設も行なっている。
エリクソンさんによると、ニアス島の住民の9割はゴムで生計を立てている。男性は一日中ゴムの樹液を集め、女性は毎日水を探して汲んできて三食を作るので、子供の世話をする時間がない。そこでワールド・ビジョンは6つの村に貯水タンクと長さ19キロの水道管を設置し、6000人の水の問題を解決した。山を越える水道管の設置には各村の村民が参加し、地域の結束力も高まった。
「最初は皆が抵抗しました」とワールド・ビジョンの地域連絡係を担当するワルルさんは言う。しかし2年の努力を経て、村民たちも皆で智恵を出し合って参加することの重要性を理解するようになり、自分の時間を犠牲にしても地域のために力を出すようになった。
例えば、月に一度の母子健康診断では、村長夫婦の呼びかけで少しずつ女性たちが手伝いに来るようになり、公衆衛生士が予防接種をする時に、子供の健康診断や衛生教育に協力している。以前は子供たちの栄養状態が悪く、痩せているのに寄生虫でお腹が膨らんでいて、親もどうしたらいいのか分からなかったが、今はそうした状況も大幅に改善された。村にトイレを建設した時には、ワールド・ビジョンが鉄筋やセメントや設備の費用を出し、村民たちが石や木材を持ってきて一緒に施工した。
「いつも村民たちに話しているのは、いずれワールド・ビジョンはここを出て行くので、住民が主人公にならなければならない、という点です」とワールド・ビジョン・タイワンの劉芬芸さんは言う。その話によると、再建の根本精神は「地域社会の自立」で、これには長い時間がかかる。ワールド・ビジョンは教育から着手し、それから家庭、社会へと少しずつ拡大してきた。これまで3年、教員チームとコミュニティ組織の努力によって基礎ができ、村民が地域のための労働に加わり、学校へも寄付をするようになったので、地域参加への第一歩はすでに踏み出したようである。
災害から4年目に入る新たな段階を迎え、ワールド・ビジョンは再建の重点を今後10〜15年のコミュニティ発展計画に移していくという。地域組織の強化や地域リーダーシップの育成、それに農業技術や農業経済の導入などを通して、村民が自給自足の生活を送れるようにするのが目標だ。
山村で話を聞きながら一日過ごし、下山する頃には日は暮れかかっていた。山を降りる道は真っ暗で、家々からはほの暗いランプや蝋燭の明かりが漏れてくる。街まで出てようやく見慣れた電灯を目にした時、その強烈な対比から、ワールド・ビジョンの努力への敬意がこみ上げてきた。
ニアスでは今も島の半分には電力が供給されておらず、トイレも、ここ数年各国のNGOが入ってきてからようやく普及し始めたというのが現状だ。インドネシア政府も力が及ばないこの僻遠の島に、世界のNGOがソフトやハードの建設と発展への希望をもたらした。大地震と津波という災いがニアスで福へと転じつつある。

ワールド・ビジョン・タイワンの支援地域

CLCCは教材や教え方の考案から教室管理まで、学校に大きな変化をもたらした。写真はテテホシ小学校で点呼をとるユニークな方法。

ニアスの人々がposyanduと呼ぶ各地の健康ステーションは、放置されて機能していなかったが、ワールド・ビジョンが住民に奉仕を呼びかけ、看護師が妊婦や子供の健康診断を行なう健康センターへと生まれ変わった。写真は幼児の体重測定の様子。


女性たちが水を探して汲んでくる手間を省き、もっと子供の教育に関心を注げるよう、ワールド・ビジョンはマンドレヘ地区の6つの村に貯水タンクと水道管を設置した。

ワールド・ビジョンは数々の教材を提供している。写真はテテホシ小学校。