知的・情緒的に障害を持つ人が台湾にどのくらいいるのか、ご存知だろうか。
知的障害を持つ人は、理解や行動面での能力が0-11歳程度にとどまっているほかに、自傷や攻撃、破壊といった感情面での障害を伴うことが多いことを、ご存知だろうか。
2008年10月下旬、一人の自閉症の少年が養護施設のベッドを抜け出し、隣室の体の不自由なお年寄りを刺殺した。小さなニュースだったが、社会福祉施設の抱える痛みを浮き彫りにした。障害者ケアの人的物的資源が乏しい現状では、同様の悲劇の再発防止は難しい。
こういった現状を受け、第一社会福利基金会(1980年設立)は、2007年7月に社会福祉の現場を巡回するワークショップを立ち上げた。専門家でチームを組み、無料で現場の指導に当たる。1年余りで24の施設、74の事例を指導した。質の高い指導は、特殊教育第一線で働く人や障害者家族に大きな実りをもたらしている。
空高く晴れた10月中旬、新竹にある晨曦発展センターの教師10名と父兄4名は、重度・最重度の知的障害を持つ27名の生徒を連れ、南投九族文化村へ一泊旅行に出かけた。
生徒の年齢は10〜40歳台。車椅子に座る脳性麻痺の患者や人に支えられて歩く小脳萎縮症の患者、倒れた時に頭を保護するフードをかぶった癲癇症の患者もいた。長旅や外泊の経験がない人もいるし、車内で尿意を我慢できずズボンをぬらす人もいた。だが遊園地の自由行動では、不安げだった表情も笑顔になり、先生の手を引いて快活に園内を回り始めた。
年に1度の秋の遠足は、生徒と教師、父兄の間の信頼を物語る。そして「生命を尊重し、心身障害者が健常者と同様の幸福を追う権利があると信じる」というセンターの理念実践の場でもある。センターの能力発展係責任者の洪美玲さんは「教室では学べない多くのことが社会や自然から学べます」と言う。
新竹市街地にある晨曦発展センターは重度知的障害者を主な対象とし、現在100名の生徒がデイケアを受けている。
1年前、教師たちは大きな試練に立たされた。18歳の重度自閉症の比比君は感情の起伏が激しく、腹を立てると暴力を振るう。173センチ90キロを超える彼にはまさに「殺傷力」があった。日間だけのセンターは比比君のためにアパートを見つけ、暑さを嫌う彼のためにクーラーも取り付けた。それでも比比君は眠れないと家具を壊しした。送り迎えには専用車を用意、彼が運転手を襲ったりしないよう、運転席との間に強化ガラスも取り付けた。

言葉による表現が困難な障害者は、絵カードを使って自分の考えや要求を伝えることができるようになり、不要な誤解や衝突が解消される。
感情の嵐
比比君が幼い頃には家族でこう話し合っていた。重度の知的障害の子供がいることを隠すのはやめよう。この子を受けて入れてくれる人でなければ友人とは言えない、と。だが比比君はほかの子の玩具や食べ物に手を伸ばし、事情を知らない人に「しつけが悪い」と叱られることもあった。そこで両親は山に土地を買い、比比君を自由に行動させることにした。
幼い比比君が草の上を裸足で嬉しそうに駆け回っていた様子を母親は覚えている。だが、少し大きくなると攻撃行動が出始めた。親子関係も悪化し、母親は深く傷つく。「当時、夫は出張が増え、長男は町の学校に通っており、普段は私があの子の相手をしていました」母親の身を案じた家族は、護身用にと電気棒を持たせた。「比比は電気ショックを一度受けてからは電気棒を見ただけで極度に興奮するようになり、私は恐怖と悲しさとで、もうやっていけないと思いました」
知的障害者の感情の嵐の原因は想像し難い。同様に、比比君の状況が今や改善したことも想像を超える。彼は「隔離」されることもなく皆と遠足に参加した。体重も72キロに減り、感情の安定とともに集中力もついて音楽療法や認知訓練を受けられるまでになった。
これは急に降ってわいた進歩ではない。晨曦発展センターの努力の賜物であり、そして、これらサポーターの更に背後のサポーター、つまり第一社会福利基金会による第一行動ワークショップのおかげなのだ。

「マリア霧峰家園」の総合教室では、患者たちが教員の指導の下でバランス感覚や筋力と動作の協調を取る訓練をしている。
サポーターへのサポート
知的障害者は自己の挫折感を表せないことから、感情的・行動的問題が人より重く表れやすい。知的障害が重いほど、それは深刻になる。
行動に異常が出ると、家族だけでなく養護施設の負担も増え、職員の離職率の高さにつながりやすい。時には体罰を与えたり監禁したりといった不適切な対処になることもある。
このため第一社会福利基金会(以下「第一」)は2007年7月に第一行動ワークショップを成立、現場を巡回し、施設のサポートをすることにした。これらは全て無料、経費はUSBグループの援助による。
現在、台北市など四つの市・県には学校の特殊教育を対象にした問題行動の指導チームがある。だが15歳以上の知的障害者をケアするのは主に民間施設で、より指導を必要としている。ところが政府の支援は遅々として進まず、「第一」が立ち上がることになったのだ。
実際、心身障害者ケア団体にとって「第一」は常に研究や実践のリーダー役であった。台北にシステム完備のデイケア・センターを8所抱え、人材育成や指導に当たってきた。
基金会のディレクターで、長年特殊教育に従事してきた頼美智さんの呼びかけの下、ワークショップはアメリカ在住のベテラン・セラピスト施顕烇;さんを顧問に招き、精神科医の林亮吟さん、問題行動指導専門家の郭色嬌さんと張文嬿;さん、それに行動セラピストとソーシャルワーカー各1人を加え、チームの士気は非常に高い。
「指導の第一歩は、相手の立場に立つこと。生徒を喜怒哀楽のある『人』としてとらえること」と頼さんは言う。そして問題行動の裏に隠れるものを見つける。例えば、食卓に着くなりトレイごと食事を引っくり返す生徒は、皿の上の卵料理が嫌いなのかもしれないし、隣の大人が無闇に食事を口に運んでくるのが嫌なのかもしれない。状況の理解に努めたうえで、生徒の感情的予兆に注意したり、生徒に問いかけたりする。また、生徒が絵カードで気持ちを表現できるよう訓練する。コミュニケーションができるようになれば、メニューの選び方を学ばせるなど、自主的能力を高める。そして、精神科医療やカウンセラー、特殊教育などとの連携も不可欠である。

知的障害者は健常者より挫折などの感情的な問題に直面しやすく、それを表現したり自分で処理したりするのが困難なため、周囲の人の包容と協力を必要とする。
天使になった
晨曦発展センターは、最初にワークショップの指導を受けた施設だった。それ以前から比比君には様々な方法を試みていた。例えば、彼の好きな活動を中心に単独のスケジュール表を作った。また家族と相談して医療機関にも通った。だが、薬の投与で発作の間隔は長くなったものの、いったん感情を爆発させるとすさまじかった。
向精神薬の調整は一種の芸術で、医師と患者の間に充分な相互関係が必要だ。しかし100名以上の生徒がいる同センターには専属の精神科医がいない。病院の医師は比比君に手足の震えや口内の乾燥の副作用が出たのを見て毎月薬を減らしていった。薬が頻繁に調整されて比比君の感情の起伏も激しくなってしまった。
が、「第一」の指導で、比比君の体内の薬の濃度を長期的に維持し、同時に栄養士に教わって比比君の減量を進めた。ケア面では、比比君の立場に立って対処技巧を駆使した。
そうして半年が過ぎる頃には比比君の態度は和らぎ、笑顔を見せ始めた。母親は「息子を天使に変えてくれた」と感激することしきりだった。
「第一」にとって今回の主な目標は、両親と施設が比比君への恐怖感をなくし、彼の進歩に自信を持つことだった。薬の投与で感情の起伏や頻度を抑えていけば、行動の正常化や認知訓練も容易になる。

「第一行動ワークショップ」行動専門家の張文嬿さん(右)と、このプログラムの参加機関のスタッフは定期的に個別ケースについて話し合い、互いの参考にしている。
悪い子じゃない
中部で有名な「マリア社会福利基金会」の「マリア霧峰教養家園」も、「第一」の指導を受けた施設の一つだ。霧峰家園は設立6年、重度・最重度の知的障害者をケアしており、脳性麻痺患者の比率も高い。24時間体制の養護施設で、135名の患者は全て16歳以上、スタッフの責任は重い。
「『第一』に来てもらってから、いわゆる『悪い子』は『育て得る人材』なのだと気づきました」とスタッフの鄒立菊さんは笑う。当時スタッフを悩ませていたのが、手づかみでご飯を食べ、辺りをめちゃくちゃにする阿萍さんだった。が、「専門家の文嬿;さんは、阿萍には能力があるのでワゴン車の運び方を教えてはどうかと言うのです。やらせてみると、食べ物をつかむこともありませんでした。ワゴンを押しているので手が使えなかったのか、食べ物は自分が管理しているという自負のせいかはわかりません。が、今では皿洗いもしています」
「私たちは、彼らに仕える奴隷ではなく、彼らに任務を与え、導き、励ますべきだと文嬿;さんは気づかせてくれました」と鄒さんは誇らしげに語る。
これが「ポジティブ・サポート」理念だ。不適切な衝動を、個人の発達に適う行動に転換させることで、最終的には個人の生活の質の向上を目指す。

「晨曦発展センター」では毎年秋と春に旅行に出かけ、多くの生徒は初めての経験をする。
ジェントル・ティーチング
スタッフの王貴星さんも反省する。以前は「だめ、いけない」などとネガティブな言葉が多すぎた。知的障害者は感情や声、身振りに特に敏感だから、そんな接し方が「悪い子」を生んでいた、と。彼は仕事中、仲間とよく冗談を言う。楽しげな雰囲気は生徒にも伝わり、リラックスさせられるからだ。だがそうは言っても、常に楽しい気持ちでいることは実際には非常に難しいと彼も認める。
同僚の劉桂珍さんも「『ジェントル・ティーチング』や『感情曲線』を教わり、今は生徒の表情の変化に注意し、まず優しく何をしたいのか尋ねるようになりました。それを続ければ安心感や信頼感が生まれ、何かあれば自ら教師に伝えるようになります」と話す。
生徒が大小便を失禁しても優しい声で、時には嬉しそうに応じるようになったと劉さんは笑う。便秘はやはり生徒の感情に影響するからだ。頭痛がしても言葉に表せないので、手で頭を激しく叩くしかない。だが理解されなければ単に「凶暴だ」と誤解されるのだ。
霧峰家園のケースを振り返り、問題行動専門家の張文嬿;さんは、「第一」が教えるのは特別な技巧などではないと言う。第一線のスタッフは施設の中で終日生徒と接するので、挫折を味わいやすく、やがてそれが習いとなり悪循環に陥る。またスタッフは、些細な環境の変化が生徒に与える影響を見逃しがちだ。例えば、トイレに行くたびに便を壁になすりつける子がいた。父兄の同意を得てカメラを設置してわかったのは、新しい環境で便秘になったその子は、指で肛門から便をほじくり出し、それをどう処理していいかわからず壁にこすりつけていたということだった。
「問題行動の原因を把握するには長期の観察と対処が必要」と張文嬿;さんは言う。ワークショップの目的は、各事例に対処法を授けるだけでなく、それらを通し、スタッフの能力を高め、自己を肯定的にとらえ直させることにある。

一人の知的障害者をケアすることは、一つの家族をサポートすることでもある。我が国の障害者サービスは、かつてのケアや隔離から、能力開発へと少しずつ転換し、個人の能力と生活環境の双方を重視するようになってきた。写真は脳性麻痺の患者が真剣におむつを畳む様子。
疲労とストレスで
「第一」の指導対象は主に施設だが、県や市のソーシャルワーカーも孤軍奮闘しており、サポートや指導が必要だ。
この日、ワークショップの一行は桃園県のソーシャルワーカーの案内で、都市部から遠く離れた地域の民家を訪れた。知的障害のある玉娟さん(仮名)の事例を詳しく知るためだ。
張文嬿;さんによれば、40歳過ぎの玉娟さんは青春期に統合失調症を併発、主に母親の世話を受けてきた。20数年前に母親が亡くなってからは姉の玉芬さん(仮名)が面倒を見ていたが、疲労とストレスで病気になってしまった。
「食事も不定期で、衣服を脱ぎ捨てる。衛生的な生活ができない」と聞いていたが、家に入ると話の通り、裸の玉娟さんが床にうずくまり、こちらをにらんでいた。異様な臭いが鼻をつき、床も汚れている。皆が躊躇する中、林亮吟医師がさっと靴を脱いで上がって行った。
姉の玉芬さんによると、玉娟さんは何回か病院に行った後は嫌がり、大声を上げて抵抗するようになったため、今や病院行きは不可能だ。姉の玉芬さんは仕事も安定しておらず、情報も不足して、精神医療の在宅ケアを申請するすべも知らない。24時間つきっきりで世話し続け、ほとんど限界だった。
「第一」は状況をほぼ把握した後、最寄りの医療機関を紹介し、同時にまず玉娟さんの衣類の数を減らすよう玉芬さんに提案した。服を繰り返し脱ぎ着したくなる誘惑を減らすためだった。また、向精神薬投与の目的や効果、副作用を玉芬さんに詳しく説明し、妹を病院へ連れて行くよう励ました。そうやって病状が安定してから、在宅ケアのワーカーの訓練に取り掛かろうというのだった。
林医師と張文嬿;さんは、家族の負担を減らすこと、「一人ではない」と感じさせることが一番大切だと考える。玉芬さんを絶望の中に置かず、改善の希望があること、助けが現れたことを知ってもらうのである。

しだいに環境に慣れてきた比比君(左)は、先生を誘って何回も小さな汽車に乗った。
視野を広げる
「第一」の存在は人々の力を集結させるだけでなく、知的障害者ケアへの認識を変え、社会実践を実現する。
1年半の活動を振り返って張さんは「ポジティブ・サポートなどと言っていますが、これは裏を返せば、障害者のこういう行動は一生続くかもしれないのだから、人に危害を加えない限り、より寛容な態度で接すればいいと教えているだけなのだと思う時もあります」と言う。
自閉症の子供は何かに固執する行動が見られるし、注意欠陥障害を持つ子はぼんやりしていることが多く、ちぐはぐなことをしてしまう。知覚処理障害の子供は、触覚や聴覚が鋭敏すぎて、新しい服を着たりすると針に刺されているように痛み、泣き叫ぶ。
「これらの感情や行動は異常なわけではないのに、長い間、叱られ続けているうちにマイナスの感情と結びつき、不適切な行動に表れてしまうのです」と張さんは説明する。
ある自閉症の子供は雑誌やチラシを見るとすぐ破り取ってポケットに入れる癖があり、歩けないほどにポケットを膨らませていた。これは、光沢のある紙や色鮮やかな絵に特に惹かれるためで、彼にとっては安心感を得るための行為なのだ。禁止すればますます激しくなる。
この子の場合、紙の入るサイズのバッグを首から提げさせ、ズボンのポケットの口は縫いつけた。そして紙を何かの褒美として与えることで、ほかの活動に参加する興味を引いた。
小学校の特殊教育の仕事を定年退職したばかりの郭色嬌さんはこう考える。同年齢の子供に比べ、障害のある子はより苦しんでいるのに発散できない。だから、楽しく遊べる生活を学ぶことは、字を学んだりすることよりよほど大切だ、と。

知的障害者が楽しく成長できれば、挫折を乗り越える能力と自信を高めることができ、感情による問題行動を減らすこともできる。
まず自らが変わる
1992年のアカデミー最優秀短編ドキュメンタリー賞を受賞した「Educating Peter」は、知的障害を持つ小学3年生が普通学級で遭遇する出来事を撮ったものだ。「第一」はこのフィルムをよく教材に用いる。
映画の最初、ピーターは落ち着きがなく人を攻撃し、周囲を極度に混乱させていた。1週間後、教師はクラスでこの問題に立ち向かうことを宣言する。なるべくピーターの良いところを見るようにし、彼のどんな行動も受け入れ、どの授業でも一人ぼっちにさせておかない、ということにし、クラス全員の了解を取り付けたのである。
あるシーンでは、グループ学習の時間なのにピーターは床に寝転がり、その後同級生を叩いた。だがその同級生は仕返しせずこらえていた。授業終了後、先生はピーターを呼び、そのような行動は人を嫌な気持ちにさせることを話し合い、彼が同級生に謝る機会を与えた。
そうしてトラブルを繰り返しながら1年が過ぎると、ピーターは学習や行動の面で明らかに進展し、友情も育んでいた。
同級生の10歳の女の子はこう言った。「ピーターが変わったのは、私たちが彼に対する態度を変えたからよ。私たちが自分の気持ちを抑えて彼を手伝うことを学んだからなの。私たちが彼に何かを教えているとつい思ってしまうけれど、本当はピーターが私たちに新しいことを教えてくれたの。深く考えて、問題にどう対応し、どう解決すればいいかをね」
晨曦発展センターに話を戻そう。10月の父兄研修会で、新たに入所した生徒の父兄に、比比君の母親は思わずこう呼びかけた。「比比を初めてここへ連れて来た日、私も不安と疲労感でいっぱいでした。でも洪先生が『あなたは一人じゃない。ここのみんなで助けてあげる』と言ってくれました。もし親にとって子供の成長が一番の幸福だとすれば、私の子はその期間が長いだけ、私を長く幸福にしてくれているのです」と。