最も小さき弟のために
司会を務めた『光華』の陳亮君‧編集長は『光華』が掲載してきたカトリック関連の記事を振り返った。最初は1970年代の記事で、淳心会による快楽児童中心(ハッピー‧チルドレンズ‧センター)の設立について、1980年代にはメディア「光啓社」の話、1990年代には、世界で5人目の華人枢機卿となった単国璽の話などがあった。また特集「神父の顔」では取材チームを組んで新竹、花蓮、台東を回り、各地の神父の姿を報道、いずれもが台湾にとって忘れ難い記憶だ。
鍾安住‧大司教は、同書に登場するファウスティーノ‧サエス‧ムニョス(包徳良)神父のことを語った。鍾大司教が10歳の頃に故郷の雲林県崙背郷で布教していた神父である。「彼は家庭訪問に必ず私を連れて行きました。どの家庭も問題や苦しみを抱えており、それらに神父は耳を傾けて助言を与え、キリストの話で励まし、そして米国援助物資の衣類や粉ミルクを配りました。彼が帰る頃にはどの家庭も喜びにあふれていました。私がこの道を選んだのはこの時からだと思います。私も神父になり、人々に喜びや慰め、希望をもたらしたいと思ったのです」
中央研究院院士(アカデミー会員)である陳建仁‧前副総統は次のように語った。自分は独身時代はカトリック教徒ではなかったが、医療や公衆衛生に携わる中で神父やシスターと接する機会があった。例えば淳心会による万華‧聖若瑟医院(聖ヨセフ病院)のシスターMaria Godelieva Claeys(葛永勉)やHelena Maria Bomans(趙懐仁)で、「当時は台湾大学病院が最も優れた病院だったとはいえ、台湾で最も早く未熟児用保育器を導入したのは台湾大学ではなく、聖若瑟医院でした。シスターBomansの両腕は揺り籠のように台湾の未熟児を育みました。聖書の『私の兄弟の最も小さき者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』を思わせます」
イエズス会のルイス‧グートハインツ(谷寒末)神父と、「イエスの娘たち」のシスター‧エルビラ‧バレンティン‧マルティン(丁徳貞)が楽生療養院でハンセン病患者のケアをしたことにも陳建仁氏はふれた。なぜ彼らの世話をするのかと聞かれたシスター‧マルティンは簡単に「神は愛ですから」と答えた。そして一人の女性患者に質問を向けると、患者は「私の体の傷をこれほど知り尽くしている人はこれまでいませんでした。シスターに体を洗ってもらうと、まったく傷が痛みません」と言った。シスター‧マルティンは後に認知症を患い、亡くなる前に楽生療養院の人々がお見舞いに行くと、彼女は一人一人の名前を覚えていたという。彼女にとって彼らはみな愛する子供だったことがわかる。陳建仁氏の話は来場者の心を打ち、たびたび拍手が起こった。

台北大司教区の鍾安住・大司教。神父やシスターはさまざまな国から来ているが、同じ信念と希望を持つからこそ、神への愛と人への愛を徹底的に実践できるのだと語る。