景気が悪化しているが、その不満を子供への暴力で発散させる親が増えているとでも言うのだろうか。マスコミが報じる児童虐待事件の残酷さは年々増しているように感じられる。
1月中旬、「中華児童および家庭扶助基金会」が西暦2000年の児童虐待と福祉に関する十大ニュースを発表した。それによると「三宝学院の住持による性的侵害を少年僧が集団で訴えた事件」と「児童人権指標が4年連続で不合格」というのが、それぞれトップのニュースに挙げられた。
子供の人権とは何だろう。昔から子供の教育を重視し、大人たちが子供を可愛がることで知られている台湾が、子供の人権で不合格というのは、どういうことなのだろう。台湾の子供たちは、どのような環境で成長しているのか。未来の主人公たちに、より良い社会をもたらすために、私たちはどうすればいいのだろうか。
台湾の子供たちは楽しく暮らしているのだろうか。
児童福祉連盟が99年に小学校5〜6年生を対象に行なった「児童生活状況調査」によると、今の子供たちは「勉強のプレッシャーが大きい」「遊ぶ空間や時間が不足している」「人格的に十分に尊重されていない」といった状況に置かれており、9割近い子供たちが、常に、あるいは時々悩みを抱えていることがわかった。
同じく児童福祉連盟が昨年行なった「ミレニアム台湾児童の家庭の温かさ指数調査」によると、子供たちの3人に1人が「家出をしたいと思ったことがある」と答えている。
子供たちは何を悩み、なぜ家出をしたいと考えているのだろう。これは、台湾の子供の人権と何か関係があるのだろうか。
第二次世界大戦の後、多くの戦火と蹂躪を経験した人々は、飢えと苦痛を経てきたことから、「人権」という概念について広汎な討論を始めた。そして1948年に国連で「世界人権宣言」が採択されたのである。
子供の人権という概念が生まれたのは、それよりやや後のことだった。1959年、国連は「児童の権利宣言」を、さらに1989年には「児童の権利に関する条約(子供の権利条約)」を採択し、世界に向けて「すべての児童は、本人や家族の人種や肌の色、性、言語、宗教、政治的意見やその他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生、またはその他の地位などによるいかなる差別も受けることなく、一律にこれらの権利を享有することができる」と宣言した。
「子供の権利条約」は、初めて包括的に児童の権利を定めた条約であり、1990年から各国が批准し始め、今では190ヶ国が締約している。これは人権に関わる国連の取決めの中では最も支持されている条約だが、我が国は政治的な要因のために、この条約の締約国になることができない。
「児童売春撲滅協会」の秘書長を務める李麗芬さんによると、台湾は「子供の権利条約」を批准できないために、商業的な子供の権利の剥奪に関する国際協力や、国際的な司法協力などに参加できないという。
昨年、台湾人権促進会と人本教育基金会、そして励馨基金会など20余りの団体が「国連子供の権利条約への台湾の加盟を推進する連盟」を組織した。この連盟の幹事長を務める立法委員の頼勁麟氏は、国際組織加盟への道は長く険しいが、そのプロセスの方が結果より重要だと語る。「私たちの真の目的は、児童の問題に対する台湾の人々の認識と理解を深め、政府による児童人権保障が確実に実施されるよう推進することなのです」と言う。
では子供の人権としては、どのような項目が挙げられるのだろう。台湾の子供たちは、それを享受しているのだろうか。
中国人権協会は89年から「人権指標」調査を開始し、4年前から「児童人権指標」の調査も行なうようになった。
この「台湾地域の児童人権指標調査研究」は基本的人権、社会権、教育権、健康権の4大項目、14の指標に分けられている。これは主に国連の「子供の権利条約」に掲げられた精神に基づいて、さらに国情を反映させて調整したものだ。
この調査を主催する児童福祉連盟の馮燕事務局長によると、調査において現状を評価するのは児童福祉学者、政府関係者、ソーシャルワーカー、医療、教育、法律などの関係者、マスコミ、立法委員など百人余りの専門家である。馮さんによると、これら専門家は、台湾の児童は「平等主義」が強調する尊重や社会参与権も享受していなければ、「保護主義」が強調する安全や福祉といった保護措置も十分に受けていないと考えている。
こうした評価に対して、エリート層は批判精神が強いため、評価が厳し過ぎるのではないかという疑問の声があがったこともある。しかし、昨年、中国人権協会と「明日報」が協力してインターネットによる調査も加えたところ、台湾の児童の人権に対する評価は、専門家のそれより低いものだった。「つまり、専門家より一般の人々の方が、児童の人権保護が十分ではないと考えているのです」と中国人権協会の柴松林理事長は言う。
この児童人権指標調査においては「社会権」の項目が、4年連続で最も低い評価となっており、また進歩も見られない。
社会権の指標には、福祉と保護、社会参与の機会、社会平等と司法正義という項目がある。これらのうちの一部は政府などの公の部門の責任であり、一部は社会観念や既存の社会的メカニズムの問題だ。
馮燕さんによると、福祉とサービスという項目に関しては、児童福祉関連法規はすでに合格の基準に達していると言う。しかし、法規が整っているだけでは十分ではない。それを着実に実施していかなければ、児童福祉も現実のものとはならないのである。中でも最も不足しているのが、未婚や片親の家庭における子供の養育に対する協力体制だ。
司法正義という面はどうだろう。私たちの社会は、法を犯した子供を十分に尊重して保護し、公正な審判の機会をあたえているだろうか。
総統府人権諮問小委員会の委員である邱晃泉弁護士は、法律上は大人にも子供にも同様の権利があたえられているが、執行に際しては子供は同等の待遇を受けていないと指摘する。
昨年7月、台中市の光明中学校の1年生が、テニスボールを校内から外の歩道に投げたところ、それに驚いた通行人が検察官の同行を求めて学校に入り、学校警察とともに教室内で生徒を捕えて審問するという事件があった。これにより、その生徒は家庭裁判所で保護処分の決定を受けた。
12歳の子供が、ボールを外に投げたために授業中に捕らえられたというので、児童保護に携わる多くの人が大きなショックを受けた。
馮燕さんによると、昨年「少年事件処理法」が改正された際、状況が深刻ではない少年事件の場合は、可能な限り司法体系には持ち込まないという点が強調されたという。しかし、今回の事件に携わった大人たちは、子供を罰しなければ教訓をあたえることはできないと考え、重く罰する道を選んだ。これによって子供は心に大きな傷を負い、後遺症が残る可能性もある。
もう一つ、社会権の中の「社会に参与する機会」という項目は、社会観念の問題だ。
台湾において子供の人権がどれだけ重視されているかを理解するために、昨年10月、新境界文教基金会が民進党の世論調査センターに「児童人権世論調査」の実施を依頼した。
民進党中央本部社会発展部の李文英主任によると、この調査の結果、最も尊重されていないのは子供のプライバシーだということが分った。73パーセントの人が「大人には子供の鞄や手紙を検査する権利がある」と考えており、また94パーセント近い人が「大人は、子供が付合う友達を篩にかけることができる」と答えている。
「私たちの社会では、大人と子供を異なる基準で見ています」と馮燕さんは指摘する。大人は常に、子供は嘘をつくもので、自分の意見を表現する力がないと考えている。そのため親や教師や政府などルールを定める側は、常に自分の考えを子供におしつけており、子供はそれに参与する空間も学習の機会も持たないのである。
「台湾では、昔から子供は幼稚で能力が低いものと考えてきました」と指摘するのは邱晃泉弁護士だ。大人たちは何かというと子供に勉強を強要し、「児童学習年」を提唱したり、子供に正しい性観念を与えようとするなど、常に大人の価値観を押し付けようとしてきた。
市立師範学院初等教育学科の湯梅英教授も、多くの親は、子供は能力を持たず、親を頼りにして従うものだと考えているため、親が子供のために物事を決めているという。
市立師範学院の学生を例に挙げると、統一入試を受けるの際の志望校は親が決めるケースが極めて多い。多くの親は、子供が小学校の教員になれば結婚にも困らないし、働きながら家庭も見れるので、子供を教員にさせたがる。だが、それは決して子供自身の選択ではないため、入学後に不平を言う学生が多いのである。
「子供に代って大人が決定を下せば早いかも知れませんが、それによって子供が学習の機会を失ってしまう可能性もあります」と湯教授は指摘する。こうした子供たちは成長した後も迷い続け、権威やリーダーに頼ることが多い。だが、人生においては誰も答えを教えてくれない事柄がたくさんあるため、結局は占いに頼ったり、他人に決定をゆだねたりするようになるのだと言う。
台湾の子供たちの「健康権」の指標は、4年続けて最も高いものとなっている。これは世の中が豊かになり、医学が発達したことによって、栄養や健康の面で進歩したからだ。しかし、それでも多くの大人が、知らず知らずのうちに子供たちの健康に危害を及ぼしている。
ある母親によると、中学1年の息子は毎朝7時半までに学校に行かなければならず、週に3回遅刻するとマイナス点がつけられるため、きちんと朝食を食べさせることもままならないと言い、「これでは健康権どころではありません」と言う。
また、学校での「衣更え」もまったく融通が利かない。定められた時期が来れば、どんなに暑くても長袖を着なければならず、寒くても半袖を着なければならないのである。
また、自分の子供にスタート地点で後れを取らせてはならないと考えるため、多くの親が子供の健康に害を及ぼしている。政府衛生署が2000年末に発表した5年に一度の「全国生徒近視調査」によると、この5年間で小学1年生の近視の割合は12パーセントから20.4パーセントに増えた。小学校に入ったばかりの子供の5人に1人がすでに近視なのである。
この調査結果から、衛生署保健処では、子供たちの視力を守るために、幼稚園の頃から文字の勉強をさせないこと、10歳まではコンピュータをあまり使わせないこと、音楽の勉強のためにあまり早くから楽譜を学ばせないこと、テレビは一日1時間までにすることなどを呼びかけている。
この他に「2000年児童人権指標報告」の中では、マスメディアによる影響に触れている。「子供の人権状況を改善するには、まずマスメディアによる悪影響を拒絶することから始めなければなりません」と馮燕さんも言う。
児童福祉連盟の調査によると、現代の子供たちが最も頻繁に行なう「親子活動」のトップに挙げられるのが「一緒にテレビを見る」というもので、全体の78パーセントを占めている。しかし、テレビは子供たちに良くない影響も与えるのである。
東呉大学社会学科の楊孝濚教授は、「マスメディアが子供に与える影響」という文章の中で、好ましくない影響を5項目あげている。暴力とポルノ、粗雑で低俗な表現、偏った価値観、間違った飲食習慣、文化的侵略だ。楊教授はさらに、現代の子供たちには功利主義や自己中心的な価値観が見られるようになっており、金銭が唯一の価値基準になりつつあると指摘する。
また台湾師範大学の方逸芸教授は「テレビ暴力の子供への影響」という文章で次のように指摘している。テレビは子守りとレジャーの役割を果たしているが、研究によると、テレビの暴力シーンは三つの面で悪い影響をおよぼす。子供が攻撃的行為や態度に慣れてしまい、テレビのない世界を恐れるようになり、悲観的な考えを抱くようになる。そして子供が現実の世界と幻想の中の暴力に敏感でなくなるというのである。
暴力、ポルノ、低俗さ、スキャンダルなど、マスメディアの伝える内容は学校教育や現実生活とのギャップが大きいだけではない。「これら大人のための娯楽が、未成年にとっては憧れであったり、権威であったりする点を考えなければなりません」と馮燕さんは言う。マスコミが子供の価値観にもたらす影響は、すでに現実のものとなっているのかも知れない。児童売春撲滅協会の李麗芬さんによると、今日、台湾の少女が売春をする主な原因は「貧困」ではなく、誤った価値観だと言う。「マスコミは大々的に高級ブランドを紹介し、芸能人の何十万元もするドレスを紹介します。こうした環境なのですから、若者の虚栄心だけを責めるわけにはいきません」と言う。
もう一つの深刻な児童の人権侵害は、繰り返し起っている「虐待」だ。
政府内政部児童局の統計によると、99年には5353件もの児童虐待事件が起っており、平均すると毎日15人の子供が不当な扱いを受けていることになる。
大人は「子供はたたかなければ立派な人間にならない」と考えがちだが、「たたかずに立派な人間にする」方法を考える人はいないと湯梅英教授は指摘する。人本教育基金会の馮喬蘭事務局長は、体罰の最大の問題は、子供が「愛」と「打つ」ことを一体化させて考えるようになり、矛盾した価値観を育てることにあると考えている。
学校での体罰も、ここ数年議論されるようになり、一般には大きく改善されたと思われているようだが、現実は必ずしもそうとは言えない。一昨年、人本教育基金会が小中学校を対象に調査を行なったところ、直接あるいは間接的な体罰が行なわれている割合は98パーセントに達し、昨年の調査でも、直接的な体罰を受けたことのある生徒は40〜50パーセントに達した。「十数年来の努力による進歩はわずかです。教師は体罰は良くないと感じるようになり、生徒をたたく前に少し考えるようになりました」と言う。
「体罰はコントロールを意味しています」と指摘するのは馮喬蘭さんだ。多くの人は、気持ちの上では体罰をあたえないことに同意しているが、「たたかずにどうするか」「体罰なしで、どのように関係を築くか」がわからないのである。
児童虐待とは、ひどい折檻や性的侵害や言葉による暴力だけとは限らない。子供に対する不適当な仕打ちも、深い影響をあたえる。
昨年高雄で発生した児童虐待事件は12、13、15歳の兄弟が長年にわたって母親から不当な扱いをされていたというものだ。この母親は3人の子供を病気だと思い込み、十年余りにわたって病院や宗教などに治療を求め続け、あらゆる薬や針灸などを試み、そのために子供が薬物中毒になって病院へ運ばれることもあったのである。
こうした事例の他に「心理的虐待」や「言葉による暴力」もある。これらは子供の肉体に傷を負わせることはなくても、その心理に深い影響をおよぼす。警察大学の黄富源副教授と黄翠紋講師の研究によると、父が母に暴力を振るうドメスティック・バイオレンスを目の当たりにすることも、子供にとっては一種の心理的な虐待になる。ドメスティック・バイオレンスの中で、子供が攻撃を受けなくても、それを目の当たりにするだけで、子供の情緒と行為には深刻な問題が生じる可能性があるのだ。
「子供の権利条約」は、教育を受ける権利を明記している。この教育権の面では、台湾の就学機会は合格点に達しているが、就学率とは別に考えなければならないのは、子供たちが何を学んでいるかという点だ。現在のような教育で、子供たちはどのように成長していくのだろう。
福林小学校の教務主任を務める陳錦蓮さんは、今の小学生は何かというとすぐに暴力を振るい、他人を罵るので恐ろしいと言う。陳主任は、これは大人がしばしば抗議行動やデモなどを行なって子供に「手本を見せている」からであり、また家庭教育がうまくいっていないからだと考えている。
では、学校では子供たちの人権は保障されているのだろうか。陳錦蓮主任によると、学校の教員は児童の人権をすでに認識しているが、必ずしもそれに賛同してはいないという。
陳主任は、16年にわたって学級担任を務めてきたが、その間はやや権威主義的な教師だったと言う。だが「人権教育シード教師ワークショップ」に参加して児童の人権というテーマに触れるようになってからは姿勢を変え、子供を罰するよりも、励ますようにしてきた。「子供は栄誉心をかきたてられやすいものですから」と言う。
観念は一朝一夕に変えられるものではないため、教師や親を非難することはできない。しかし、古い価値観や考えを打破しなければ、子供の人権も単なるスローガンに終ってしまう。
内湖小学校で指導組長を務める李章瑋さんは、学校の教師が児童の人権教育を考える際に戸惑うのは次のような点だと指摘する。「児童の人権を推進すれば、逆に教師の人権が侵害されるのではないか」「今の子供たちはすでに十分に権利を享受しているのだから、むしろ義務の観念を教えるべきではないのか」「児童の人権は重要だが、それを早くから子供たちに教えるべきではないのではないか」「人権教育は西洋の産物で、我が国の発展にはふさわしくないのではないか」などといった戸惑いや疑問だ。
親の中にも、学校で子供に人権教育をしたら、子供は家で親の言うことなど聞かなくなるのではないかと心配する人がいる。
しかし「親が子供を自分の道具や財産と見なさないようになってこそ、初めて児童の人権を論じることができるのです」と話すのは人本教育基金会の馮喬蘭事務局長だ。
かつての父権社会においては、子供は家の財産の一つと見なされていたが、近年は世の中の変化にしたがって、子供は社会の「公共財」と考えられるようになってきた。しかし、古い観念が残っているため、少なからぬ親が、今も子供を自分の財産のように考え、娘を売春婦として売ったり、子供を道連れにして自殺したりといった事件が起っている。
「親権と子供の人権との関係は衝突しやすいものです」と李麗芬さんは指摘する。親や保護者は子供の人権が強調されることによって、しつけが難しくなることを心配するのである。「これは観念上の問題です。親権と言うより親業と考えた方が、いいのではないでしょうか」と李さんは言う。
信誼基金会の事務局長を務める張杏如さんは、ヒューマニズム教育を主張し、「教育はもともと子供を主体として考えるべきで、大人が教えやすいかどうかを考えるべきではありません」と指摘する。
「ミレニアム台湾児童の家庭の温かさ指標調査」によると、3割以上の子供が、家族から関心を注がれなかったことがあるという経験をしており、半数近くの子供が、家族の誰も自分の話をじっくり聞いてくれないと感じている。さらに7割の子供が、自分の小さな秘密を親に知られなくないと考えている。
大人の私たちも、かつては子供だったのであり、世界のどこかにサンタクロースがいると信じていた頃があったはずだ。サンタクロースは、北極のコルヴァトゥントゥリ山という耳のような形をした山に住んでいて、世界中の子供たちの声や願いを聞くことができると言われている。クリスマスはもう過ぎたが、大人たちも仕事の手を止め、腰をかがめて子供の心の声に耳を傾けてみてはどうだろう。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』には、「大人たちも皆、むかしは子供だったのに、それを忘れてしまっているんだ」という言葉が出てくる。私たちも少し考えてみるべきではないだろうか。

調査によると、台湾では子供の9割が悩みを抱えており、3人に1人が家出をしたいと思ったことがあるという。子供たちの心の叫びを誰が聞いてくれるのだろう。

子供は親の宝物であるはずだが、必ずしもすべての子供が妥当な保護を受けているわけではない。生活のために忙しく、子供の世話をする時間がない親も少なくない。(邱瑞金撮影)

子供は未来の希望だ。明るい子供たちがいてこそ、健全な国家社会と言える。大人たちは、子供たちに未来の希望をあたえなえければならない。

子供は教わるのではなく、自ら学ぶものだ。多くの抗議行動などでこのような子供の姿を目にするが、大人たちは子供に身を持って何を教えているのだろう。(張良綱撮影)

スタート地点で他の子に後れを取らないようにと、親は早くから子供に勉強させるが、あまり早くから負担をかけると子供の健康を害することになる。小学校の詰め込み教育は30年も前のことだが、子供の近視はますます増えている。(黄麗梨撮影)

「わざとこぼしているわけじゃないの」子供をしつけるに当って、大人は子供の成長段階を理解しなければならないと専門家は指摘する。その子が悪いのではなく、年齢的に出来ないこともあるのだから。(写真:王瑩提供)

何よりも勉強が大切、学歴が第一と考えられている社会では、学校で認められない少年たちはバイクで暴走するしかないのだろうか。(薛継光撮影)