昔から「かばんを背負って学校へ」と言えば子供の新しい成長段階を意味し、家を出て学校、そして新しい世界に足を踏み入れた。それが今では入学は唯一の選択ではなく、自由を謳歌する台湾社会では、子供が家で自習することが認められるようになった。家庭が学校という時代が来たのである。
台北市温州街の裏通り、専業主婦の呂基華さんは子供たちに荘子の逍遥遊篇を朗読させている。小さい子は3歳ほど、大きい子は10数歳の10数人あまりの子供は、分っているのかいないのか、大きな声で「北冥に魚あり、名を鯤という」と読み上げている。黒板に書かれた今日の課程には、論語、唐詩、聖書などがある。
苗栗県頭份郷では、歯医者の陳謝祺さんのクリニックを訪れる患者は稀れで、耳を突くような歯を削る音はあまり聞かれず、ほとんどの時間は8歳半のお嬢さん陳宥瑄ちゃんが本を読む声が響くのみである。「収入は半減しましたが、精神をすべて子供に注ぐことができます」と彼は語る。
夏休みでもないのだが、これらの子供は普通の学齢の子供のようにかばんを背負って学校へ行くことはなく、家庭にあって「非学校形態の実験的教育」を受け、俗に言う「在宅学習」を行なっているのである。
「中華キリスト教慕真在宅教育協会」の統計によると、台湾では現在こういった非学校形態の実験的教育を受けている子供たちが200人近くいるという。彼らが在宅で自習できるのは、「他と違った」両親を持ったためもあるが、法令による規制が緩和されたおかげでもある。
台湾の義務教育は1943年に始まり、戦後になってからは国民一人一人が義務教育を受けられるように、1947年には「台湾省学齢児童の強制的入学規定」が定められ、さらに1982年には「強制入学条例」が制定された。

子供の頃に古典を読まずにいつ読むのか、と考える師範大学付属中学の国語教員・高
謙さんは、子供の言語発展に最もふさわしい時期に、妻とともに家で子供に古典を教えている。
強制されなくなった入学
時代の進歩につれて、教育の多様化を呼びかける声が高まり、教育政策も次第に緩和されていく。1999年に改正された国民教育法の第4条には「学生の学習権を保障する為に、義務教育の段階で非学校形態の実験教育を行うことができる」と明記され、さらに同年8月に公布施行された教育基本法第8条にはさらに明確に「義務教育の段階において、父母は子女を指導する責任を負い、その子女に最適の福祉措置を講じるために、法律により教育の方式、内容の選択および学校の教育事務への参与の権利を有する」と定められた。これにより、在宅学習は正式に合法化され、在宅教育を選択する人が増えてきている。申請人数が一番多い台北市にあっては、今年の申請案件は88件に増加した。
現実には、教育基本法が施行される前から台北市では試験的に在宅学習教育を実施していた。1994年に台北市政府が実施した「市長との対話」において、何人かの父母が在宅学習の請願書を提出したのである。それには「私たちは次の世代の教育のために仕事をやめた専業主婦で、学齢に達しようとする子供がいます。しかし、現在の社会の風紀がこれほど悪化し、学校でも規律が乱れて、学齢児童の教育環境に大きく影響しています。たとえば小学校にはテレビゲーム、金銭の取引、暴力、ゆすりたかり、非行グループ、虚栄心、ポルノ漫画などが溢れていて、このような環境に置かれた私たちの子供が悪い影響を受けずに、規律正しく生活できるか、実際難しいと思われます」とあった。台北市教育局は教育専門家を招いて検討し、1997年度から在宅学習教育を試験的に行うことにしたのである。

歯科医の陳謝祺さんは計画通りに家で娘に勉強を教えており、在宅学習に強い自信を持っている。
うちの子は学校に行かない
事実、アメリカ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリアなどでは在宅学習の歴史が長い。18、19世紀、ヨーロッパ諸国は国力充実のために義務教育を実施したが、学校教育には多くの問題が出てきたのである。
台北市立師範学院国民教育研究所の鄭玉卿助教授によると、1960年代の欧米では教育の効率を重んじる風潮が強まり、学校は教育水準の向上のために効率を重視しすぎて、かえって子供たちの自発性や好奇心、創造力を損なう結果となった。子供たちの学習意欲をそぎ、自尊心や人格の発展に好ましくない影響を及ぼすのを見て、多くの父母が子供の就学を拒否するようになったのである。
台北市立師範学院国民教育研究所の林天佑教授によると、アメリカが最初に在宅教育を提案した主な理由は宗教的な理由だという。公立学校が適切な宗教および精神教育を提供できないことに、多くの親は不満を抱いた。その後、学校内の暴力事件の頻発、教育のレベル低下、学習のプレッシャーなどの理由もあって、さらに多くの人が在宅教育を選ぶようになった。こうした経過を経て、在宅教育はアメリカの各州で合法化され、人々に馴染みのあるもう一つの教育モデルに発展していった。
高雄師範大学教育学科の楊巧玲助教授の研究によると、在宅教育はアメリカで近年急速に広がっている改革運動になっているという。1993年、在宅教育はアメリカの50州すべてで合法化され、人数も増加の一途をたどり、1990年の30万人から1999年には150万人に増え、学齢人口の2パーセントを占めるまでになった。
わが国では1968年に9年間の国民義務教育が実施され、学校教育は子供たちの当然の権利であると共に、義務にもなっていった。では台湾のお父さんお母さんたちは、なぜ子供の権利と義務を放棄し、在宅の私塾での教育を選択するのであろうか。
「哲学者のアーノルド・トゥインビーによると、孔子孟子の学説と大乗仏教のみが21世紀の問題を解決できるといいます。科学の時代、道徳教育を若いうちから施し、蒙を正しく徳へと導くのが急務ではないでしょうか。中国古来の教育理論は正確で、実行しやすく、古典教材は優れており包容力に富み、深さも広さも具えています。われわれ後学の徒の古いものを受け継いでいくという志を認めてください」と、堂々たる議論を展開するのは、歯医者の陳謝祺さんがお嬢さんを在宅学習させるための申請書の文言である。

「在宅学習」は生活の中で学ぶことでもある。本から得た知識は、日常の暮らしの中でその精神や意義を経験することができる。(蔡智本撮影)
学校教育を救え
陳謝祺さんは教育局長や立法院に陳情を繰り返し、小学校において「漢学実験コース」設立の推進を図ったのだが、この希望はかなわなかった。
「窮すればすなわち独りその身を善くすといいます。学校の体制を変えられないのなら、在宅で自分で子供を教育するしかありません。気づいていないのならともかく、その長所を知ってしまったからには、この路を行くしかないではないですか」と彼は語る。
「教育の夢を叶えたい」と、師範大学付属高校の漢文の教師高瑋謙さんは小学校4年の息子高存誠君を在宅で自習させている。それによると、プレッシャーのない環境で子供が楽しく学び、品格のある人格に文化的素養を蓄えて、他人を尊重し、感謝を知り、祖国を愛し世界に関心を持つ人に育てたいというのである。
子供に在宅教育を行っている曾意婷さんは「子供は一本の木です。両親の手助けが必要で、小さい頃から服従を教え、毎日その知識を導いていくのは、実際には大変な仕事で、時には絶望したくなります。子供の基礎をしっかり固めるに、私が選んだのが在宅学習なのです」と語る。父母一人一人の動機は同じではないとしても、少しでも子供のためと思う気持ちは変わらない。
子供の気持ちはどうなのだろう。「学校は退屈」と、毎週半日登校するように学校から求められている陳宥瑄ちゃんは言う。小学校4年生から在宅学習している高存誠君は、毎週半日登校して自然と数学の授業を受けているが、学校がいいか在宅がいいかと聞くと、いつでも「両方いいよ」と答える。
在宅学習を求める父母にとって、学校教育にいいところはないのだろうか。
高瑋謙さんは50年前の教育家葉聖陶の言葉を引いて、学校教育とは「智をもって徳を毀し、智をもって体を毀し、試験をもって智を毀す」ものだという。現代社会の混乱した現象は文化的教養を欠いていることからくるのだが、新しい教育は文化的教養から離れていくばかりだと高さんは考える。
慕真在宅教育協会の事務長黄夏成さんは、現在の学校教育には徳育が欠けていると言う。義務教育の段階は子供の知識の啓発期で、人格を育てる大切な時期でもあり、時代の必要にあった知識や概念、それに肯定的で積極的な教育方式が、子供の心身の健康にとってきわめて重要なのである。
学校の道徳教育の不足を憂慮すると共に、学校の教育形式、内容に対しても親にはそれぞれに考えがあるようである。
「現在の教育では適切なタイミングに適切なものを子供に与えていません。このような教育体制のもとで教育を受けた子供は、小さいときには全世界を得たように感じ、現実には一生取り返しがつかなくなります」と高瑋謙さんは考える。
黄夏成さんは多様で心身ともにバランスの取れた全人格教育を主張する。しかし、大クラス制をとり、統一した教材を用い、同じ進度で進み、点数で評価するのが主となる学校教育の体制では学習効果が上がらず、全人格教育など言うも愚かなことである。そこで家庭こそが全人格教育の基本的な場となると黄さんは考え「生活の中で指導していくというのが一番真実に近い教育方法で、教育と生活、人生との関係を回復できるのです」と語る。

「慕真在宅教育協会」の各学習チームは、週に一度集まって野外学習を行なっている。この日は「水の博物館」を訪れ、解説員の話を聞きながら水資源について学んだ。
古きを温めて
ここで目を引くのは、在宅教育を実施する人々が子供に古典を読ませているという点である。
1911年、公立の小学校と中学で古典の課程が廃止され、古代の経典を勉強するのは大学の中文科の専属となってしまい、普通の人は古典を読む機会も意欲も失ってしまった。それが今になって、多くの在宅教育を行う親たちは子供に現代的な教育を行わず、後戻りして古典を読ませるのである。多くの人はこれに対して、児童に古典を読ませる意味がどこにあるのかと不思議に思うだろう。
「古典を読まなくなった結果として孔子や老子の言う『観』、つまり人生の真実や世界の実相を見ることがなくなったのです。そして一人一人が価値として認め帰属できる『道』も定まらなくなり、人生の価値を代表する『名』も失われていきました」と、中央大学中文研究所および哲学研究所の王邦雄教授は、現代人が古典の智恵に学ばなければならない必要性を呼びかける。古典教育推進に全力を尽くしているのが、台中師範学院語文教育学科の王財貴助教授である。華山書院古典教育推進センターを設立し、また教育基本法が施行されてからは、児童の在宅学習を積極的に奨励している。王財貴助教授によると、言語文学の智恵は一切の知の源だと考える。科学、空間、人間関係、内省などの知は言語能力により引き出されてくるのだが、13歳以前が言語能力開発の貴重な時期で、この時期を逃すと能力を構築できなくなってしまうという。
この教育理念に賛同する親たちは、子供の言語能力開発の時期を逃さないために、在宅学習を申請した。高゙ウ謙さんと呂基華さん夫妻もそういった例である。子供を学校に通わせてこの時期を無駄にしないように、小学校4年生の息子に在宅学習を申請したのである。
「両親が苦労するのも、子供の将来を考えてのことです」と師範大学付属高校の教師高瑋謙さんは言う。子供に今古典を学ばせるのも、スタートでつまずかないようにするためで、中学高校へと進めばずっと楽になると考えている。
自分の子供のためばかりではなく、より多くの人に古典学習の利点を広めると共に、息子の友だち作りにもなると、呂基華さんは温州街で古典学習クラスを始めた。このクラスは古典教育を主とし、学校の課程や芸術クラスを従としている。古典教育の教材は論語、孟子、大学、中庸、老子、荘子、詩経、礼記、唐詩三百首、聖書、シェークスピアそれにプラトンなどの、東西の名著である。

多様化の時代、学習は学校だけに限られたものではなくなった。親として忙しい中でも、身をもって教えることを忘れてはならない。
もう一つのライフスタイル
非学校型形態の実験教育を行っているのは、プロテスタントの家庭が多い。慕真在宅教育協会で在宅教育を行っている60の家庭を見ると、それは教育方式に留まらずライフスタイルにも関わっている。
子女の教育は主が両親に任せた天職であると信じており、政府あるいは学校がすべての責任を負うものではないと言うのである。そこで慕真在宅教育協会では、政府の法令に違反しないという原則の下で、両親が自分の子供を在宅教育することを勧めている。黄夏成さんによると、これまでの生産ラインのある教育工場といった教育モデルでは、子供それぞれの生の成長の必要性を満たすことはできないと言う。21世紀の子供には、その子の身の丈に合った教育が必要である。
2000年、慕真在宅教育協会は正式に協会として登記され、理事長の范寿康さん、馬卓群さん夫妻によると、在宅教育というのは子供を家で勉強させるというだけに留まらず、一家揃ってイエスの生活様式を生きるということなのだそうである。在宅教育をライフスタイル革新運動と考えており、国家や社会に積極的に改革の影響力を及ぼしたいと願うのである。
「私たち一家はすでに数年間、新しい衣服を買っていません」と黄さんは話す。在宅教育を行う家庭は共働きができないので、1銭たりとも無駄使いはできないのである。
教育理念において、慕真在宅教育協会が目指すのが身をもって範を示すことと、学習型の家庭である。「両親がまず最初の学生で、子女はその後輩になります」と黄さんは言う。慕真在宅教育協会では、各地に在宅教育家庭による学習グループを組織し、教材を提供し、定期的に集会を開いて、両親に統合の概念の応用を勧め、一つのテーマで異なる領域の知識を整合しながら子供を教えていくように指導しているのである。
自分の子は自分で教える
西門小学校の方慧琴校長の調査によると「在宅教育は確かに教育が生活に直結し、学習型の家庭を築き、親子関係が密接になり、個別化した適性にあった教育ができるなど、学校教育にはない長所を具えています」と認める。しかし、在宅教育と社会の主流となる価値観との相違がそこここで疑問や議論を呼んでいる。
「学校教育は積極的で正当な機能を果しています。子供が学校に入ったら必ず傷つくとか、マイナスであるというような意見は受け入れられません」とある小学校の先生は言う。
在宅教育は子供を無菌室に保護するようなもので、社会への適応能力に欠けるようになるのではという外界からの疑問に対して、在宅教育推進者はまた別の見方をする。
「児童の人格形成期は当然保護されなければなりません」と高瑋謙さんは言う。子供に自信と抵抗力がついていれば、社会にどうかされることなく浄化する力となる。
「グループ学習というのも曖昧な考え方です」と黄夏成さんは言う。台湾のような人口密度の高い生活環境において、人は社会と隔離されることなどありあえない。しかも、学校は同年齢の子供だけが一緒になり、社会の現実とかけ離れた状況となっていて、学校に通う子供の方が社会への適応が必要になると言うのである。
またプロではない親に子供を教えるの能力があるのかというのが、普通の人が在宅教育に対して抱く最大の疑問である。
「何が必要かというのではなく、子供と一緒に困難にぶつかっていけばいいのです」と呂基華さんは言う。正しい心構えがあれば在宅教育は誰でも可能だと彼女は言葉を続ける。
在宅教育に向ける両親の動機に対しても、ある種の宗教的ないしイデオロギー的な偏執ではないかと考える人もいる。
娘に仏教の経典や四書五経を教える陳謝祺さんも、家族や友人、学校、世論からの反対に出会った。子供に仏教を教えるのがまず変だし、学校にも行かせないなんて、という声に対して、陳謝祺さんは自分の子供への教育方針が正しいと信じて疑わなかった。
それでも、父親と教師の役割を同時に演じるのは難しいと言う。「昔は子供を取り替えて教えたと言いますが、厳しくしすぎて親子の愛情に響くのを恐れたのでしょう」と陳謝祺さんは言う。そこで自身で教えるのは現在の段階、最終的にはよい先生を娘につけてやりたいと考えている。
方慧琴先生の調査によると、在宅学習の主要な指導者は母親で、一日の正式な授業時間は4から5時間、教師であり親でもある母親は、時に疲れてしまうことがある。
黄夏成さんは各家庭の経験をまとめて、両親が疲れてしまったら全人格的発展、弾力性と恒常性との間のバランス、支援過多と孤独とのバランスなどの均衡点を失うことになると警告する。
理解できないというのが、他とは違うものに対して一般の人が抱く誤解の源である。好奇心と不可解とが混じった気持ちで調査を始めた方慧琴先生は、各家庭に入って理解してみると次第に尊敬の念が湧いてきたと言う。
「縁があってお知り合いになれ、個性のあるご両親、そして先生を理解して感動しました」と方先生は語る。
夢の中でも微笑
在宅学習は次第に受け入れられつつあるが、非学校形態の実験教育には克服しなければならない問題も多い。
教育基本法の施行後、すでに15の県市で非学校形態の実験教育についての規定が設けられ、親が教育計画書を作成し学校に申請を提出し、認可されればいいということになった。それでも多くの県や市ではまだ規定がなく、制度として確立されておらず、学校によっては知らないとか、この規定は実行できないと断るそうである。
台北市の非学校形態の実験教育を取り扱う教育局第三科の湯雪娥さんによると、現行の規定では在宅教育への指導や支援、チェックなどの協力体制や制度が欠けていると話す。親が自分の教育目標達成を目指すのはいいが、それでも専門家の協力は必要だというのである。
現行法規には在宅学習の基本学力テストの規定がないので、在宅学習の子供が学校に戻るときの依拠がないと、方慧琴先生も話す。
しかし、在宅教育を行う親は既存の教育体制からの指導を望まず、将来学校の課程に戻るときの繋がりについても心配していない。
娘は一生学校に戻らないかもしれないが、それはそれでいいと陳謝祺さんは言い、他人に支配されるより家で自分が悩んでいたほうがいいのだそうである。基礎的能力を育成しておけば、娘は自分で学問できると言う。
考えただけで楽しくなると、陳謝祺さんは在宅教育する気持ちを語る。子供は将来自分より広い視野を持つようになると語る陳さん、家の中のこの大きな価値を思うと、次の世代の教育に自分のすべてを捧げて悔いはない。