主体として権利の回復を
台湾の民主化が進むにつれて原住民運動が次第に盛り上がりを見せ、『光華』は個々の人物や彼らの人生に、より多くの焦点を当て始めた。
1987年2月号(日本語版は翌月号、以下同じ)には、田雅各(原住民族名はトパス・タナピマ)の短編小説「トパス・タナピマ」を掲載。ブヌン族の人々が伝統と現代的価値観の間で葛藤する姿を描いた作品で、これは『光華』に登場した初めての原住民文学となった。
1990年代になると山からの芸術の風が都会にも吹き降ろすようになる。原住民族による創作があちこちで花開くように登場したのだ。『光華』でも、原住民ダンスチーム「原舞者」の紹介や、タイヤル族の作家であるワリス・ノカンの随筆を掲載し、創作者が自らの視点で文化的経験を伝える場を提供した。
1993年は国連の「世界の先住民の国際年」に当たったことから、『光華』でも「集落に戻るVS愛は異郷に」というカバーストーリーを組み、故郷復興のためにとUターンする人々や、都会で暮らす原住民の生活に焦点を当てた。
1996年のカバーストーリー「アトランタに響いた台湾原住民の声」では、アトランタ五輪のテーマ曲「Return to Innocence」にアミ族の郭英男夫妻(ディファンとイガイ)の歌が使われたことに関する著作権論争を深く掘り下げた。
また、「祖先の名を返せ」「古き山河を返せ」などのシリーズ記事では、彼らが原住民伝統の氏名や族名を取り戻そうとする運動や、狩猟文化の再生を探る動きなどを取り上げ、彼らのアイデンティティや文化意識の目覚めを伝えている。
1994年の記事「未だかつてなかった記者養成コース」は、台湾のPTS(公共)テレビが開設した原住民記者養成コースを取材したものだった。原住民自身がカメラとマイクを手にすることで、メディアにおける自分たちの発言権拡大を目指していた。
こうした原住民運動の高まりを伝えた後、『光華』はアミ族の花蓮県馬太鞍(ファタアン)集落や太巴塱(タパロン)集落、タイヤル族の宜蘭県碧候(ピヤハウ)集落における村起こしの事例を詳しく取材した。原住民運動にともなって故郷に戻った人々の姿も捉えている。例えば、タオ族の作家のシャマン・ラポガンが故郷の蘭嶼に戻って海洋文化を学び直す姿や、パイワン族のサキヌが新香蘭集落に戻って青年会所を立ち上げる様子、シラヤ族の段洪坤が集落を率いて自分たちの族名の回復を求めた運動などだ。これらは、新たな世代の原住民たちが、伝統と現代の価値観の間でバランスを取りながら、自らと土地との関係を再構築していく努力を伝えている。
2005年に『原住民族基本法』が制定された後の2006年3月号「ナルワンの声を聞け──台湾の原住民運動20年」では、原住民運動の成果を振り返り、その時点での総括として、あらゆる成果の中でも「最も重要なのは、原住民の『自信』の回復である」と指摘している。1990年代半ば以降は、原住民集落に数百という文化的な工房が生まれており、その豊かな創造力やエネルギーが新たな希望をもたらしている。

パイワン族の宋海華は伝統のハンドタッピングの入れ墨技法を、同じくオーストロネシア語族のマーシャル諸島やタヒチの人々に教えている。(林旻萱撮影)