終わることのない物語
豊田生まれの日本人たちは、日本で「豊田会」を結成し、毎年5〜6月には一団となって故郷の豊田を訪れる。一方、当時は日本人に雇われていた客家人、或いは現在、日本式家屋に暮らす人々が集まって「台湾豊田会」も作られ、日本の豊田会の人々をもてなしている。
そんなわけで、豊裡小学校の生徒たちはときどき校庭で、日本人のおじいさんが老樹を抱きしめ涙する光景を見かけることになる。或いは、かつて自分が暮らした家の名残を見出し、立ちつくしたまま長くそこを去れないでいる日本人の姿もある。
近年は日本豊田会のメンバーも高齢化が進み、若い人でも70歳を超えるようになったため、豊田村訪問も2年に1回に改められた。参加者数も減少している。豊田会のメンバーが減るにつれ、豊田移民村の物語も歴史に埋没してしまうのだろうか。
「豊田は移民の村です。私の父は雲南からやってきました」と言うのは、いかにもエキゾチックな容貌を持ち、台湾訛りの中国語を話す楊鈞弼さんで、豊田地区の総幹事を務める。日本人、客家人、閩南人、雲南人、アミ人がこの土地に記してきた様々な物語が、豊田の特色になっていると語る。
歴史はもちろん過去のものとなる。だが、地元の地区協会によって、それらの歴史を整理し、記録する作業が進んでいる。たとえ月日は流れ去っても、それを代々語り継いでいけば、物語は決して終わることはないのである。

日本時代の診療所(上)、碧蓮寺の前にある石塔(左)と狛犬(右)、納骨塔の「聚会一所」。豊田のいたるところで日本人移民村の歴史文物が見られる。